第4話

(まぁ――あんな自分勝手にみっともなく盛りまくるグレイを見れば、一瞬で百年の恋も冷め切って、初恋の未練はきれいさっぱり無くなったから、それだけはありがたかったけれど)

 マシロは二週間前の二人のラブシーンを思い起こし、再び胸焼けしそうな気持で胸中で呻く。あれは、溺愛というには生ぬるい――まさに、狂愛と呼ぶにふさわしかった。

 大人びているとはいえマシロも精神年齢としてはハーティアと変わりない。ファーストキスに幻想を抱くような夢見る少女だ。

 今まで、グレイはとにかく大人だと思ってきた。番にしてくれ、と迫っていた時だって、いつだって大人の余裕でさらりと躱されていた。きっと、番になったとしても、大人らしく乙女心をときめかすような、思わずうっとりしてしまう余裕のエスコートをしてくれるのだろうと思っていた。

(――まぁ、グレイに乙女心とか、わかるわけないしね……)

 思いやりはある癖に他人の心の機微に疎い――特に女心には本当に疎い――グレイを思い出し、はぁ、と心の中でため息を吐く。ここまできれいに恋が冷めるとは思わなかった。今では、あのままグレイとの恋が成就しなくてよかった、とすら思っているくらいだ。

 彼の悲恋には同情する。千年も気持ちを抑え込み、愛する女と言葉を交わすことすらなく、他の男に取られていくのをただ見守るだけだったその不憫を思えば、その恋の成就は彼にとって奇跡のようなものだろう。拗らせ方も執着の仕方も規格外だ。クロエの十倍、と言っていたのもうなずける。

 だがそれでも――

(……ナツメでさえ、今みたいになるのに、数か月の監禁が必要だったのに――たった二週間でこんなに別人みたいになるって、グレイ、一体何したの……)

 ひくり、と頬を引きつらせて視線を投げると、やっと濃厚な口づけが終わり、二人が唇を離すところだった。先ほど一瞬、期待や驚きといった感情らしきものを映していた瑠璃色の瞳は、いつの間にか再び完全なる虚無を映している。

「――――……」

 コソッ……と何か小さな囁きが聞こえたような気がして振り返る。見ると、ナツメが何やらクロエの耳にささやいているようだった。

「…………まぁ……わかった。好きにしろ」

 クロエは少し渋面を造ったが、ナツメの囁きに頷き返す。そして、グレイに向き直った。

「グレイ。――いくら何でも公私混同が過ぎる。さすがに同席は認められん」

「そうか?……代わりに、ナツメも会議の同席の許可を出す、と言ってもか?」

「……今が、何か明確な危険が迫るような事態だとすれば、話は別だが。現状、ナツメの命を脅かすような脅威はない。それでも、と望むのは行き過ぎだろう」

「……ふむ」

「初めてここにナツメを連れてきたとき、お前が偉そうに俺に向かって言っていた説教を一言一句思い出せ」

「…………それを言われると耳が痛いな……」

 グレイが困った顔で顔を顰める。

 カタン、と小さな音がして目をやると、ナツメが静かに席を立った音だった。漆黒の髪を持つ美女は、そのまま静々と音もなくハーティアへと近づく。

「その女は、ナツメに任せろ」

「……ふむ……仕方あるまい」

 さすがに理の通らない主張だということはわかっていたのだろう。グレイは軽く嘆息してから頷いた。

 ナツメはハーティアの前まで来ると、そっとその両手を優しく包んだ。

 そして、ふわり、といつもの笑顔を浮かべる。

 その吸い込まれそうな翠の瞳は、どこまでも優しい光が宿っていて――

「っ……な……ナツメさ――っ…」

「ティア……!?」

 ナツメの笑顔を前にした瞬間、ポロポロポロッと大粒の涙をこぼしたハーティアに、グレイが驚きの声を上げる。

「どうした……!?」

「ひっ……ぅ……ふぇっ……」

 ガタン、と立ち上がるグレイに構わず子供のように泣きじゃくるハーティアを、ナツメは優しく、しっかりとその胸に抱きしめた。

「ぅぇっ……ぅえええええん……」

 よしよし、と無言のままいつもの笑顔で背中をさするナツメに、ハーティアは人目も憚らずに号泣する。

「ティア、どうした!?どこか具合でも悪――」

「あぁあああっ!!!もうっっっ!!!どっこまでも鈍感な男!!ほんっとサイテー!!!」

 我慢の限界を突破し、ぶち切れたのはマシロだった。ガタン、と椅子を蹴って立ち上がる。

「あんたのせいよ、あんたのせい!ぜ~んぶ、グレイのせい!」

「なっ――!?」

 大股でナツメとハーティアに近づくと、グレイに向かってビシッと指を突き付ける。

「会議は男たちでやればいいわ!赤狼は今回の件、ほとんど関与してないから影響はほとんどないし!お姉ちゃんは昔と変わらずタバコ吸ってお酒飲んで、最近は時々大人たちの研究を気まぐれに手伝ってあげてるくらい!怪しい動きも何もないから安心して!他の群れで赤狼の力が必要なところがあったらあとで言って、都合つけるから!――これであたしはもう会議に出なくていいわよね!?」

「ちょっと待――」

「これからあたしたちは女子会です!男子禁制、立ち入り禁止!!!もし破ったら、各々の群れに赤狼が卸してる日常使いの薬の物流止めるからね!」

「「「――――――……」」」

 完全に職権乱用以外の何物でもない発言を残して、マシロは二人を伴い、ズンズンと部屋を出て行ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る