緑星祭

 一週間はあっという間に過ぎて。

 今日は緑星祭当日。講堂の歌劇同好会の楽屋にて。

「いよいよ、私たちの舞台が始まります!」

 いつにも増して笑顔の燈火が、皆に向かって声を出す。その笑顔を見つめる皆の表情は、それぞれ違う。

「けど、私たちにできる事は全部やってきた……はず」

 勢いに任せて発破をかけようとしていた燈火が急に弱気になる。

「燈火ちゃん……」

 思わず咲恋がぼやいてしまう。

「ふふっ、最後の最後で締まらないわね」

 ルミがしょうがないといった感じで苦笑する。

「大丈夫!私がいれば完全勝利間違い無し!」

「いやいや、夏奈ちゃんは完全を追い越し過ぎて、逆に問題を起こしているのだが?」

 夏奈子の楽観に、智が釘を刺す。

「あっはっは!ここでこういう空気になるから、この同好会は面白い!」

 沙紗が無責任に爆笑する。

「んんっ!確かに私たちはまだまだです。完全勝利どころか、完封負けもあり得ます」

 魅由が、何とか方向修正をしてくれる。

「でも」

 優菜の一言に皆の視線が集まる。

「でも、それでも、私たちはここまでやってきた」

 頷く皆の表情は明るい。

「だから、後はゴールまで走り抜けるのみですよね!」

 優菜の宣言に燈火が、皆が答えてくれる。

「よーし!歌劇同好会!」

「おー!」「頑張ります!」「いっくぞー!」「お―!」「Teen parhaani!」「行きましょう!」「まぁ、頑張れー!」

 燈火の掛け声に、皆バラバラな鬨の声を上げる。そして、笑い合う。

「歌劇同好会の皆さん、移動をお願いします」

 生徒会役員が舞台袖への移動を伝えに来る。そちらへ全員が顔を向ける。まるで、その先に待つ別れから目を背けるように。




『ここはとある国。そこに二人の人物が流れ着いたところから、お話は始まります』

 下手袖より現れた、吟遊詩人の衣装を着た語り部が言葉を紡ぐ。その姿、その声に「キャー!」「咲恋様―!」「素敵―!」と客席から歓声が上がる。語り部として登場しただけでこれだけの歓声をもらえるなんて。春深咲恋という存在がとてつもないスター性を持っているのだと改めて認識する。

『ここが、高僧様が仰っていた、あなたの母親がいるという国なのですね!』

『はい。私はこの国の舞台で踊ります。いつか、母に見つけてもらえるように』

 続いて、上手袖より踊り子と予言者が登場する。元気いっぱいの預言者を置いて、踊り子が一人、心(しん)へと向かう。その小さな躰でようやく辿り着くと、天よりスポットライトが降り注ぐ。

 踊り子が歌うのは、母親を探し続けるが見つからない事への苦しみだ。踊り子はその小さな躰を震わせて歌う。この歌を、彼女はどのような気持ちで歌っているのだろうか。客席に来ているであろう、あの人にその想いが届いているのだろうか。

 歌い終わると、踊り子が下手へと捌けていく。一方、上手より王が現れる。

『おお!あの美しい踊り子は誰なのだ!?』

 やや、オーバーアクションながらも、王が踊り子に夢中になってしまった事は伝わってくる。そのまま王が踊り子への想いを歌う。

 やがて、歌い終わると妃が現れ、王に告げる。

『この国にやってきた預言者が、私を悪しき者だと呼んでいるの。王よ、あの無礼者を処刑してくださいな!』

 妃の演技は、一言でいうと模範的だ。いかにも優等生といった感じだが、そのせいか、華やかさをあまり感じない。だが、初舞台としては問題無い出来だろう。

『それはできぬ。あの者は民より慕われておるではないか。処罰などしようものなら、暴動が起きようぞ!』

 逃げるように下手へ捌けていく王に妃が告げる。

『私はあなたのために実の娘を捨てたのですよ。それをお忘れなきよう』


 舞台は順調に進み、残るはラストシーン。

 高僧より踊り子が実の娘だと告げられた妃と、預言者の処刑を止めてほしいと懇願する踊り子との対峙。

『お願いです、妃さま!どうか、預言者様の処刑をお止めください!』

『……分かりました。あなたの想いに免じて、処刑を中止するよう、王に進言致しましょう』

「ありがとうございます、妃さま!」

 いよいよだ。ああ、緊張する。でも、やりきらないと。優菜は意を決して、舞台袖から心へと走っていく。

『き、妃様!ただいま、預言者殿の処刑が終わりました!』

 預言者の処刑の終了を告げる兵士役として、優菜は出演する事になった。出番はこれだけ。台詞も一つだけ。だが、優菜にとってはただ事では無かった。

 元々役者をするつもりの無かった優菜にとって、これがどれほどの重荷だったか。

 だが、できた。何とか台詞も言い終えた。後は見守るだけだ。

『そ、そんな……預言者様……』

 預言者の死に踊り子が絶望している。先程までも舞台袖から演技を見ていたが、実際に舞台に立つと、見える景色も全く違う。何より、目の前で演技が行われている事に、優菜は舞台に立っている事も、客席からの視線さえも忘れて見入ってしまう。

