優菜の出した答え
消灯した部屋の机にて。小さな明かりを頼りに優菜が脚本に向かい合っている。
智は、既にベッドで静かな寝息を立てている。律儀に半分のスペースを空けて。
「優ちゃんもベッドでちゃんと寝るように」と釘を刺されているので、朝起きた時に床で寝ていようものなら、大激怒されそうだ。
そんな智の寝顔を見ていたら、スマホに着信が入る。何となくそろそろかなと思っていたので、内容を確認せずにベランダに出る。
「こんばんは、魅由」
「……こんばんは、優菜ちゃん」
魅由が、落ち込んだ様子で待っていた。
「……智は?」
「もう寝てるよ。今日も色々あったし、疲れているんだろうね」
その一因は優菜にもある。だが、申し訳ないと思う反面、話してもらえて良かったと思ってもいる。
人の心というものは、本当に複雑だ。
「そう……ですか」
そして、魅由の心にも暗雲が立ち込めている。原因は、日中の夏奈子とのやり取りだろう。
あの時の夏奈子の発言が、優菜には理解できなかった。そして、それに激怒した魅由もそうだろう。
智の焦燥した姿を見て、どうしてあの親を名乗る人と暮らす事が幸せだと言えるのか。
だが、それこそが、優菜が、そして魅由が、自分の物差しでしか物事を考えていなかった証拠だ。
『でも、それって優菜さんの考え方だよね』
今日の一葉の言葉を思い出す。物事に対する考え方は人それぞれで、時にはそれを理解できない事もある。
『あの人がね、褒めてくれたんだ。この髪を』
先程の智の言葉を思い出す。優菜にとっては呪いの言葉でも、智にとっては希望となり得た。
人の心というものは本当に難しい。時には深く共感したり、逆に理解できない事もあるだろう。
だけど、理解できないからって、否定だけはしてはいけない。分からなくても、その人の考え方を、気持ちをしっかりと聞いて、尊重することが大切なんだと思う。
だから、今なら分かる気がする。夏奈子があの時言った、その意味を。
『んー、でもこれからは親と一緒に居られるんだし、ハッピーじゃないの?』
それが、夏奈子の考え方なんだ。それを理解できるかどうかは別として、一つの意見として受け入れなくてはいけなかったんだ。
「夏奈子は親と一緒に暮らせることを何より大切に思っているんだね。だけど、私たちはその事を理解してあげられなかった」
「……はい。だから、夏奈子が何を言っているのか、分からなかった」
魅由が寂しげに呟く。彼女は聡明だ。恐らく、一人で悩み、考えていたのだろう。そして、答えに辿り着いた。それが、優菜と同じなのかは別として。
「だから、私、夏奈子に謝らなければいけません」
やっぱり魅由は強い。自分一人でも答えを見つけ、誤りだと気付いたなら、きちんと自身を正す事が出来る。
「……あの、でも」
と、急に少し照れた様子に変わる。
「できれば、ですけど。優菜ちゃんも一緒に来ていただいてもいいですか?」
なんだか急に弱気になって、人差し指同士を擦り付け合わせる。時折、わざとやっているんじゃないかと思う事もあるのだが、そういう魅由も可愛い。そんな魅由に対して二つ返事以外できる筈もない。
「うん。それが魅由の力になるのなら」
優菜の返事に、花が咲いたかのような笑顔を見せる。
「も、勿論です!優菜ちゃんが一緒なら、私はそれだけでもう!」
もう!もう!と繰り返しながら、両手を握り、肘から先を上下に振る。
そんな仕草も可愛いのだが、それよりも思いついた事がある。
「そうか……」
優菜の中で思いついたアイデア。それを直ぐにでも形にしたくて、でもそれを閃かせてくれた魅由には感謝の気持ちを伝えておく。
「優菜ちゃん?」
突然呟きだした優菜を見て、心配そうな表情を浮かべている魅由の手を取り、ぶんぶんと振り回す。
