皆のためにできる事を。
「というわけで、これより合宿を開始します!」
週末の放課後、歌劇同好会の部室にて、燈火が高らかに宣言する。
「おー!」とみんなの声が重なる。
星ノ杜には宿泊設備も完備されており、学院内で合宿も可能だ。当然、事前に使用許可が必要だが、その辺は燈火がしっかりと段取りを組んでくれていた。
というわけで、今日から一泊二日、歌劇同好会の合宿が始まる。
宿泊設備は部活棟にある。同好会部室も部活棟にあるので、移動はそれほど時間はかからなかった。
宿泊する部屋の前には『歌劇同好会御一行様』という歓迎看板が置かれている。何だか旅行に来た気分になるけど、学院内の合宿に必要なのだろうか。
ふと、廊下を見渡すと、他の部や同好会も宿泊する部屋の前に集まったりしている。緑星祭前の最後の週末は合宿をする部が多いと聞いていたし、この看板も部屋を間違えないための策なのかもしれない。
部屋の中は広く、十人は余裕で寝泊まりできそうだ。
皆、思い思いの場所に荷物を置いて少しの間寛ぐ、のはいいのだが、
「ほー、こういう所があるとは知ってはいたが、入るのは初めてだなー」
若干一名、同好会メンバーでは無い人物が嬉しそうに部屋を見渡している。当然、こんな無茶を押し通して無理矢理合宿に参加しているのは変人片眼鏡こと、逆那沙紗である。
「私と燈火ちゃんは何度か利用しているけど、普段はあまり使わないからやっぱり新鮮な気分ね」
「はい。また咲恋先輩と合宿できて嬉しいです」
咲恋や燈火も、久しぶりの合宿という事で楽しみにしていたようだ。
「凄く広いね!智、走ってもいい!?」
「こらこら、室内では走ってはいけないといつも言っているだろうに」
夏奈子と智は、相変わらずのようだ。まるで週末に遊びに出かけた親子のような会話をしている。まぁ、子が勝手に走り回らないだけ、分別はあるのだろう。躾が行き届いていて、実に微笑ましい。
「布団などはここに入っているのですね」
「ええ。ユニットバスもあるから、基本的な寝泊まりはこの部屋だけで出来るわ」
魅由とルミは、部屋にある押し入れなどを確認している。しっかり者らしい行動だ。
「それじゃあ、改めて合宿の目的だけど」
燈火が立ち上がり、順に説明していく。
この合宿の目的は三つ。
一つ目は、同好会メンバーの更なるレベルアップだ。これまでしっかりと基礎練習をこなしてきたが、正直まだまだな部分が多々あるとは燈火と咲恋の見解だ。今回の合宿では、各員の不得手なところを強化すべく、練習メニューが組まれている。
二つ目が、緑星祭のゲネプロだ。
緑星祭の開催日は来週末の土曜日だ。当然、講堂では歌劇同好会以外にも、様々な部が発表を行う。それらのタイムスケジュールも既に生徒会によって組まれており、その最終打ち合わせを明日行う予定だ。
衣装や舞台のセット、音響や照明など、本番さながらで行うので、未経験者が多い歌劇同好会にとっては願ってもない機会だろう。ぶっつけ本番で無い事に、安心しているメンバーも多い。
三つ目は、ラストシーンの変更、その為の脚本の手直しだ。
先日、沙紗に言われたことを優菜なりによく考えた結果だった。
当然、優菜の我儘なので断られたら諦めようと思っていたのだが、同好会メンバーは全員賛成してくれた。
だが、未だに完成せずに合宿に入ってしまった。結果、明日のゲネプロは、以前の台本で行う。つまり、ラストシーンだけはぶっつけ本番になってしまうわけで。
本当に申し訳ないと思う反面、メンバーたちも色々アイデアを出してくれたりと、とても協力的なのが素直に嬉しい。
「というわけで、さっそく練習を開始しましょう」
燈火が持っているノートは、優菜が燈火と相談しながら作成した練習メニューだ。今回の合宿のための個別のスペシャルメニューとなっている。
