第五章
入部希望
私は、何なのだろう。
私は、誰なんだろう。
私は、どうしたいんだろう。
けど、その舞台を見た時。
私は、思った。
私も、あんなふうに輝きたいと。
「さーて、それじゃあ今日の歌劇同好会は―」
「ひゅーひゅーとーもー!」
「いや、まだ歓声を上げる時ではないぞ、夏奈ちゃん」
と、いつものやり取りを繰り広げる二人。ホワイトボードの前に立つ少女の若干跳ね気味なゆるふわヘアーは、今は肩口くらいの長さになっている。先日、イメチェンを無事果たした一年生、智賢(ともさか)あさがお、通称、智ちゃんが若干早めの歓声を上げた幼馴染に突っ込みを入れる。
「えー、でもどうせ歓声を上げるんだから、早い方がよくない?」
その突っ込みに対し、よく分からない持論を展開しているのが同じく一年生の、苗字は大場、名は夏菜子、続けて読むと絶賛怒られてしまう、元気いっぱい向日葵娘だ。
「いやいや。それってご飯を作ってる時に美味しい!って言ってるようなものだぞ」
智もよく分からない例えをする。
「んー?でも、ご飯作ってる時も美味しいよ!」
その受け答えも理解できない。
「……まさかとは思うが、作ってる時にも食べてるのか?」
「えー、味見だよ、味見!たまーに無くなって作り直すけど!」
「そういうのは味見とは言わず、完食というのだよ。というか、ご飯が遅い時があるが、そのせいだったのか」
「って、ストーップです、二人とも」
ここで漸く、謎空間に対し介入をしたのが、歌劇同好会部長の二年生、三七三(みなみ)燈火である。その表情は笑顔ながらも、苦悩に満ちていた。
「何だかよく分からない話は一旦止めて、本題に戻りましょう」
燈火が脱線しまくった流れを何とか元に戻そうとする。
「むぅ、仕方あるまい」
智もそれに気が付いたのか、従来の進行役へと戻る。
「では、改めて」
と、ホワイトボードを示す。そこには。
「第一回、夕星祭に向けて何しようか考えよう会議―!」
「わーい!智ー!ひゅーひゅー!」
今度は完璧なタイミングで歓声が上がる。それに合わせて、
「私のゆるふわ美幼女ちゃ~ん!カムバ~ック!」
涙を流しながら大喝采している変人が一人。片眼鏡と出鱈目な三つ編みがトレードマークの三年生、逆那(さかな)沙紗が、嗚咽を上げる。
「もう、沙紗ったら」
その隣に座っている同じく三年生の春深(かすみ)咲恋(されん)がため息混じりに呟く。その表情は、若干不機嫌そうにも見える。
「カムバックも何も、現にここにいるじゃないの」
その反対側に座っている銀髪紅眼は、親友の奇行に呆れた顔をしている。同好会メンバー兼生徒会長の三年生、ルミ・ティッキネンがしょうがないわねといった感じで呟く。
「というか、人を変な形容詞で呼びながらの私物化は、止めてくれたまえ」
そんな変人に律儀に突っ込む智。
「そもそも、沙紗先輩は同好会メンバーではないのに、どうしてここにいるのですか?」
根本的な間違いを正すかのように発言したのは一年生、粉雪魅由。今尚涙を流す変人を、これまた呆れた表情でねめつけている。
「まぁまぁ、沙紗先輩はほら、何というか、ね」
と、何の説明にもなっていない言葉で魅由を説得しようとしたのが同じく一年生の山之辺優菜。
これが、歌劇同好会のメンバー+一名である。
「それにしても……」
と、魅由がホワイトボードに書かれた夕星祭という文字を見ながら溜息をつく。
「この学校って、本当にお祭り事が多いのですね」
だが、魅由の言いたい事も分かる。
つい先月末には緑星祭という、文化部が中心のお祭りがあったばかりだ。
その一カ月と少し後に、夕星祭というお祭りが開催される。こちらは名前の通り、七夕にちなんだお祭りで、有志による出店が中心となるらしい。
とはいえ、部活動としての参加もできるし、野外ステージも設営される。
