大場嗣縁:Ⅰ

 私には、年の離れた姉がいた。

 その人は、良く言えば普通だった。学校の成績やその人間性まで、所謂一般的な、普通という幻想に塗れた、どこにでもいる人間だった。

 それでも、私が生まれるまでは、まだよかったのかもしれない。

 親の愛を一身に受け、期待という名の拷問にも必死に耐えてきた姉は、私の生誕によってその日常を奪われた。

 そして、私が成長するにつれて、姉は自身の居場所すら無くしていった。

 挙句、高校生の時に、家に来ていた家庭教師の大学生に恋をして、駆け落ち同然でいなくなった。


 その前も、後も、私は両親の期待通りに生きてきた。

 その期待に応える事は私には容易く、なぜ姉にはそれが出来なかったのだろうと思っていた。それさえ出来ていれば、居場所を無くすことも、駆け落ちをすることも無かっただろうに。




 中学生になり、それが才能というもののせいだと気が付く頃。

 小学生の時、懇意にしていた教師が出産したというので、会いに行った。

 赤ちゃんは二人いた。双子だった。

 双子なのだからきっとそっくりなのだろうが、私にはそれが猿にしか見えなかった。

 その事を正直に伝えると、微笑みながらこう諭してくれた。

 あなたにも同じ時があったのよ、と。

 確かにそうかもしれない、と思った。

 私にも、人としての時間があったのだと。




 ある日、姉が突然帰ってきた。小さな子どもを一人連れて。駆け落ちした相手の姿はどこにも無かった。

 姉と両親の話し合いは長引いた。

 その間、小さな子どもの世話をしたのだが、この子は、いや、この子も普通では無かった。

 この子は姉の手には余る存在だ。それは予感ではなく、確信だった。

 そして、その時は必ず来る。その時、姉はこの子をどうするだろうか。この子はどうなるのだろうか。

 だから、私は伝えておいた。もし、どうする事も出来なくなった時は、このメモを見て、ここまで来なさい、と。

 幼き眼は、私の目をじっと見る。その真意を探るかのように。やがて頷き、メモを受け取る。

 結局、話し合いは決裂し、姉は小さな子どもを連れて、再び姿を眩ませた。




 私が家業に従事するようになったのは、高校生からだった。最初はアルバイト感覚で、任務をこなすにつれてもその感覚はあまり変わらなかった。

 任務といっても、基本は待機だ。対象を観察し、時に諭し、場合によっては間引く。

 私にとってはいつもの事で、いつものように容易い。アルバイト感覚が抜けないのも、そのせいだろうか。


 今回は妙な力で人心を惑わす存在がいるとの事だ。

 対象は、またしても子どもだった。

 私はうんざりしながらも、めんどくさいのでいきなり接触を試みる。

 その子は私を操ろうとしたが、そう易々と言いなりになる程甘くはない。

 突然現れた脅威に、その子は怯え、逃げ出す。

 翌日。案の定、事件は起こる。

 これだから子どもというやつは短絡に過ぎる。精神が未熟なくせに、分相応な力を持っていて、そのくせ、そのものが持つ危険性すら理解せずに徒(いたずら)に行使する。

 幸い、その子は私に助けを求めて来た。良かったと思う。苦手とはいえ、子どもを屠るのは気が進まない。自分がなぜこのような目に合っているのかすら分からないと訴える、死に逝く瞳で見つめられるのは、鬱陶しい事この上ない。

 私は、その子に力の使い方を教える。この子の持っている力が何であるのかは分からないが、自分なりにこうだろうと思う方法を伝える。我ながら滅茶苦茶だとは思うが、これでこの子は大丈夫だろう、という事にしておく。大丈夫でなかった時の事は考えない。その時は、その時だ。いくらでもやりようはある。




 あなたってもしかしなくても問題児?なんて、面と向かって言ってきたやつもいた。

 そういうあんたは超真面目委員長だよね。と言い返したら、笑われた。

 彼女には身寄りが無く、この六芒星の校舎の中庭にある寮に住んでいる。

 私は通いだったが、よく彼女の部屋に泊めさせてもらった。

 将来は学校の先生になって恩返しがしたいとかこっぱずかしい事を平然と言えるやつだった。

 私の、最初で最後の友達と呼べる存在。そして、私にとって唯一の……




 とある神社の道場へ剣術の稽古に赴いた。

 門下生に一通り指南し終え、残るは、隅っこでつまらなさそうにしている子どもだけだ。

 子どもは苦手だ。けど私は声をかける。

 最初はつまらなさそうな顔で不平不満を述べていたが、私が出鱈目にあしらっていたからだろうか。次第に言葉数が減っていく。

 これはまずい事をしたかも。けど、そうやって素直に自分の気持ちを話してくれたことは嬉しかった。

 だから、感謝の言葉を告げて笑っておく。最後はその子も笑っていたような気がする。




 私は、これからもこんな感じで生きて行くのだろう。何に対しても容易く、出鱈目で、滅茶苦茶で。その末に待つものにも何も期待せずに。それでも、いつかは人間のように、普通になれるようにと。




「それじゃあ、嗣縁ちゃん。私はもう行くわね」

「……はぁ、最後まで勝手だよね、姉さんは」

 隣県にある空港にて。私は姉と対峙している。

「はぁ、はこっちの台詞よ。嗣縁ちゃんがそんな言葉使いだから、あさがおちゃ、智ちゃんが変な風になっちゃうのよ」

「いや、私のせいにされても。元からこうだし」

 私の出鱈目な返答にふふっと笑う。

「そうね。昔からね」

「むぅ」

 何が可笑しいんだか。と思うが、黙っておく。

「ああ、そうだ。はいこれ」

「ん?何?」

 姉から手渡されたのは一通のパスポート。中を開くと、今より若干幼い感じの智ちゃんの写真。

「……姉さん、これって」

「あと半年は有効期限があるから、ちゃんと更新してあげてね。じゃないと、修学旅行が海外だった時、あさが、智ちゃんだけ行けなくなるから」

 この人は、とっくに作っていたのだ。もしかしたらあの時、智ちゃんを連れて行くつもりがあったのかもしれない。

 けど、真相はこの人の中にしかない。

「結局、私は余計なことをしたって事かな」

 あの時渡したメモを頼りに、智ちゃんは私の元へ辿り着いた。それが無ければ、今頃は……

「そうよねぇ。嗣縁ちゃんはいっつも余計な事するよねぇ」

「んぐっ……まぁ、否定はしないよ」

 そう。私の取る行動は、そのどれもが裏目に出るのだ。姉に家庭教師を付けたらどうかと、両親に進言した時のように。

「というか、あさがおちゃんって呼べばいいじゃん」

「うん……でもね。あの子はもう智ちゃんだったから……」

 何だかよく分からない理屈だが、きっとこの人なりのけじめなのだろう……多分、知らんけど。

「っと。時間だわ。それじゃあね、嗣縁ちゃん」

 姉が振り向いて保安検査場へと向かう。

「ちゃんと連絡、入れたげなよ!」

 私の呼びかけにも片手を上げるだけで、一切振り向くことなくその姿が消えていく。




 我が家に着く頃には、世界は闇に落ちていた。

 だが、その玄関先には、仄かな明かりが灯っている。

 智ちゃんと夏奈子はもう戻ってきているようだ。

 その事が唯々嬉しい。私にはまだ、帰りを待ってくれる人がいるのだから。

 ならば、私ができる事はただ一つ。

「ただいまー!」

 精一杯の元気と笑顔を、かけがえのない家族へ向けて。

 いつか人間になれる日を夢見て。

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