もしかしたら、私と同じなのかなって。
翌日の放課後。歌劇同好会部室に新たなメンバーが現れた。新たな、というよりは復帰したと言う方が正しいか。
「
畏まって頭を下げているのは、優菜と魅由が歌劇同好会に入るきっかけとなった人物だった。
「うっ、ううっ、うわーん、咲恋せんぱーい!!」
と、いつもと違うテンションで咲恋に抱き着いたのは燈火だ。よほど嬉しかったのだろう、咲恋の胸で声を上げて泣いている。そんな燈火をあやす様によしよしと頭と背中を撫でる咲恋の表情は柔らかい。思わずほっこりするのだが……
「いやぁ、泣かせるねぇ」
何故この変態がここにいるのだろう。相変わらず出鱈目に編み込まれた三つ編みと片眼鏡が特徴的な、この学院では色んな意味で有名な危険人物、
「というか、どうして逆那先輩がここにいるのです?」
最上級生だろうと容赦なく突っ込んでいく魅由が、沙紗をジト目でねめつける。
「あれれー?魅由ちゃん、そんなこと言ってもいいのかなー?」
そんな魅由の冷酷な突っ込みに対しても、へらへらと躱す沙紗は、かなりの大物なのかもしれない。
「魅由さん。この間も話したけど、沙紗が咲恋さんを説得してくれたのよ」
このままでは話が進まないと思ったのか、銀髪紅瞳の美女、生徒会長でもあり、昨日歌劇同好会に参加できなかった唯一のメンバーでもある、ルミ・ティッキネンが沙紗がここにいる理由を説明してくれる。
確かにルミの言う通り、咲恋を同好会に復帰させるために動いてくれていたのは確かだろう。そして、こうして咲恋は同好会に戻ってきてくれた。それはとても有り難い事ではあるが、
「それは分かりますが、今ここにいる意味が分かりません」
「あの、その事なんだけど」
魅由の疑問に、咲恋が燈火をあやしながら答える。
「沙紗にも、同好会の活動を手伝ってもらおうと思って、それで来てもらったの」
「えっ?」「なっ?」「んー?」「……正気ですか?」
咲恋の言葉に、それぞれのリアクションを返す一年生の四人。
「ぐすっ、それじゃあ、逆那先輩も歌劇同好会に入部するんですか?」
漸く泣き止んだ燈火が、咲恋の腕の中から問う。
「うんにゃ、入部はしないよ。あくまで協力するってだけさ。なので優菜ちゃんや」
「あ、はい」
タブレットを持って近づいてくる。「ほらここ」「えっと、協力部の所ですね」「そうそう。そこに」「はい。届きました?」「うん、オッケー。承認っと」
優菜の持つタブレットの画面には[緑星祭参加申請書]が映っている。その協力部の欄には、建築部、造作同好会、裁縫部、放送部と、今しがた追加された逆那工作ラボの文字が表示されている。
「というわけで、これからよろしくー」
ニコニコ、というよりかはニヤニヤと笑う沙紗に、不安を隠しきれないのは優菜だけではあるまい。
お願いだから、問題を起こさないで下さい、と思わずにはいられなかった。
「さーて、では気を取り直して、今日の歌劇同好会は―?」
と言いながら、その場で一回転をして、ホワイトボードを右手で指し示すのは、すっかり司会役として定着してしまったあさがおだ。というか、この前も同じ動きを見たのだが、気に入っているのだろうか?
「ズバリ、緑星祭で行う演目決定戦!の、一本三十分スペシャルだ」
ホワイトボードには、あさがおの宣言通りに緑星祭の演目決定戦と書かれている。というか、一本三十分スペシャルって?
