春深咲恋

―interlude side Sasa―


 漸く星ノ杜に戻ってこられたのは、黄昏時。運動部の掛け声も聞こえない静寂の中、ラボへと向かう。

 私には予感があった。彼女は必ず、そこで待っていると。

 ラボの前に差し掛かり、予感が当たっていたことに安堵する。

 彼女は、私が近づいてきている事に気が付き、こちらに顔を向ける。その瞳には、抗議と疑念と……後は何だろう。

「こんにちは、春深咲恋さん。いや、こんばんは、と言った方がいいかな?」

「……どちらでもいいです」

 今日の彼女は、例のフィルターを纏ってはいない。私の頭の中にある春深咲恋と同一人物に見えている。全くどういう原理なのかと聞きたい衝動を抑え、私はラボのドアを開ける。

「こんな所で立ち話もなんだし、中に入りなよ」

「……お邪魔します」

 素直に入ってくれないかも、と思ったが、それも杞憂に終わり、少々拍子抜けである。


 ラボ内は至ってシンプルだ。中央に大きな実験台に流し台。壁際には実験台に収納戸棚、ドラフトチャンバーなどの実験器具が設置されている。隣の部屋はPCルームになっており、マリーとルージーもそちらにいる。

《おかえり、マスター!》《ご主人様、お帰りなさいませ。》

 と、中央の実験台に座っていたビスクドールと日本人形が声をかけてくる。

「ただいま、マリー、ルージー」

 二体の人形は自力で起き上がり、こちらへ歩いてくる。私は近づき、二体の人形を抱きかかえ、床へと下ろす。人形はそのまま歩いていき、入り口で固まっている人物にも挨拶をする。

《初めまして!私、マリー!よろしくね!》

《お初にお目にかかります。ルージーと申します。以後、お見知りおきを。》

 二体とも、丁寧にお辞儀をする。

「は、はじめまして……」

 流石の彼女もかなり驚いているようだ。

「その子たちが、あなたを見つけてくれたんだよ」

「この子たちが?」

 彼女がマリーとルージーをじっと見つめる。やがて「そう」と一言だけ呟く。

「珈琲でいいかね?」

 マリーとルージーを不思議そうに眺めている彼女を余所に、ビーカーにインスタントコーヒーを入れ、電気ケトルで湯を注ぐ。

「え、ええ」

「奥に行こうか。マリー、ルージー。私たちは今から大切なお話をするから、邪魔しないように」

《分かったわ、マスター!でも、後でマリーとも遊んでね!》

《畏まりました、ご主人様。》

 そう言うと、二体の人形は事切れたように床に倒れる。それらを抱きかかえ、元いた位置に戻すと、二つのビーカーを持って奥へと向かう。後ろからゆっくりと付いてくる気配を感じて、とりあえずは一安心だ。


