第三章

続:第一回、歌劇同好会、部員ゲットしちゃおうぜひゃっはー!会議

 むかしむかし、ある所に、お姫様がいました。

 お姫様は、とても可愛くて、周りにいる人はみんなお姫様の事が大好きでした。

 お姫様の事が大好きなみんなは、お姫様の言う事なら何でも聞いてくれます。

 お姫様と同じクラスの子も、違うクラスの子も、大人である先生も、道行く知らない人でさえ、お姫様がお願いすれば何でも叶えてくれます。

 だから、お姫様は幸せでした。

 ある日、魔女が現れるまでは。


 魔女はお姫様にこう言いました。今のままではお前は不幸になるぞ、と。

 だけど、お姫様は気にしません。だって、この魔女も、お姫様の言う事は何でも聞いてくれる筈だから。

 ところがどうした事でしょう。お姫様がいくらお願いをしても、魔女は一つも叶えてくれません。

 怖くなったお姫様は、魔女から逃げました。

 魔女は追いかけてはきませんでしたが、お姫様は不安でいっぱいになってしまいました。


 次の日、学校に行っても、お姫様の不安は消えませんでした。

 お姫様の周りには、今日もたくさんの子が集まってきましたが、不安でいっぱいのお姫様はつい、いけない事を言ってしまいます。

 言ってしまったいけない事のせいで、クラスは大騒ぎになりました。

 お姫様は必死に、いけない事は嘘だからと言いました。だけど、いつもはお姫様の言う事を聞いてくれるのに、今回ばかりは聞いてくれません。それはいけない事なのに、止めようとしてくれません。

 どうしたらいいのか分からなくなったお姫様は、もう止めて!と大声で叫びました。

 すると、どういう事でしょう。クラスの子たちはみんな倒れてしまいました。


 お姫様はその余りにもの恐ろしい光景に怯え、魔女を探しました。

 魔女は、直ぐに見つかりました。何故なら、魔女はお姫様を監視していたのです。

 きっと、この魔女はお姫様がいけない事をしないか見張っていたのでしょう。そして、お姫様はいけない事をしてしまった。いけない事をしたお姫様は、きっとこの魔女に殺されるのでしょう。

 だけど、それでも、お姫様は魔女に助けを求めました。お姫様はいけない事をしてしまった自分が怖くて怖くて堪らなかったのです。


 そんなお姫様に、魔女は一つ条件を出しました。


 お姫様はその条件を受け入れました。


 こうして、お姫様は、お姫様では無くなりました。



―interlude side Sasa―


 中庭の噴水前にあるガゼボの一つに、一人の生徒が座っている。私、逆那さかな沙紗は、その姿をじっと観察している。

 彼女は、噴水の縁に腰掛けている生徒を見ているようだ。

 キュロットスカートを履いている噴水の君は、リボンの色からして二年生だろう。表情は笑顔だが、何やら寂し気な様子だ。上を向いているせいで、肩口くらいの長さのツインテールが、風にそよいでいる。

 私は再びガゼボに視線を戻す。そこには、先程と変わらず、一人の生徒が座っている。

 それだけだ。それだけしか分からない。

 これは何だ?なぜそれだけしか分からない?

 顔立ちは?その表情は?髪型は?ボトムスはスカート?キュロット?スラックス?学年を表すリボン、ないしはネクタイの色は?そもそも、リボンなのかネクタイなのかは?

 これは何だ?なぜそんな事すら分からない?