「わーい!智ー!ひゅーひゅー!」
相変わらず若干一名程、大いに盛り上がっているが、他のメンバーはこの前と同じ面持ちで見守っている。
そして、以前の部室にいなかった内の一名は、あさがおの謎の動きに唖然としている。まぁこれは正常な思考の持ち主程、衝撃的だろう。隣に座るもう一人の袖を掴んでいるところを見ると、かなり混乱しているようだ。
その、裾を掴まれているもう一人は「んふっ、んぐふっ」とこれまた不気味な笑いを漏らしている。正直、気持ち悪い。
「では、やってみたい演目がある人はどうぞ」
そんな様子を気にすることなく、あさがおが進行する。
「ふむ。では、希望のあった演目は二つという事で」
結局、希望を出したのは魅由と夏奈子だけだった。
「どちらも、八重さんが脚本作成した演目ね」
「はい。有馬先輩の脚本はとても素晴らしいです」
どちらの脚本も手掛けたであろう有馬八重という人物は、前々歌劇同好会の部長で、つい二か月ほど前に星ノ杜を卒業したOGだという。現在は大学に通っているというのは咲恋からの情報だ。
「まぁ、ここは公平に多数決かね」
「そうねー、それが無難かしら―」
「あ、その前に脚本を確かめてもいいかしら?知らない内容では決めようがないわ」
あさがおと燈火の進行に、ルミが待ったをかける。そうして、一度読んだことのあるものも、今一度、内容を確かめる。
その後、多数決を取った結果、
「では、今回は夏奈ちゃんの選んだ演目で」
同好会メンバー七人中、四名の票を集めた、生き別れの母親を探す娘と、その母親の愛憎劇に決定した。
優菜はユニットバスから出て、水を一口飲んで、一息つく。
今日は、演目が決まった後、緑星祭の申請を行った。その後は、脚本を作成した有馬八重に連絡を入れ、使用許可と改変許可をいただいた。
彼女の作成した脚本は時間にすると五十分程度だという。ただ、今の歌劇同好会は始めたばかりの初心者が多いので、二十分くらいに縮めて公演することになった。
快く許可してくれた事に感謝しつつ、残りの時間は脚本を詰める作業に取り掛かった。
優菜としては、脚本なんて書いたことも無いが、燈火や、有馬八重がいくつかアドバイスをしてくれたので、少しづつではあるが進めることが出来た。
今後も分からない事があったら気楽に相談してねと、メッセージアプリにも登録してくれたので、脚本については何とかなりそうだ。
優菜がそれらを一人で取り組んでいる間、他の同好会メンバーは練習へと励んでいた。まずは基礎をみっちりと。燈火が作ってきた練習メニューを時間の許す限り行ったと、夕食時に魅由から聞かされた。
と、メッセージアプリに着信が灯る。開くと、魅由からスタンプが一つ。猫のようなものがこちらを見つめている。何故、猫のようなものかというと、その猫っぽいものが二足歩行をしているからなのだが。
ともあれ、優菜はそのスタンプを確認するとベッドから立ち上がりベランダへ出る。そこには、
「こんばんは、魅由」
「こんばんは、優菜ちゃん」
先程、部屋の前で別れた魅由が笑顔で待っていた。
近頃の夜は、こうして魅由とベランダで話すのが日課になっていた。
ただ、タイミングが合わないと待ちぼうけになったりするので、話したい時はスタンプを送り合おうと決めていた。もし、話に出られない時はその旨を返信をすればいいので、優菜としてもこの取り決めはありがたかった。
「いよいよですね、優菜ちゃん」
優菜と二人きりの時の魅由は、本当に表情豊かになった。今もはにかんだ笑顔で優しく優菜を見つめてくる。
「うん。でも、演目は残念だったね」
今日決まった演目は、夏奈子が推薦してきたものだった。魅由も希望を出していたのだが、多数決の結果なので、仕方が無いとはいえ残念だろう。
「はい。でも、多数決で決まった事ですから」
だが、そんな魅由の表情は、そこまで残念そうには見えない。
「因みに優菜ちゃんは、どちらの演目を選んだのですか?」
投票は無記名で行われたので、誰がどの演目に入れたのかは分からない。だから、ここで魅由に入れた、と言っても問題はないのだが、