 奥は居室となっている。実験室とは、収納戸棚でパーテーション分けさせており、ソファにテーブルと、寛げる空間に仕上げたつもりだ。

 ビーカーをテーブルに置いてソファに腰掛けると、反対側に座った彼女が、こちらをじっと見てくる。

「まぁ、とりあえずは一杯どうぞ」

 テーブルに置いてある砂糖瓶に手を伸ばし、自分のビーカーにその中身を5粒入れる。

「あなた……ですよね」

 珈琲を撹拌棒で混ぜていると、ビーカーに手を伸ばそうともせず、いきなり問うてくる。

「ん、何が?」

 白々しく惚けてから一口。うむ、良い甘さだ。

「わざわざ変装していたかと思ったら、その片眼鏡だけは外さずにいるなんて」

「ああ。そりゃわざとだからね」

 そう。春深家に訪れた時、私は片眼鏡だけは外さなかった。彼女の養母に、片眼鏡を填めた人物が訪ねてきた、という情報を流してもらうために。

 その情報を聞いた彼女はこうして訪ねて来てくれた。養母を騙して情報を引き出した事への抗議と、なぜそんな事をしたのかという疑念と……

「……一体、どうして?」あんなことをしたの?と。

「それは、一昨日伝えたでしょ?」

 一昨日の放課後、あのガゼボで、私は用件を伝えた。

「それは、お断りしたはずです」

 その決意は今も変わっていないらしい。

「それに、歌劇同好会は、新しく動き出しています。今更私が戻ったところで……」

 そこで初めて、彼女の視線が外れる。

「私が戻ったら、また、壊してしまいます」

 そう呟き、俯いてしまう。その姿に、私は若干の苛立ちを覚える。

「それって、小学生の時の事件が関係しているとか?」

 そのせいか、つい言ってしまう。こちらから言うつもりはなかったのに。

 彼女が驚いたようにこちらを見る。どうして、それを……と。だが、その表情が寂しげなものに変わるのに、時間はかからなかった。

「あなた、怖い人、なのね」

「気になる事は、何が何でも調べ上げないと、気が済まない質でね」

 寂しげに笑う、その表情がまた私の心をささくれ立たせる。

「話、聞かせてくれる?」

 彼女は静かに頷くと、ぽつぽつと話し始める。



「小学校の頃の私が、どんなだったかはもう知っているの?」

「ええ。お姫様みたいだったって」

「私は、本当にお姫様だと思っていたわ」

「どうして?」

「だって、皆、私の言う事なら何でも喜んで聞いてくれたから。クラスの子も、そうでない子も、大人も、教師も、道行く知らない人でさえも」

「……」

「だけど、ある日、魔女が現れたの」

「魔女?」

「その魔女は、私にこう言ったわ。このままではお前は不幸になるぞ、って」

「不幸に……」

「だけど、その魔女も、私がお願いすれば言う事を聞いてくれると思ってこう言ったの。じゃあ、あなたが私を幸せにして、って。でも、魔女は首を横に振るだけだった」

「それで?」

「私は怖くなって、その魔女から逃げ出したの。でも、その日は怖くてなかなか眠れなくて、次の日も私は怯えていた」

「……」

「その日も、私の周りにはたくさんのクラスメイトが集まっていて……特に良くしてくれていた子も、いつも通りで」

「……」

「そんな風に良くしてくれる子が、その日は妙に癪に触って、つい言ってしまったの……」

「……なんて言ったの?」

「私の前から消えてって」

「っ……」

「そうしたら、その子がふらふらと窓際に近寄っていって、窓枠を乗り越えようとしたの」

「……」

「私は、必死で止めてって言ったわ。周りの子にもあの子を止めてって」

「……」

「でも、止まらなかった。あの子は信じられないくらいの力で、止めようとするクラスメイト達を振り切って。だから……」

「だから?」

「思いっきり叫んだの。もう止めて!って」

「……」

「そうしたら、急にみんな倒れていったわ。さっきの、お人形さんみたいに」

「……」

「私は、怖くなって魔女を探そうとしたわ。あの魔女なら、こんな怖い事から私を助けてくれるかもしれないって」

「魔女は見つかった?」

「直ぐにね。だって、魔女は学校の校庭の隅からこちらを見ていたから」

「監視されていたって事?」

「うん。その魔女は私が怖い事をしないか見張っていたの。そして、私は怖い事をしてしまった。怖い事をした私は、魔女に殺されると思った。だけど……」

「だけど?」

「私は魔女に助けを求めたわ。だって、怖い事をしてしまった自分が一番怖かったから」

「それで、魔女はどうしたの?」

「魔女は、私に、この力の使い方を教えてくれたわ。誰かに言う事を聞かせるだけでなく、人から私だと分からないようにする方法や、見えなくするやり方も」



 彼女が一瞬誰だか分らなくなったと思ったら、姿が忽然と消える。瞬きを二度したら、再び彼女が現れる。

 はっ、馬鹿げている……こんな事が、こんなあり得ない事が、今、私の目の前で起こったのかと。

「最後に魔女はこう言ったわ。この力を悪い事に使えば、私だけでなく周りの人も不幸になるって。だから、気を付けなさいって」

「そう。だからあなたは」

 彼女が小さく頷く。

 自分を、その存在すらも隠して、生きてきたのだ。


 私は思わず乗り出していた体をソファに沈める。

 信じられない……本人の口から聞いた今でも、信じられない事だ。

 彼女には、人を思い通りに動かす力がある。しかも、それだけではない。先程見せたような事もできるのだ。

 彼女は、人間なのだろうか。それとも……北関東の温泉地で見た[生き物を殺す石]の事を思い出す。まさかとは思うが、その石の伝説の由来となった妖怪の生まれ変わりだとでもいうのだろうか。