 と、踊り子がこちらを向いたので、一瞬どきっとしてしまう。そのままこちらに近づいてきて、優菜扮する兵士の腰に携えていた短剣を抜き取る。

『よくも、預言者様を!』

 短剣を手に踊り子がそのまま妃へと走っていく。

『ま、待って!私はあなたの探していた母親なのよ!』

 だが、妃の言葉に踊り子の動きが止まる。

『あなたが……私の、母親?』

 絶望の声が講堂に響き渡る。

『ならば、この身に流れる不浄ごと、消し去ってしまいましょう!』

 踊り子が短剣を己に向けて、突き刺そうとする。以前の台本通りなら、踊り子はここで命を落とす。だが、そうはならなかった。

 踊り子の手を、短剣の刃を、妃の手が掴んでいる。短剣を掴んだ妃の手から紅い雫が流れ落ちる。

『なぜ……止めるのですか?』

 踊り子の悲痛な問いかけに、妃の瞳が見開かれる。その眼に浮かぶ涙が零れぬよう、一息ついて、

「それは、あなたが私の娘だからです!我が子を、家族を、大切に想わない事など、ありえません!」

 それは、果たして妃の台詞なのだろうか。手のひらより流れる紅い雫とは別に、頬をつたう透き通った結晶が舞台に落ちる。

 呆然とする踊り子を妃が優しく抱きしめる。

「だから私は……あなたが幸せである事を望みます。例え、離れ離れになっても。例え、あなたが私の事を憎んでいても。例え、何があったとしても。あなたには幸せになってほしい……それこそが、私の願いです」




 撤収作業も終え、歌劇同好会の初舞台は幕を下ろした。

 そして、今は同好会メンバー+一名が中庭にて、二人の様子を見守っている。

「あさがおちゃん、素敵な舞台だったわ。ママ、感動しちゃった」

「うん……ありがとう」

 あの人からの舞台の感想に、素直に喜ぶ智。その顔はもう下を向いてはいない。真正面から、あの人の、母親からの視線を受け止めている。

「さて、それじゃあ行きましょうか」

 そう言って、踵を返す。その姿に、届かなかったか、と思う。

 優菜なりに、この親子の関係を考えて脚本を作ってみたつもりだった。そして、もし心に届いたなら、智をここに残してくれるかもしれないと期待して。

 だが、それは優菜の希望だ。智はそう思ってはいない。夏奈子も。もしかしたら、他のメンバーたちの中にも。

 だけど、私たちはみんな考え方は違えど、一カ月にも満たない時間だったけど、一つの事に向かって進み続けた。

 だから、悔いはない。例え、どんな結末が待っていようとも。私たちの心は確かに繋がれたのだから。


 智が、後に続いていく。

 ふと、肩にかかる重み。魅由が項垂れ、凭れ掛かってきていた。その頭を優しく撫でる。喉から漏れる掠れた嗚咽が、優菜の心をも静かに濡らしていく。


「あっ、そういえば。あさがおちゃん」

 突然振り返り、智を、そしてこちらへも視線を送ってくる。

「あさがおちゃんって、パスポート、持ってる?」

「パスポート?いいえ、持ってないけど……」

 突然の質問に、智はおろか、優菜たちも意図が読めずにいる。

「あら―残念。ママね、今日中に帰らないといけないの」

「は、はぁ」

「だから、パスポート持ってないあさがおちゃんは連れていけないわね」

「はぁ、まぁ……はぁ!?」

 智が驚きの声を上げる。見守っていた同好会メンバー+一名も、突然の展開に誰一人として着いていけない。

「だからね。暫くは嗣縁ちゃんの家にお世話になりなさい」

 皆の、自分の娘の動揺する姿すら見えていないかのようにあっさりとそう言って、にっこりと智を見つめる。

「えっ、でも……ママはそれでいいの?」

 未だに何が起こっているのか分からない様子で、智が母親に尋ねる。そんな智を抱きしめ、

「それじゃあ元気でね、智ちゃん」

 微かに聞こえた声。智を、智ちゃんと呼ぶ声。

 抱擁は一瞬で、すぐさま振り向き、歩き出す。その背に、小さな影が飛び込む。

「ごめんなさい……ありがとう、お母さん」

 智の感謝の言葉は果たして届いたのだろうか。智が離れると、上半身だけ振り向き、その頭を一撫でする。そして、今度は僅かたりとも振り向く事なく立ち去っていく。

 やがて、その姿が見えなくなっても、智はそちらを見つめ続けていた。




 自室のベランダから見える中庭と校舎は既に暗い。緑星祭も無事終わり、その余韻を残す事無く校内は静まり返っている。

「優菜ちゃん、聞きたい事があるのですが……」

 声の方を見ると、ベランダの仕切り版の隅から魅由が顔を覗かせている。

「あの舞台の脚本ですが、どうして最後は親子二人で生きていくようにしたのですか?」

 魅由の言う通り、劇の最後は、踊り子と妃が国を出て、二人で生きて行くという展開にした。

 そもそも、あのシナリオは智をここに、星ノ杜に残してほしいという想いを込めて作成した。それなら、最後は離れ離れになっても心は通じているとか、そういう展開でもよかったのかもしれない。魅由もそう思ったからこその疑問なのだろう。けど、優菜はそうはしなかった。それは、