 この奇妙な違和感を感じつつ、つい先程、生徒会室でしていた会話を思い出す。




「どこにもいない?」

 私の質問に静かに頷く人物の髪は銀色で、まとめられたポニーテールが顔の動きにより僅かに揺れる。その言葉の真意を確かめるために覗き込んだ瞳は紅。見る者全てを蠱惑し、飲み込んでしまいそうな切れ長の瞳からは、冗談を言っているわけではない事が伺い知れる。

 星ノ杜学院生徒会長であり、我が親友でもあるルミ・ティッキネンは、至って正常のようだ。

「ふむ。もう少し詳しく話してくれるかい?」

 ルミは頷き、静かに話し出す。その内容は以下の通りだ。

 まず、春深咲恋かすみされんという生徒は、確実に実在する。生徒として登録されているし、生徒手帳のデータもある。そこに映っている写真も、舞台や校内新聞で見る本人そのもので間違いないらしい。

 当然、授業もしっかりと出ている。教員に確認したところ、必須科目、選択科目、共に出席しているし、提出物やテストも問題無いそうだ。

 だが、会えない。学院中どこを探しても春深咲恋に出会えないのだ。

 ならば変装しているという可能性はどうだろう。

 春深咲恋は、我が校ではアイドル的な人気の持ち主だ。普段は目立たないように、地味目の格好をしているのかもしれない。

 だが、いくら変装しているとはいえ、同じ授業を受けている生徒なら、その存在に気付く筈だろう。それでも、春深咲恋が一緒の教室にいた事に気付くものはついぞ現れなかった。

 結果、誰もが、舞台と歌劇同好会部室以外では、春深咲恋を見かけたことが無いとの事だ。

 噂によると、あまりにも有名になり過ぎた為、一人だけ別授業を受けているとか、実は幽霊で、全校生徒が集団催眠を掛けられているのでは、と、全く根拠のない怪談話まで囁かれている始末だ。

「それで……私にどうしろと?」

「勿論。探してほしいのよ」

 これが、先程の生徒会室での出来事。




 やがて、この何とも言えない奇妙な構図は、もう一人の登場人物によって終わりを迎える。

 ガゼボの横を通り過ぎる際、そこに座る人物に軽く会釈をした、我が親友の最愛の君は、そのまま噴水の縁に腰掛ける二年生の元へと向かっていく。

 そこで何事か話した後、二人して校門の方へ向かって歩き出す。

 その姿を見送った後、ガゼボに座る人物の元へ移動して声をかける。

「こんにちは、春深咲恋さん」

 私に声を掛けられて、一瞬体を硬直させたが、ゆったりとした動きでこちらに顔を向けてくる。

 その瞳を見て、今度は私が体を硬直させる。この瞳は……似ている。紅い目をした我が親友に。

 当然だが、彼女の瞳の色は紅くも無く、その形も切れ長と言うよりかは丸みがあって、可愛いと言う方が正しい。だが、似ていると感じた。その瞳が持つ在り様が。

「何か……御用でしょうか」

 ゆったりとした間を使い、春深咲恋がこちらに用件を聞いてくる。その振る舞いは余りにも自然で、それなのに聞く者にとっては圧を感じさせる。流石は歌劇同好会部長、いや、今は前部長、と言ったところか。

 そして、その姿を実際に目にしても、私は信じられずにいる。今、目の前にいる人物が春深咲恋だという事に。

 あまりにも違い過ぎるのだ。私の頭の中にある春深咲恋の顔と、今目の前にいる春深咲恋だという人物の顔は。

 だが、私の片眼鏡に送られてくる情報が、彼女が春深咲恋だと告げている。生徒手帳の写真データと、今、目の前にいる人物が同一人物の可能性は、実に99.98%だと。それが、マリーとルージーの出した分析結果だった。

 まるで悪い夢でも見ている気分だ。

 この、目の前で小首を傾げている、春深咲恋という人物は、変装もしていなければ、幽霊でもなかった。

 ただ、人の目には、彼女が春深咲恋だと映らないだけだった。どうしてそんな事が起こっているのかは全くの謎のままではあるが。


― interlude end―



「それで、部員勧誘の話はどうなっているの?」

 今は夕暮れ。ようやく部室に戻ってきた山之辺優菜と三七三燈火みなみとうかを、歌劇同好会のメンバーが出迎えてくれた。ただ、若干一名、機嫌が悪そうに見えるのは、優菜の気のせいではないだろう。これは後でフォローが必要そうだが、果たしてその事に優菜は気付いているのだろうか。