「でも、緑星祭も夕星祭も、開校当初は無かったのよ」
ルミの話では、何年か前の生徒会が、学生からの要望を受けて開催したのが始まりという事だ。
「それじゃあ、ルミさんも何かイベントを作ろうと思えば作れるって事ですか?」
「ええ。けど、スケジュール的に見ても、これ以上は増やせそうにないわね」
夕星祭が終われば、直ぐに期末テストがあり、夏休みに突入する。二学期は体育祭、文化祭、降星際と主要なイベントが目白押しだ。三学期は卒業式が控えているので、あまり大きなイベントは出来ないらしい。
「流石にこれ以上イベントが増えると、大変そうですよねー」
「でも、今年の夕星祭には参加したいわね」
燈火と咲恋の話では、歌劇同好会はこの二年、夕星祭には参加できなかったらしい。
理由は、高校演劇の大会の出場が決まっていたからだ。そちらの準備が忙しくて、夕星祭まで手が回らなかったらしい。
因みに今年の大会には、演劇部が出場する。
「というわけで、我ら歌劇同好会は夕星祭に是非とも参加したいわけだが」
智が、改めてホワイトボードを指し示す。
そこへ響くノックの音。
どうやら来客のようだが、ドアが開かれる気配は全くない。
「ええと、どうぞー?」
部長の燈火がドアの外にいるであろう人物に声をかける。そうしてやっと、ドアが開かれる。
「失礼致します」
部室に入ってきたのは、
「双葉さん?」
短く切り揃えられた髪と、左右で瞳の色が違う二年生、高遠双葉だった。
「入部希望!?」
「はい。私もぜひ、歌劇同好会に入りたいと思いまして」
そう言って丁寧なお辞儀をする双葉。その瞳は右が黄褐色、左が深緑と、不思議な色合いをしている。
「あっ、これはご丁寧に」と、燈火も深々とお辞儀する。
「でも、急にどうして?」
疑問を口にしたのは優菜だ。優菜は彼女とはそれなりに親しい間柄だが、だからこそ、彼女がどうして星ノ杜にいるのかを考えると、入部希望というのが不自然に思えた。
双葉がこの学院にいる理由は、双子の姉、一葉の身の回りの世話をするためだと聞いている。一葉は車椅子での生活をしており、双葉はそのためにこの学校に転入してきたくらいだ。
「私、緑星祭の舞台を見て感動したんです。そして、私も皆様みたいに輝きたいって思ったんです」
双葉の入部動機は、至って普通のものだった。けど……
「ふむ。この事は一葉女史はご存じなのかね?」
智も同じことを思ったのだろう。智は双子の関係性は知らないが、察しはいい。この間のお茶会の時にそれとなく気が付いているのだろう。
「いいえ、まだです」
案の定の答えが返ってきた。
「なれば、まずは一葉女史に許可をもらう方が先ではないのかね」
話はそれからだと智が告げる。その口調は若干冷めた感じで、智らしくない。
「……待ってください、智。部活動を始めるのに、いちいち姉の許可が必要なのですか?」
突き放すような態度の智に、魅由が疑念を挟む。
双葉も星ノ杜の生徒だ。入る部活動を自由に決める権利がある。だが、この双子に限ってはそうではないのだろう。その辺りの事情を知らない魅由からすれば、当然の疑問だと言えるが。
「みーちゃんは、一葉女史の事は知っているのかね?」
「ええ。以前お会いした事があります。車椅子の方ですよね」
魅由もこの双子と面識がある。以前、魅由と二人でお出かけした際に偶然出会った時の事を思い出す。あの時は、一葉に魅由との事を揶揄われたな。
「然り。そして、双葉女史はその身の回りの世話をしている。違うかね?」
「はい。私は一葉お姉様の身の回りの世話をしています」
智の問いかけに素直に答える双葉。その条件反射のような受け答えは、以前から優菜の心に小さく刺さる棘となっている。
「歌劇同好会に入るという事は、その時間が短くなるという事だ。なれば、一葉女史に許可を取るのは必要ではないかね?」
「……それは、そうかもしれませんが」