 ばかげている。彼女の頭には耳も無ければ、ソファに腰掛けている臀部に九尾も無い。

 だが、彼女は人には無い力を持っている。それだけは事実だ。


 話し終えた彼女は俯いている。その姿は、私を妙に苛立たせる。この不可解な気持ちを持て余しながらも、私は話を続ける。そう、まだ話は終わってはいないのだ。


「それなのに、あなたは星ノ杜で歌劇同好会に入った」

 俯く彼女の肩が僅かに揺れる。

「今まで隠れて生きてきたあなたが、再び表舞台に立つきっかけとなったのは、有馬八重さんの影響だね。」

 ゆっくりと持ち上げられた顔は暗い。そんな表情をさせている自分に嫌気が差しつつも先を促す。

「ええ」

 短い肯定の言葉。



「二年前、星ノ杜学院に入学したあなたは、有馬八重さんに出会った」

「そこで私は、歌劇同好会に誘われたの」

「有馬さんは原石を見つけた。と言っていたよ」

「だから、私と一緒に輝きましょう、と言われたわ」

「最初は断られたけど、勧誘期間の舞台を見たあなたは、歌劇同好会に入った」

「その舞台を見て思ったの。私も、もう一度、輝けるかもしれないって」

「その年の緑星祭は、大盛り上がりだったね。今年の高校演劇の大会には、演劇部ではなく、歌劇同好会が出るべきだって声も大きかった」

「全校生徒による投票が行われて、大会には歌劇同好会が出る事となって……」

「そして、全国優勝を果たす」

「それは、本当に奇跡のような時間だった……」

「次の大会にも、歌劇同好会が出場していたな」

「ええ。八重さんから部長を引き継いだ私は、その年も全国優勝を目指したわ」

「だが、結果はブロック大会までだった」

「最初は上手くいっていたのよ。だけど、同好会内の空気はだんだんと悪くなっていったわ」

「それは、どうして?」

「私の……せいだと思う」

「どうしてあなたのせいなの?」

「それは、私が、知らず知らずのうちに、この力を使っていたから」

「あなたの力を?」

「私の人気は、結局この力の影響だったのよ。だって、力を使っていない時の私に、部員たちは付いてきてくれなかった」

「……」

「一人、また一人と部員が辞めていったわ。それでも、大会に出場している以上は、頑張らないとって思って」

「……」

「ブロック大会が終わった後、燈火ちゃんを残して、皆辞めていったわ」

「三七三さんだけは残ってくれた?」

「ええ。あの子は人一倍頑張っていたから」

「でも、そんな後輩を一人残してあなたは辞めてしまった」

「……」

「それは、どうして?」

「……」

「……」

「私……知ってしまったの」

「知った?何を?」

「八重さんが夢を諦めてしまったのを」

「有馬さんの夢は、とある歌劇団に入団する事だったね」

「ええ。だけど八重さんは、その夢を叶える唯一の方法である、音楽学校の受験をしなかったのよ」

「……」

「ある時、偶然聞いてしまったの」

「何を聞いたの?」

「八重さんが夢を諦めた理由は……私だって」



 彼女の瞳に光る大粒は、頬を伝い、雨を降らす。

 その原因を作ったのは私だ。彼女が閉じ込めていた何かを私が暴いてしまった。

 声が聞こえた……気がする。


 助けて、と。


 誰か助けて、と。もう苦しいと。救いを求めている。


 苛つく……そんな彼女を見て、私は苛ついていた。

 思わず立ち上がり、彼女の手首を握る。引っ張り上げ、無理矢理こちらを向かせる。

「いい加減にしなよ」

 自分でも驚く程、低い声が出た。

「さっきから聞いていれば、人の事ばかりで!あんたには自分の意思ってもんが無いのか!?」

 違う。こんなことが言いたいんじゃない。

 だが、止まらない。感情に歯止めが利かない。

 その事が私をより加熱させていく。

「確かにあんたには、訳の分からない力ってのがあるんだろうよ!そのせいでトラブルになった事があったのは認める!けど、それも含めてあんたって人間だろ!」

「けど、この力のせいで、また誰かが不幸になるのは嫌なの!」

 まだこの期に及んで、誰かとか。

「そんなの、力があろうとなかろうと一緒だ!人は生きている限り、誰かを不幸にしてるんだよ!」

 今、私があなたを不幸にしているように……そんな自分に心底嫌気が差し、更に苛つくのを止められない。

「けど、それで自分のやりたい事ができないとか、つまらないだろ!あんたはそれでいいのかよ!」

 そうだ。私が見た彼女は輝いていた。講堂で大歓声を受け、嬉しそうに微笑む姿。私はそれを知っている。知っているからこそ……

「それに、歌劇同好会が滅茶苦茶になったのだって、別にあんたの力のせいじゃないだろ!」

「どうして……どうしてそう言い切れるのよ!」

 売り言葉に買い言葉で、彼女もだんだんと感情を露わにしていく。

「分かるよ!あんたが本気でその力を使えば、誰だって言う事を聞かせられるんだ!そうならなかったのは、あんたが力を使ってなかったって事なんだよ!」

「だから、力を使わなかったから部員が辞めていったって言ったじゃない!」

「ああ!だから、部員が辞めていったのはあんたの努力不足だ!」

「なっ!」

 まさかの別の理由に、彼女が驚く。

「辞めていった子たちから聞いたよ!あんたは高いところばっかり見ていて、周りにいる部員たちの事なんて見向きもしなかったって!」

「そ、そんなの……」

 やっぱりそうだ。彼女は、辞めていく部員に対して、いや、まだ残っている部員に対しても、何もしてこなかったのだ。

 孤高。

 彼女は、その高みを目指すあまり、部員たちを導こうともしなかった。

 結果、一人を除いて辞めていってしまった。

「有馬さんの事だってそうだ。彼女は話してくれたよ。音楽学校を受験しなかったわけを」

「……八重さんは、なんて?」

 そして、同じように、有馬さんにも聞かなかった。全く、とんだ悲劇のヒロインもいたものだ。

「有馬さんは夢を諦めたんじゃない。ただ、夢が変わっただけなんだ」

「夢が、変わった?」

 夢というものは一つではない。いくつあってもいいし、変わってもいいんだ。

「今の有馬さんの夢は、あんたみたいな原石を見つけて、輝かせることだよ」

 彼女の目が見開かれる。その目をじっと見つめて、

「だから、あんたが気にすることは無いんだ」

 やりたい事をやればいいんだと、その瞳に問いかける。

 大粒の雫は、もう溢れてはこなかった。

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