「それがだね、優ちゃん」

 ホワイトボードの前に立つ人物は、一言でいえば小さい。そのサイズに似合わないゆるふわでボリュームのある髪は、腰を優に超えており、可愛らしい容姿も相まって、西洋人形のような幼女、もとい、智賢ともさかあさがおが、優菜たちがいなかった間に話し合った内容を簡潔に説明する。


「咲恋先輩を?」

 歌劇同好会部長、三七三燈火が驚いたように聞き返す。その表情には相変わらず笑みが張り付いているが、今の優菜なら、三七三がどんな感情でいるのか、何となく分かるようになっていた。

「ええ。春深咲恋さんは、歌劇同好会にいるべきだと思うのよ」

 美しい銀髪と紅い瞳の持ち主、今は生徒会長兼歌劇同好会メンバーである、ルミ・ティッキネンが改めてその事を伝える。

「で、ですが、咲恋先輩には、どうしても会えなくて……」

 当然、三七三も春深咲恋が同好会を辞めた時に、理由を聞こうと学院内を探し回ったという。だが、どこを探しても、誰に聞いても、春深咲恋という人物に辿り着くことはできなかったようだ。

「んー?どうして見つからないんだろうねー?」

 小首を傾げると、右耳の辺りで豪快に一纏めにしている髪が、その動きに合わせて派手に靡く。いつも明るい向日葵のような少女、大庭夏奈子は、今は何かを考えるような思惑顔でムムム、と唸る。

 確かに謎ではある。この学院はかなり広い。例えば、三七三一人だけで探したのなら、見つからないという事もあるだろう。

 だが、ルミも同様に見つけられなかったし、周りの人たちに聞いても、目撃情報も何もないときたら、流石におかしいと思わざるを得ない。

 まるで狸か狐にでも化かされたかのような感じだ。どうするべきかと悩んでいると、

「一つ、良い手があります」

 今までだんまりを決め込んでいた、可愛らしいが表情の変化が乏しい人物、粉雪魅由が、肩口で綺麗に切り揃えられた黒髪の前に、小さく右手を上げる。

「ふむ。聞こうか」

 ホワイトボードにメモを取る態勢になって、あさがおが先を促す。

「はい。全校放送で呼び出してみるというのは如何でしょうか?」

「おー!それだー!」

 魅由のもっともな提案に、真っ先に飛びつく夏奈子。思わず魅由を指差す夏奈子に、

「夏奈ちゃん、人様を指差すのは止めたまえ」

 と、あさがおの注意が飛ぶ。

 けど、確かにそれは良い提案かも知れない。だが、ルミと三七三の反応はいまいちの様だ。

「実はそれ、一度だけした事があるのよ」

「ですね。あの時は大変でした」

 ほとほと困り果てたようなルミと、うんざりとした笑顔を見せる三七三。

「え、えっと。一体何が……」あったのか、怖いが聞いてみる。

「あれは確か、歌劇同好会の部長変更申請時に確認したい事があったから、春深さんと元部長の有馬さんを呼び出した時だったかしら」

「はい。咲恋先輩が呼び出されたという事で、たくさんの生徒が生徒会室前に押し寄せて……」

 当時の光景が蘇ったのか、乾いた笑いを発する二人。

「うわっ、なんだいそれは。アイドルの出待ちじゃあるまいに」

 あさがおもかなり引いている。そういえば人混みが苦手と言っていたな。理由は……まぁ、見ての通りだろう。

「以来、春深咲恋さんを全校放送で呼び出すのは禁止になったのよ」

「そうでしたか。それでは仕方がありませんね」

 申し訳なさそうに伝えるルミに、魅由が仕方が無いと身を引く。

「しかし、呼び出しというのは良い手かもしれない。ここはタブレットで呼び出してみては如何か?」

 あさがおが更なる提案を出す。星ノ杜では、学院からの呼び出しなどには、タブレットでの通知が利用されている。全校放送が使われるのは、通知をしても応じない時や、緊急性を要する時だけだ。

