転校

 翌日。歌劇同好会部室にて。全部員+一名が集まっていた。

「……転校?」

 咲恋の呟きに、無言で頷くあさがおの表情はいつも通りに見える。

 あさがおの話を要約すると……

 昨日の合宿後、家に帰ると母親が待っていた。

 今まで母親とは別居していて、叔母の家にお世話になっていたのだが、昨日、漸く迎えに来たという。

 その事自体は喜ばしい事だと思う。今まで離れ離れだった親子が、これからは一緒に暮らせるのだ。

 問題はその母親が今、住んでいる所にあった。

「北米は、流石に遠いわね」

 ルミが途方に暮れた声を上げる。彼女も、生まれ育った母国を離れてこの学校に通っている。思うところもあるだろう。

「本当、あの人は、突然姿を見せたと思ったら海外に住んでるなんて」

 呆れた口調で話すあさがおだが、今はその軽口で笑える状況ではない。

「で、でも急すぎない?事前に連絡とかは無かったの?」

 燈火が当然の疑問をする。確かに、あさがおの話を聞く限り、昨日、急に迎えに来たようだが。

「……そんなの、あるわけないよ」

 まるで、その事が当たり前かの様に。

「連絡も無しにって、それって強引過ぎませんか?」

 その事に、筋が通っていないと魅由が憤る。曲がった事が嫌いな彼女らしい。

「しょうがないよ。そういう人なんだ。全く困ったものだよ」

 あはは、と笑うあさがおの表情に笑顔は一欠片も見られない。

「……そもそも、普段から連絡は取っていたのかね?」

 沙紗の疑問。それは、彼女だけではなく、ここにいる全員が思っていたことで、だが、言い出せなかった事でもあった。

「……無いよ。あの人は、ずっと行方不明だったからね」

 母親の事を、あの人、とか、そういう人、と呼んでいる時点で薄々勘付いてはいたが、やっぱりそういう事か。


 あさがおは、育児放棄の末に、叔母である大場嗣縁の家でお世話になっていたのだ。


「そんなの、勝手すぎます!」

 魅由が憤怒し、テーブルを叩きながら立ち上がる。その顔は紅く、瞳は潤んでいる。こんなに怒りを顕わにしている魅由を見るのは初めてだ。

「魅由」

 優菜も立ち上がり、魅由の背中を撫でる。

「だってそんなの!智の事、全然考えていないじゃないですか!」

 だが、魅由の怒りは収まらない。その震える肩が優菜の心をも揺らすようで、不安を加速させていく。

「親権はまだ母親にあるのかね?」

「うん。嗣ちゃんとは養子縁組を組んでいなかったから」

 沙紗が少しずつ情報を引き出す。

「行方不明だったって言うが、どれくらいから?」

「沙紗、ちょっと」

 堪らずルミが止めに入る。それは流石に踏み込み過ぎだと。

「いや、いいんだ。小学五年生の時かな。突然いなくなって」

「それで叔母に引き取られたって事?」

「正確には、私が嗣ちゃん、叔母の家を訪ねて、あの人が行方不明になったって言ったら引き取ってくれたんだ」

「つまり、警察や児相の世話にはなっていない訳か」

 あさがおが静かに頷く。

「んー」

「どうなの、沙紗?」

 咲恋が静かに唸る片眼鏡に尋ねる。彼女は随分と沙紗を信用しているようだ。と、そこに、

「ルミさんはいますか!?」

 突然、部室のドアが開いたかと思うと、駆け込んでくる人が一人。星ノ杜の教諭で、寮母の一人でもある新城奈緒美が、息を切らせて部室へ入り込んできた。


「新城先生、どうしました?」

「それが、大変なんです!ああ、智賢さんもいたのね。丁度良かった」

 智がいて丁度良かったって、まさか。嫌な予感がするのは優菜だけではないだろう。この状況で考えられるのは……

「智賢さんのお母様が訪ねて来て、娘を退学させますって」

「ええっ!?」

 全員の声が重なる。

「なので、ルミさんと、智賢さんも一緒に来て下さい」




 職員室横の応接室。その扉前で、優菜たちは待機している。

 今、応接室には、理事長、校長、学年主任の新城奈緒美、そして、生徒会長のルミ・ティッキネンが、智の母親と話し合いをしている。その話し合いには智も同席しているが、今の彼女の心情を考えると、気が気ではない。