「私の想いだけで話を作ってしまうのは、違うと思ったから」

 それが優菜の出した答えだった。

 今回の件で、優菜は色々と思い知らされた。いつも一緒に居る人達でも、考え方はそれぞれ違うし、意見が食い違う事もある。そして、その中には、一生かかっても理解できない事だってあるのだろう。

 けど、分からないからと目を逸らさずに、そういう考え方もあるのだと受け入れる事が大切なのだと教えられた。

 だからこそ、最後は親子で一緒に生きていく道を選んだ。夏奈子が親と一緒に暮らせることを何よりも大切だと思っているように。智の今度こそ上手くいくのではないかという淡い希望を後押しするかのように。

「優菜ちゃんは……強いですね」

 魅由はそう言って、少し寂しげに笑う。

「そうかな?私なんて皆がいてくれなかったら何もできないよ」

 現に、優菜一人では気付けなかった。皆が優菜の事を信じてくれて、教えてくれたからこそ、辿り着けたのだと思っている。

「そんな事ありません。だって、私は優菜ちゃんのその強さに支えられているのですから」

 そう言って、こちらに手を伸ばしてくる。

「だから……これからも私を支えてくれますか?」

 不安げな瞳で、こちらを見つめてくる。けど、不安がる必要は無い。魅由の手を掴む。その冷たくなってしまった心を温めるように。

「勿論。私はいつでも魅由の傍にいるよ」

 重なり合った手から伝わった想いは、やがて惜しむように離されても、決して消えることは無かった。




 翌日。歌劇同好会部室にて、緑星祭の打ち上げが行われた。

 ささやかながらもお菓子と飲み物を持ち寄って、部室へと次々と集まる部員+一名。

 残るは、夏奈子と智だけなのだが。

「皆ー、お待たせ―!」

「こらこら夏奈ちゃん。扉を開ける時はノックしなさいといつも言っているだろうに」

 相変わらずのやり取りをしながら部室に入ってきた二人組だが、

「えっ!?と、智!?」「……智?」「あら」「まぁ」「えっ、えー!?」

 皆、智を見て、それぞれの、だが驚きのリアクションをする。それもその筈、智は髪をばっさり切っていた。今は魅由と同じくらいの肩にかからない程度の長さだが、跳ねている毛先を考えると、もう少しはありそうだ。

「な……な……ななななな!!」

 と、即座にリアクションできなかった変人が、唸り出したかと思うと、

「な、ななぁ~ん!嘘だ~、嘘だっと言ってよ~。私のゆるふわ美幼女ちゃ~ん!」

 突然の号泣。というか、ななぁ~ん!って何なのだろう。鳴き声なのだろうか。はっきり言って変だ。

「そこ!人を変な形容詞で呼ばないように!あと、私物化も禁止!」

 思わず智が突っ込むが、片眼鏡の耳には届かない。ソファに崩れ落ちた沙紗を慰めようと咲恋が隣に寄り添うが、暫くは泣き止みそうにない。

「あ、あはは。まぁ、全員揃ったし、打ち上げ始めましょうか」

 燈火があっさりと諦めて、打ち上げを始める。この子もだいぶ変人の扱い方が分かってきたと見える。

 その後は皆、思い思いに打ち上げを楽しんだ。


「でも、本当思い切ったね」

 隣に座る智の髪に、思わず手が伸びそうになるのを堪える優菜。いやいや危ない、変人片眼鏡じゃあるまいし。

「ん?別に触ってくれて構わんよ」

 だが、そんな優菜の様子に気が付いた智は、ほれほれと髪を揺らしてくる。

「あ、そう?それじゃあ、お言葉に甘えて」

 おそらく朝一に切りに行ったのだろう。カットしたての髪は指先にさらさらとした感触を与えてくれる。

「どうだい?変じゃないかね?」

 優菜の指の感触がこそばゆいのか、少し紅葉した頬で聞いてくる。

「うん、似合ってる。とっても可愛いよ、智」

 優菜がそう言って、髪を触っていた手を紅く染まった片頬にあてがう。

「そ、そうか。それならいいのだが……それにしても、全く君ってやつは」

 ぼやきながらも、頬に温もりを与えてくる手のひらに体重を少し預けて目を瞑る。

 その幸せそうな表情をもっと見ていたい……例え何時か、二人を別つ時が来るのだとしても。それまでは決してこの温もりを離したりはしないと、優菜は心に誓った

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