「よーし!頑張るぞー!」
夏奈子が勢いよく立ち上がり、皆がそれに続く。
「んじゃ、私も見学させてもらおうかねー」
「どうせなら、沙紗も一緒にする?」
「あー、それも面白そうだねー」
咲恋の提案に、にししと笑う沙紗の表情は明るい。
「皆、頑張ってねー」
皆が気合を入れる中、優菜は一人、脚本の手直しだ。
「優菜ちゃんも、頑張ってくださいね」
一人残る優菜に、魅由が優しく微笑む。その笑顔に答え、皆を見送る。
やがて、ただ広い部屋に一人となり、若干の寂しさを覚える。けど、そんなこと言っていられない。
「よーし、頑張るぞー!」
先程の夏奈子と同じ言葉で自身を奮い立たせ、テーブルへと向かい筆を取る。長い戦いの始まりだった。
「それでは皆さん!」
「いただきまーす!」
合宿初日の練習後、同好会メンバー+一名は、学食に集まっていた。
フードコート形式となっている星ノ杜の学食は、普段は夕方頃には料理の提供を終えるのだが、緑星祭前などの合宿ラッシュ時には特別に料理を提供してくれる。そして、その献立も特別メニューという事で、皆の目も輝いている。
「はー!やっぱりここの学食は美味しいね!」
「これこれ夏奈ちゃん、そんな慌てなくても料理は逃げないよ」
「優菜ちゃん。これ、美味しいですよ」
「んっ、本当だ。美味しいね」
「沙紗、少しは野菜も食べなさいな。バランス悪いわよ」
「うえ~、折角のスペシャルメニューなんだから、好きに食べさせてよ~」
「私も野菜は食べた方がいいと思うわ、沙紗」
「こんな風にみんなで食事するのって、楽しいわねー」
廻りを見渡すと、他のテーブルでも、様々な部が食事を楽しんでいる。こういう空気、自分には合わないだろうなと思っていた優菜だったが、意外と順応できている事に心の中だけで驚いておく。
こんな楽しい日々が送れるなんて、本当に思ってもいなかった。
そして、それは魅由のお陰だろう。
隣で優しく微笑んでいる魅由を見つめると、こちらに気が付き、目が合う。そしてお互い笑い合う。少し照れくさいけど、幸せな、大切だと思える時間、それを与えてくれた魅由に、優菜は心から感謝した。
合宿二日目。
目を覚ました優菜は、いつもと違う景色に思考が停止する。だがそれも一瞬で、合宿を行っていた事を思い出した後は、ゆっくりと起き上がり辺りを見渡す。
今、この部屋にいるのは、夏奈子、智、燈火、沙紗の四名だ。皆、布団をかぶり、いや、若干一名布団を蹴飛ばしてはいるが、皆、寝息を立てている。「もう食べられないよー」と寝言を呟いているのが誰なのかは、本人の名誉のため言わないでおこう。まぁ、察しの良い人なら気が付くだろうが。
魅由、ルミ、咲恋の姿は見られない。スマホを見ると、五時五十五分。いつも通りの起床時間だ。
両手を高々と伸ばしつつ立ち上がると、先程までの眠気の残滓がどこかへ霧散する。その僅かな浮遊物に捕らわれないように、洗面へと向かう。そこには、
「あっ、おはようございます、優菜ちゃん」
魅由がドライヤーで髪を乾かしていた。
「おはよう魅由。早いね」
髪を乾かしているという事は、朝からお風呂にでもはいっていたのだろうか。
「はい。日課のランニングを終えて、シャワーを浴びたところです」
だが、優菜の予想は外れたようだ。朝風呂をしていたのには違いないが、その前にランニングとか。それも日課となると……
「魅由って、いつも何時に起きてるの?」
「いつもですか?そうですね。目覚ましは五時にセットしています」
あー、それはいつも優菜の部屋の前で待機できるわけだ。更には日課のランニングをこなしているとは。
「五時って、いくらなんでも早すぎない?」