「学院として、タブレットで呼び出し出来るのは生徒会案件以上よ。今回は使えないわ」

 しかし、その提案もどうやら実現できなさそうだ。

「いやさ、生徒会長さん。そこはほら、ちょちょっと利用させてもらえないかね?」

 あさがおが手を擦りながら、上目遣いでルミを見る。その媚びた瞳は、あの片眼鏡なら一発で落とせたであろうあざとさだ。しかし、残念ながら、ルミには通用せず、

「智賢さん、私はルールを曲げるようなことはしませんよ」

 ぴしゃりと釘を刺してくる。

「むぅ、しかしだね……」と辺りを見渡すあさがおと目が合う。とてつもなく嫌な予感がするのは気のせいではないだろう。

「優ちゃん、ちょっとこっちにおいでおいで」

 可愛らしくこっちに来てと悪魔の手招きをしてくる。その瞳は、やんちゃな子供が悪だくみをしている時のものだ。

「はい……」

 あの表情をしている時のあさがおに抵抗しても無駄なので、素直に応じる優菜。近くに着くと「やぁっ!」という掛け声と共に右腕にダイブしてくる。優菜は引っ張られるがままに姿勢を低くし、そこにあさがおの小さな両手が右耳を覆う。

「ごにょごにょ」「え?そんな事を?」「問題無い。武運を祈る」

 そんな様子をそれぞれが見守っている。若干二名ほど、かなり冷たい目をしているが、優菜は気が付いていなさそうだ。

「えー、ちょっと!私にも教えてよー!」

 何が起きているのか分かっていない夏奈子が、優菜たちに飛びつく。

「わ!こらこら夏奈ちゃん、止めたまえよ」

「わっぷ。夏奈子、苦しいよ」

「私にも―!教えてーよー!」

 もみくちゃにされながらも、何とか夏奈子を引き離す事に成功する。

「まぁまぁ、見ていたまえ、夏奈ちゃん」すぐに分かるさ、と、話す表情は完全に悪魔のそれだ。

 はぁ。やらないといけないのだろうか。というか、何だか趣旨が変わってきている気もするけど。だけど、やるからにはやる。優菜はそう決意して動き出す。なるようになれだ。

 目標はルミ。その紅い瞳を見つめながら、真剣な表情で向かっていく。

「えっ?えっ?えっ?」

 思わずルミが後ずさりしていき、あっという間に壁際に追いつめられる。そこに優菜が手を伸ばす。

 優菜とルミの身長差はかなりあるので、態勢としてはたいぶ辛いが、何とかルミの左肩の上に右肘を突く事に成功する。そのまま右手をルミの頭の上に乗せ、よしよしと幼子をあやす様に撫でる。その間にも、口に手を当てて固まるルミが逃げられないように、左の掌を壁に突ける。所謂、壁ドンというやつだ。無理矢理に肘を突いているせいか、お互いの顔は驚くほど近い。

「る、ルミ……お願い」

 その余りにもの近さに緊張しつつも、若干噛み気味で、だけど紅い瞳を真っ直ぐに見つめて、優菜が何とか言葉を口にする。

「はぁっ……」

 何やら不思議な吐息を発しながら、ルミの顔がみるみる真っ赤に染まっていく。その瞳の色に負けないくらいに赤くなったと思ったら、

「……きゅぅ」

 壁に背を預けたまま、ずりずりと崩れ落ちていく。

「わぁ!ルミさん!?」

「ゆ、ゆ、ゆゆ、優菜ちゃん!?な、なな、なな、何をしているのですか!?」

「おー!すごーい!まっかっかだー!」

「優ちゃん、グッジョブ!」

「……な、なんなの、これ?」

 こうして、最後はよく分からないまま、今日の同好会活動は終わりを迎えたのだった。

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