智の言う事は分かるが、それでも納得できていないといった感じで魅由が呻く。
「えー!?でも、やりたいことが出来たんだし、そっちを優先しちゃダメなの!?」
と、今度は夏奈子が自分の素直な気持ちを伝えてくる。
「そうだね。やるべき事とやりたい事。そのどちらかしか手に取っちゃ駄目ってわけじゃないんだし。要はバランスでしょ」
と、沙紗が両手を天秤に見立てて、上下に揺らす。
「だからこそ、一葉女史とよく話し合ってから入部するか決めたらいい」
智が夏奈子と沙紗の意見を聞いて、冷静に纏める。あくまで、一葉の許可が必要という所は曲げずに。
「分かりました。一葉お姉様の許可を取ってみます。皆様、お時間を取らせてしまい、申し訳ございません」
最後に丁寧なお辞儀をして、双葉が退室していく。その後ろ姿を、それぞれがそれぞれの想いで見つめていた。
夕星祭に何をするかは各自で考えて、後日纏めるという事で、練習に移行する。
まず、ランニングコースを二周。柔軟体操をして、発声練習にダンスレッスン。最後に演技と実演の練習をして、今日のトレーニングを終える。
「ふぁ~、疲れた~」
練習後の特等席となりつつあるソファに智がぐでっと寝転ぶ。
「はい、智。お茶だよ」
優菜はその隣に座り、カップを手渡す。
「おお、ありがとう、優ちゃん」
何とか起き上がり、一口付ける。そのまま、優菜に凭れ掛かってくる。
今、部室にいるのは、夏奈子、魅由、燈火、咲恋、そして優菜と智の六名だ。ルミは生徒会へ、沙紗はラボへ行ってしまった。
「ねぇ、智」
「んー?」
「どうして、一葉さんの許可が必要って事に拘ったの?」
優菜は先程から抱えていた疑問を聞いてみる。先程の双葉に対する智の態度は、明らかに違った。智は物事をよく見て冷静に判断できる。けど、決して冷たいわけではない。寧ろ、相手の気持ちを汲み取り、やんわりと受け答えできる子だと思っている。
だが、先程の双葉に対しては、まるで拒絶するかのような冷たさを感じた。それはきっと、智の中にある何かが原因で、そうなってしまっているのだと思う。
それを知りたい、と優菜は思った。そしてできれば、双葉が同好会に入るのを賛成してほしいとも。
「どうしても何も、さっき言った事が全てなのだが」
「それって、一葉さんのお世話ができなくなるって事?」
智が静かに頷く。
「恐らくだが、許可を取らずに入部しても、一葉女史が辞めなさいと言ったら、双葉女史は素直に従うだろう」
「それは……」そうなのかもしれないけど。
「けど、みーちゃんは黙ってはいないだろうね。他のメンバーの中にも同じ意見の人はいるだろうし」
と、そこでじっと優菜を見上げてくる。
「そうなったら、優ちゃんは何とかしようとするだろう?」
「私が?」
どうだろうか。そういうのはその時になってみないと分からない気もするけど。
「私は、優ちゃんは動くと思う。そして、それが例え困難な事でも成し遂げようとするだろう」
どうやら智の中の私は相当凄い人のようだ。でも、実際はそんな事ない。めげそうになる事もあるし、逃げ出したくなる事もある。
「だから、予め許可を取るべきだと思ったのだよ。避けられるリスクは避けるに限るからね」
そう言って、お茶を啜る。
「でも、もし一葉さんからの許可が取れなかったら?」
優菜の問いに、智がカップを口に当てたまま再び見上げてくる。その視線が答えを物語っているようで、落ち着かない気持ちになる。許可が取れなかった時、優菜はどうするのだろうか。魅由は、夏奈子は、智は、皆は。
「それよりも優ちゃんに一つ頼み事があるのだが……」
お茶を飲み干して、そのカップをテーブルに置くと、悪巧みを企てていそうな表情でお願い事をしてきた。
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