 故にこうして扉前で待機しているのだが。

「随分、時間がかかってるね」

 燈火の言う通り、新城奈緒美がルミと智を連れて入室してから三十分は経っている。

 話し合いは難航しているのだろうか、それとも……

 皆の顔を見渡しても、不安な表情しか見られない。そんな中、夏奈子だけは何だか普通だ。いや、普通ではない。何せ、一言も喋らずに静かに待機しているのだから。そういえば、部室でも特に何もリアクションが無かった。夏奈子の事だから、魅由のように怒ったりするのかと思っていたのだが……

「はぁ!?」

 と、突然声を上げたのは沙紗だ。何やら片眼鏡に手を当て、よく見るとワイヤレスのイヤホンを片耳に填めている。

「……沙紗、あなたまさか」

 咲恋がジト目で片眼鏡に詰め寄っていく。

「えっ、な、何?別に盗み見なんかしてないよ?」

 明らかに怪しい言動。というか、盗み見って。と、気が付いたら沙紗の顔から片眼鏡が無くなっていた。

「あれっ!?って、咲恋、あんたねー!」

 咲恋はいつの間にか奪い取った片眼鏡の内側を見ている。そこには、応接室の映像が映っていた。どうやら防犯カメラの映像のようだが……この人、何してるの。というか、この片眼鏡にそんな秘密があったなんて。

「やっぱり。こういう事だと思った」

 呆れ顔で睨む咲恋の手元にある片眼鏡を皆で覗き込む。そこでは、中にいる人たちの何人かが、扉に向かって歩いてきていて。


「あら?」

 開いた扉から出てきたのは、智と、スーツを着た女性。

「智!」

 思わず魅由が声をかける。だが、智の反応は薄く、下を向いたままだ。

「……はぁ」

 スーツを着た女性が溜息を吐き、困ったような表情を見せる。

「あさがおちゃん。どうして皆あさがおちゃんの事、智なんて可愛くない呼び方をしているの?」

「そ、それは……」

 スーツの女性の言葉に、びくっと肩を震わせる。スカートを両手で掴んでいる手は、小刻みに震えている。

「あさがおちゃんには、あさがおちゃんって可愛い名前があるのに、どうしてかしらねぇ?」

 スーツを着た女性の問いかけにまともに返事ができずにいるあさがおの顔色は真っ青だ。

「まぁいいわ。あさがおちゃん、ママはホテルに帰るけど、あさがおちゃんも一緒に来るよね?」

「えっ?」

 あさがおの今の状態を、震えを、怯えを、顔色すら、何も見えていない様子で、

「そうだ。久しぶりにママと一緒にお風呂に入りましょ」

 勝手に話が進んでいく。当人の気持ちなんてお構いなしに。

「ちょっと待ってください。智はこれから歌劇同好会の練習があります」

 何も言えないあさがおに代わり、魅由がスーツの女性に話しかける。

「歌劇、同好会?」

 魅由が智と呼んだことに一瞬顔色が変わったように見えたが、少し考える振りをして、

「ああ。あさがおちゃんが主演するっていう舞台ね。ママ、楽しみだわ。この学校での最後に相応しいわね」

「最……後?」

 魅由の表情が絶望へと変わる。

「ママも、どうせなら素敵なあさがおちゃんが見たいわ。それじゃあママは帰るわね。あさがおちゃん、練習頑張ってね」

 そう言ってその場を後にするスーツの女性。

 優菜たちはその背中を黙って見ている事しかできなかった。




 優菜たちは、部室に戻ってきても、誰も何も話せずにいる。

 あの人は、緑星祭の舞台がこの学園の最後になると言っていた。つまり、智に残された時間は後一週間という事になる。

 だが、誰もその事を聞くことが出来ずにいる。

「ごめんなさい」

 やがて、ルミが戻ってきて、全員集合する。が、お通夜のような空気は変わらないままだ。

「まぁ、ルミも戻ってきたし、状況をはっきりさせておこうと思うのだが」

 沙紗がソファから立ち上がり智を見ながら声を上げる。

「私から?それとも、自分でするかい?」

「……ありがとう。自分でするよ」

 智の発言を聞いて、再びソファに着席する沙紗の横では、咲恋が不安そうな表情をしている。テーブルを囲んで座っている優菜たちも同じ表情なのは言うまでもないのだが、やはり夏奈子だけは何というか、平静でいるようだ。