「私は、夏奈子に入れたよ」
正直に伝える。魅由に嘘は付きたくなかった。
「そう、でしたか」
そう言ってベランダの外に目を向ける魅由。その横顔からは、魅由が何を考えているのか、よく分からない。
「えっと、怒った?」
潮騒がいやに鼓膜に響いてくる頃、優菜はそう尋ねてみる。
「怒るって、どうしてです?」
優菜の質問の意図が読めなかったらしく、魅由が不思議そうに聞き返してくる。
「いや、私が魅由に入れなかったから」
「ああ。いえ、そんな事では怒りませんよ」
ただ、と。
「優菜ちゃんが夏奈子の演目に入れた理由は何だったのかなって」
そう言って、再び闇に目を向ける。夏奈子の演目に票を入れた理由……それは、
「もしかしたら、私と同じなのかなって」
「えっ?」
魅由と同じ理由?それってもしかして。
「あっ、いえその。実は、私も夏奈子に票を入れたので」
やっぱりそうか。負けず嫌いの魅由にしては随分落ち着いているなとは思っていたが、そういう事だったのか。
「優菜ちゃん……私の話、聞いてもらってもいいですか?」
優菜の返事を待つ魅由の表情は少し硬い。少しでもそれが解れるようにと、笑顔で頷く。少し寂し気な笑顔を返してくれた魅由が、ぽつりぽつりと話し出す。
「私の両親は、私が優秀で誠実である事を望んでいます。私は中学二年のあの日まで、それが正しいのだと、そう思って生きてきました」
それが、例え一寸先すら見えない暗闇だとしても、両親の示してくれた道に間違いはないのだと。
「だけど、優菜ちゃんのあのノートを見て、私は光を見つけました。その光は、真っ暗闇だった私の足元を照らしてくれて、道は一つでは無い事に気が付けたのです」
それを教えてくれたのは優菜だと。魅由の瞳がそう語りかけてくる。
「それからは、親に隠れてライトノベルを読んだり、ゲームをしたりして。今もそれらが大好きですし、何なら、私のお勧めを優菜ちゃんにも貸したいくらいです!」
自分の好きな事の話になったからか、若干興奮気味になる。そんな自分に気が付いて「んんっ」と咳払いをして落ち着かせようとする。そういうところも可愛いと思えるのが魅由の魅力だ。
「だけど、それでも、両親の示してくれた道が間違いだとは思っていません。結果的に、私はその道からは外れてしまいましたが……」
一瞬見える魅由の寂しげな表情。そこに在るのは悔恨か懺悔か。
「それでも、私にとって両親は、掛け替えのない誇れる存在なんです」
そう語る魅由の瞳はとても澄んでいて、本当に両親の事が大切なんだなと伝わってくる。
「だからこそ、私は気になってしまいました」
「そっか」
魅由が夏奈子に票を入れた理由。それは、優菜と同じだった。
優菜も、両親の事は好きだし、尊敬もしている。優菜が苦しい時は寄り添ってくれたし、したいと思う事を頭ごなしに否定するような事は一度も無かった。
当然、全ての家庭が上手くいっている訳ではないのも知っている。ニュースでは、虐待や育児放棄などで、幼い命が失われるといった悲劇が起こっていると報じている。その事を耳にするだけでとても悲しい気持ちにもなる。
ただ、それでも分からないのだ。想像すらできないのだ。
この二人の登場人物が、何を考え、どう相手を想い、そしてその結末に至ったのか。
優菜は、それを知りたいと思った。その演目をこの目で直に見れば、或いはと。
それが、優菜が夏奈子に票を入れた理由だった。
潮騒に交じり、汽笛の遠吠えが聞こえてくる。
五月半ばとはいえ、夜はまだまだ冷え込む。
そっと伸ばして掴んだ魅由の手は、驚く程冷たかった。
「そろそろ、戻ろっか」
掴んだ手が反転し、お互いの指が絡み合う。
「はい……おやすみなさい、優菜ちゃん」
「おやすみ、魅由」
名残惜しそうに指から力が抜けていく。
指先に灯った束の間の温もりは、部屋に戻る頃には消えてしまっていた。
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