「ありがとう、魅由!私、頑張るよ!」
「えっ?ええっ?」
「それじゃあ私、部屋に戻るから!おやすみ、魅由!」
困惑する魅由を置いて、部屋に戻る。
「お、おやすみなさい、優菜ちゃん。って、ええっ?」
最後まで何が起こったのか分からないといった感じの困惑を残して、優菜は机に向かい、ペンを握った。
翌日、早朝。
「で、できた……」
優菜の目の前には、一冊の脚本。
あれから貫徹で仕上げた一品である。
「むにゃ、優ちゃん?」
と、優菜の呟きに智が目を覚ます。
「あー、智、おはよー」
一方、優菜は今にも倒れそうな程ふらふらだ。
「むー。もしかして、床で寝たな」
律儀に半分空けてあったスペースを手で触り、温もりが無い事を確認している。そこへ、
「って、ギャー!!」
ふらふらと近づき、ダイブする。ついでに智を押し倒す。
「昨日も思ったけど、ギャーは酷すぎない?」
「っていやいや。吃驚したら言っちゃうだろうに。というか、優ちゃん?」
優菜の意識は既に無い。私に五感が宿る暇も与えず、眠りに落ちた。
「えーっ、寝てるー?もしもーし、優ちゃーん。ってか、あれ、私、抜け出せない?ぬぐぐぐぐーっ、むぐーっ……無理」
諦めて、全身の力を抜く智。
結局、智が抜け出せたのは、魅由が朝ご飯の誘いに来たのに何も反応が無い事を心配して、寮母さんに部屋の鍵を開けてもらい、突入して来てからだった。
「本当全く!信じられません!」
「ううっ、ごめんなさい」
朝食時、先程のバタバタで、食堂にはもう殆ど生徒は残ってはいない。その中で優菜と魅由、そして智が三人で朝食を摂っていた。
ルミと沙紗は、優菜たちが現れないので先に食事を終え、今頃は登校している頃だろう。
「まぁまぁ、みーちゃん。優ちゃんだって頑張ってたんだし」
智が、ぷりぷり怒る魅由を何とか宥めようとしてくれる。
「それは分かりますけど、徹夜なんて……」
「はい。ごめんなさい」
最早優菜は謝る事しかできずにいる。
「それに、あろう事か、智とべ、べべ、ベッドで、あんな事を……」
「いや、それは誤解だって。徹夜明けのあまりにもの眠さについ押し倒しちゃっただけだから」
「お、押し倒し!?う、うら、羨まけしかりません!」
優菜の言い訳はどうやら火に油だったらしく、何だかよく分からない言葉で叱られる。それがどういう意味を持っているのか、理解できそうで、微妙にできない。何とも妙な感じだ。
「みーちゃんや。独占欲が強すぎるのも問題だぞ」
「んなっ!?ど、独占だなんて……そ、そんな事は……」
というか、さっきから魅由が面白すぎる。怒ったり、照れたりと大忙しだ。けど、ここで笑うわけにもいかない。手は無い事も無いのだが、智がいるのであまり使いたくないし。なので、しゅんとしておく。
「それより優ちゃんや。脚本は仕上がったのだね」
と、良い感じに智が話題を逸らせてくれる。魅由も脚本の事は気になっていたのか、瞬時に冷静さを取り戻して、こちらに注目してくる。
「あ、うん。一気に書き上げたから、細かな修正は必要だと思うけど、今日の放課後までには見せられると思う」
「そうか。やったね優ちゃん」
「はい。流石優菜ちゃんです」
智がニヤリと笑い、魅由が素直に喜んでくれる。何だか、久しぶりのこういったやり取りに優菜もほっとする。
「あ、優菜ちゃん。出来れば朝の内にしておきたいのですが」
朝食が終わり、トレイを戻している時、魅由が優菜にこっそりと伝えてくる。
魅由は、昨日決意した事を早々に実行に移すようだ。と言っても、夏奈子の事だ。魅由に謝られても、何のことか分からない可能性もあるだろう。寧ろ、その可能性の方が高い気がする。けど、これは魅由にとって前に進むためのけじめでもある。