「……私は、緑星祭を最後に転校することになったよ」

 あははと笑う顔はとても見ていられない。

「それで智は納得したんですか!?」

 魅由が再びテーブルを叩いて立ち上がる。

「魅由、落ち着いて」

「だって、優菜ちゃん!これではあまりに智が!智が……」

 だが、言葉は最後まで続かない。潤む瞳を見つめながら、優菜は両手を広げる。胸に届いた痛みが、そのまま心の中に浸み込んでいくのを感じる。

「沙紗、何とかできないの?」

 ルミが沙紗に助けを求める。燈火も咲恋も同じように片眼鏡を見つめる。だが、

「正直、難しいだろうね。相手は親権を持っている。今は叔母の家にお世話になっているという事だが、親権者が引き取りを要求すれば応じるしかあるまい」

「でも、その、智ちゃんの話では……急にいなくなったんでしょ?」

 そんな人に子育てができるのかと燈火が問う。ルミや咲恋も同じ気持ちのようで、無言で頷いている。

「行方不明になった時が小学五年生の時で、その時に警察や児相のお世話になっていたというなら、何らかの記録が残っているだろう」

「記録が残っているとどうなるの?」

 咲恋が沙紗の腕にしがみつきながら訪ねる。

「それらの記録から、虐待や育児放棄が認められた場合、親権喪失や停止の申し立てができるし、親が行方不明になったという事なら、例えば今お世話になっている叔母との養子縁組もできただろうね」

 だけど。

 智は、自力で、叔母である大場嗣縁の元まで辿り着いてしまった。

「だから、難しい。いや、難しいなら何とか出来るのだが……」

 沙紗はそう言って口を紡ぐ。言いたくないのだろう。それを言ってしまったら、もう何もできなくなるから。

「優菜ちゃん」

 魅由が優菜の胸の中から見上げてくる。優菜もその瞳に込められた想いに答えたい。けど……


「んー、ねぇ。どうしてみんな悩んでるの?」


 皆が一斉に夏奈子を見る。

「夏奈子?」

 今、なんて言ったのだろう?その様子はいつも通りで、いつも通り過ぎて、不気味すぎる。

 夏奈子は今までの話を聞いていなかったのだろうか。流石の夏奈子でも、そんな事は無いと思いたい。思いたいが……

「だって、智はこれから親と一緒に暮らせるんだよ!」

 それってすごくいい事だね、と。あっけらかんと。いとも容易く。

「夏奈子!今までの話を聞いていなかったのですか!?」

 魅由が優菜から離れて、夏奈子に詰め寄る。

「ええっ、聞いてたよ!?というか、なんで魅由はさっきから怒ったり泣いたりしてるの!?」

 だが、夏奈子はそんな事すら分からない様子だ。とぼけているわけでもなく、本当に分からないかのように。

「どうして?智が……あなたの幼馴染が苦しんでいるのですよ!?」

 それなのにどうして、そんなにあっけらかんとしていられるのかと。

「んー、でもこれからは親と一緒に居られるんだし、ハッピーじゃないの?」

「だ、だから、その親と一緒に暮らすのが辛いんでしょ!?」

「ちょ、ちょっと魅由!」

 それは流石に言い過ぎだと、優菜が思わず間に入ろうとして、

「えっ?でも、智はそんなこと一言も言ってないよ?」

 その言葉に動きが止まったのは優菜だけでは無かった。

「智は……一緒に行きたいと思っているのですか?」

 魅由が愕然とした表情で問いかける。

「……分からない」

 返ってきた返事は、何とも曖昧なものだった。

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