「えっ、そうでしょうか?でも、早朝のランニングは気持ちいいですよ」
そう言って爽やかな笑顔を浮かべる魅由は、特に苦とは感じていないようだ。まぁ、日課となっているのならそんなものかも知れない。
「そうだ。これからは優菜ちゃんも一緒に早朝ランニング、しますか?」
そう提案する魅由の瞳はキラキラと輝いている。しかし、今の時間に起きても眠気を吹き飛ばすのに苦労している優菜には難しそうだ。
「あ、あはは。早起き出来た時はね」
結局曖昧な返答をしてしまう。
「はいっ!その時は、一緒に走りましょうね!」
だが、魅由にとっては喜べる返答だったらしい。これは、早朝のメッセージアプリの返信には気を付けないと。ニコニコと笑顔を向けてくる魅由を見ながら、優菜は自身を戒めた。
講堂でのゲネプロが始まった。
歌劇同好会の出演はお昼過ぎなので、メンバーたちは今も練習に励んでいる。そんな中、優菜は一人、打ち合わせのためにステージ裏にて待機している。
今は建築部と、舞台の設営について最終確認を行っていた。それも無事終え、一息つくことが出来たが、建築部は演劇部や時代劇同好会などの設営もあるらしい。
今、舞台には落語同好会がゲネプロを行っている。その後に出演する軽音同好会は、舞台袖で静かに待機している。
どの部も、緑星祭への意気込みが感じられて、飲まれそうになる。さながら、今の優菜は、大荒れの大海に小舟で挑む無謀な挑戦者だ。だが、ここで沈むわけにはいかない。
一人では無理でも、同好会メンバーがいる。だから、その皆のためにできる事をしよう。
舞台袖から離れて、歌劇同好会の楽屋へ向かう。
そこにはまだ誰もいないけど、午後になれば皆が集まってくる。それまでに少しでも脚本を進めよう。
今の優菜に後ろ向きな気持ちは微塵も無かった。
あっという間に日は暮れなずみ、講堂でゲネプロを終えたメンバーは部室へと集まっていた。
「皆、本当にごめんなさい」
そんな中、優菜は一人、頭を下げる。原因は、脚本が仕上がらなかったからに他ならない。
「優菜ちゃん、そんなに謝らないで下さい」
「そうね。私たちも優菜さんに任せっきりにし過ぎてしまったのだし」
皆が口々に慰めてくれるが、優菜としてはそれが辛くもある。
「ゆーちゃん、大丈夫だよ。まだ時間もあるし一緒に考えましょ」
咲恋が優しい言葉を掛けながら優菜の頭を撫でてくれる。そのお陰か、少し落ち着いてきた。
「そうねぇ。まず優菜さんがどこで詰まっているのか、教えてくれる」
燈火が、書きかけの脚本を見ながら優菜に尋ねてくる。
「はい。私は、今回の話をハッピーエンドにしたかったのですが」
優菜の考えでは、ラストは踊り子と妃が和解して、仲良く暮らせるようになるという内容だったのだが、そうすると、それまでの話の中でどうしても矛盾点が生まれてくる。
まず、この親子が和解するには、預言者が死んではいけない。処刑されたからこそ、踊り子は妃を殺そうとしたのだし、事実を知って、自分にも愛する者を処刑した人間と同じ血が流れている事に絶望したのだから。
なら、処刑を未然に防げたという事にすればいいかというと、そうでもない。
そうなった時、王の嫉妬心はどこへ向かうのか。もしかしたら、王も全てを許して和解するかもしれない。けど、その後は?三人で仲良く暮らせるのだろうか。それとも、踊り子と妃は国を出て暮らすのだろうか。それで二人は幸せに過ごせるのだろうか。預言者はその後どうなるのだろうか。
そう考えると、とてもハッピーエンドとは思えないのだ。
「うーん」
燈火も優菜の話を聞いて悩んでしまっている。
「そうだ!王様をやっつけちゃえば!」
「だからどうして君はそうやって乱暴な方法で解決しようとするのかね」