だから、優菜は頷く。それだけで気持ちが伝わったのか、魅由が和らいだ笑顔を浮かべた。
「はぁ……」
そして、一限が始まる前の教室前にて。魅由が盛大に落ち込んでいた。
「ま、まぁまぁ魅由。相手は夏奈子だし」
と、優菜もどうフォローしていいのか分からず、適当なことを言う。というか、夏奈子だしって理由は酷い気もするが。
先程、登校してきた夏奈子を捕まえて、魅由が昨日の事について謝ったのだが、
「えっ!?なんで魅由、謝ってるの!?」
と、全く分かっていないというか、ある意味予想できた反応が返ってきた。
その事について、魅由は色々説明したのだが、
「んー、だって、私と魅由は違うんだし、そんなの当たり前だよ!」
と、優菜と魅由が一日中悩み続けて出した答えを、いともあっさりと口にした。
「うう……」
そして、この様である。
「もー!魅由ってば気にし過ぎなんだってば!」
「いやいや夏奈ちゃん。君は気にしなさ過ぎだぞ」
「えー!?そうかなー!?優菜はどう思う―!?」
と、優菜に抱き着いてくる。
「うわっ、夏奈子!?」「ちょ、どさくさに紛れて!」「あははははー!」
もみくちゃである。
「おっと、そろそろ授業が始まるな。みーちゃん、行こうか」
「あう、智、でも、って夏奈子!いい加減優菜ちゃんから離れなさーい!」
智に手を引かれながら離れていく魅由の声が廊下に響く。
「また後でねー!」と、手を振る夏奈子に抱き着かれながら、日常が戻ってきた気がしていた。
放課後の歌劇同好会の部室。
優菜が徹夜で作り上げた脚本を部員の皆+一名に見てもらっている。
「ふむ。これが優菜ちゃんの出した答えという訳か」
片眼鏡の変人こと、沙紗が第一声を上げる。何やら頷いてはいるが、優菜としては早く感想を聞きたい。
「うん。いいんじゃない?」
「ええ、問題無いと思う」
部長である燈火と、前部長の咲恋の二人からは好評のようだ。
「うん!最後はハッピーエンドだね!」
「いえ、ハッピーでは無いとは思いますが、良いとは思います」
夏奈子が右手の親指を立てて、魅由がそれに突っ込みながらも好感触を示す。
「優菜さん、この短期間でよく頑張りましたね」
ルミがこれまでの優菜の努力を労ってくれる。その言葉に思わず目頭が熱くなるが、今はまだ早い。
智は、ラストシーンを何度も読み返している。やがて、何度目かが終わった時、
「全く、優ちゃん。君ってやつは」
そう言うや否や、優菜に飛び込んでくる。
「ええっ、と、智まで!?」「おー?」「なっ」「んぐふっ!?」「ええーっ!?」「あらまぁ」
様々なリアクションが響き渡る中「うぐっ!?」優菜の脇腹に走る痛み。智のボディブローが優菜の脇腹にクリーンヒットしていた。というか、何で殴られてるの?
思わず蹲る優菜を見て、智が高らかに笑う。
「わーっはっはっはー!参ったか―!」
いや、意味わからないんだけど。
「ゆ、優菜ちゃん!?」「おおー!智、やるな―!」
心配する魅由と、智を絶賛する夏奈子を尻目に、智の手が優菜の頭を包み込む。
「ありがとう、優ちゃん」
そう言って、頭を撫でてくれる。もしかしてとは思うが、これをやりたいがために優菜を蹲らせたのだろうか。
「ど、どういたしまして」
と、解せぬ気持ちを飲み込んで答えておく。
「さーて。では、新しい脚本もできた事だし、緑星祭に向けてがんばろー!」
「おー!」
智の掛け声に答える皆の気持ちはそれぞれ違うのだろう。だが、目指すところは一つ。そこに向けて進んでいくのみだと。そんなみんなの想いが伝わってくる。
だけど、自分も一緒におー!って言いたかったなーと思いつつ、小さな手の為すがままにさせていた。
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