グーでパンチを繰り出す夏奈子に、あさがおがやんわりと戒める。
「優菜ちゃんは、登場人物、全員が幸せなる事を求めているのですね」
「うん。誰かの幸せのために、誰かが不幸になるなんて」
勿論、それは理想だと分かっている。けど、物語の中でなら、理想通りでもいいのではないかとも思う。
「難しいわね、そういうのは」
ルミがやけに実感の籠った声色で呟く。彼女には、何か、そういった経験でもあるのだろうか。
「沙紗はどう思う?」
「えっ、私?うーん……」
咲恋にいきなり意見を求められ、焦る沙紗。だが、この片眼鏡らしく、「まぁ、この状況で全てを幸せにというのは難しいだろうね」と、あっさりと白旗を上げてしまう。
「……となると、前提条件を変更する必要があるかも」
「前提条件、ですか?」
咲恋の提案に、僅かながらの道筋を期待した優菜。だが、それは魅由の無情な一言によって砕かれてしまう。
「……つまり、シナリオを大幅に変更するという事でしょうか?」
魅由の言葉に咲恋が頷く。それって……
「えー!それじゃあ今まで練習してきたことは!?」
「無論、水泡に帰すだろうね」
夏奈子の突っ込みにあさがおが冷静な、冷徹な言の刃を返す。
つまりは、最初からやり直しになるという事だ。
無論、全てが水に流れるわけではない。
今まで経験してきたことは、確実に身についている。
だが、それでも、同好会メンバーの落胆は大きいだろう。
皆、緑星祭の舞台に向かって努力してきた。研鑽を積んできた。夢見てきた。
それを全て無駄にしかねない、脚本の変更。
正直、このまま元の脚本で演じてしまえば良いとさえ思ってしまう。
けど、駄目だ。
これではいけないと思う。
優菜が、優菜たちが前に進むための舞台。
それを、妥協という形で終わらせたくない。
「ごめんなさい、皆」
優菜が再び頭を下げる。だが、その表情は、自身に対する力不足ではなく、皆に対する後ろめたさでもなく、ましてや、期限までに仕上げられなかった絶望でもない。
希望。渇望。そして、その眼に映るのは、絶え間ない喝采。
優菜は、このメンバーとなら、この人たちとならば、最高の世界を作り上げられるのだと信じている。
だから負けない。自身の弱き心に、皆の期待の眼差しを真っ直ぐ受け止められるように強くなりたい。
「けど、私は仕上げるから」
必ず、きっと。
「だから、待っていてほしい」
優菜の想いが、決意が、どれだけ皆に伝わったのかは分からない。
けど、届いてほしい。届く筈だと。
「分かりました。けど、来週の火曜日までに決まらなかったら、緑星祭は今のままの脚本で行きますからね」
燈火が折衷案を提示してくれる。
「そうね。八重さんも、脚本を作る時はとことんまで追い込んでいたから……ゆーちゃんもできる限りは問い詰めた方がいい」
咲恋さんが理解を示してくれる。
「まぁ、私は優菜さんのお願いなら何でも聞いてあげるつもりでしたけど」
「おぉー、久しぶりにルミのツンデレ、見た気がするわー」
ルミも沙紗も、否定すらしない。
「まー、優菜の思う通りにしたらいいんじゃない!?私は優菜の言う事なら何でも聞くよ!」
「こらこら、そんな迂闊なこと言ってしまっていいのかね?まぁでも、今回に関して言えば、夏奈ちゃんに同意だな」
夏奈子とあさがおが背中を押してくれる。
「私は……優菜ちゃんの思う通りに、進めばいいと思います」
魅由が支えてくれる。
「皆、ありがとう!」
優菜は幸せ者だ。こんなにも自身を分かってくれる仲間たちがいるのだから。
だから、これからも大切にしていこう。
例えそれが、明日終わるのだとしても。
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