同じ言葉を私に紡いでくれた、この子となら。
「三七三先輩、探しましたよ」
優菜は、噴水の縁に座る三七三に駆け寄りながら、声をかける。急に部室からいなくなるなんて、何かあったのかなと優菜は心配していたのだが、
「あらあら、ごめんなさいね。ちょっと……気分転換がしたくて」
だが、そこにはいつもの似非聖母の笑みが待っていた。
「気分転換、ですか?」
「気分転換、よ」
オウム返しを行う三七三は、いつもと変わらない気がする。だが、果たしてそうだろうか。
「……気分転換、出来ました?」
「それは……」
優菜の問いかけに、言葉を濁す三七三。そのらしく無さに「んー」と優菜が呻く。
気分転換か。と優菜は考える。そういえば、ゴールデンウィークに魅由と出かけたのは、いい気分転換になったなぁ、と。
最後はあんな感じになってしまったけれど、今となっては良かったと思っている。そのお陰で、魅由とあんなにも仲良くなれたのだから。
もしかしたら、と思う。もしかしたら、三七三先輩ともお出かけすれば仲良くなれるのだろうか、と。その笑顔の裏側にあるものに触れる事ができるのかもしれない、と。
いつもの優菜なら、でも駄目なんじゃ、とか、迷惑かけるだけかも、なんて考えてしまい、一歩踏み出せずにいただろう。だが、今は違う。一歩踏み出す勇気を持っている。それはとても怖い事だけれど、一歩踏み出した時の世界を知っている。
それを教えてくれたのは他でもない魅由だ。だから魅由には知らせておく。スマホを取り出し、メッセージアプリに【三七三先輩と今から出かけてくる。だから、心配しないで。】と送信する。
「さて、では行きましょう」
送信完了のメッセージを確認もせず、スマホをしまい、立ち上がる。
「えっ?」
戸惑う三七三の手を取り、駆け出す優菜。
「きゃっ」「わぁっ」
だが、夏奈子の様には行かず、互いに手を引っ張り合ってしまう。人一人を引っ張り上げるには、優菜はまだまだ力不足のようだ。
「え、えーっと」
気まずそうに繋いでいない手で頬を掻く優菜に、三七三が問いかける。
「行くって、どこへ?」
「それは勿論、気分転換に、です」
そう言いながら、再び繋いだ手に力を込める。今度は互いに反発しあうことも無く、二つの影は飛び立って行った。
小豆色の電車から降り、改札を抜ける。
「本当にこんなところでよかったの?もっと見て回れるところの方が良かったんじゃ」
こんな何もないところ、といった感じで三七三は申し訳なさそうにしているが、
「いいえ。三七三先輩が生まれ育った街並みを見てみたかったので。それに、」
と、優菜が目を輝かせて三七三に詰め寄る。
「三七三先輩の実家が神社だったなんて。私、神社、好きなんです!」
優菜のテンションの高さに若干引き気味の三七三。「あー、楽しみだなー」とウキウキの優菜はその事に気が付いていない。
「でも、本当に大したことない、街中の神社よ」
「そんなことないです!神社の素晴らしさに大きいも小さいもないんですよ!全て等しく、尊いんです!」
終始このテンションである。これではどちらが気分転換をしているのか分かったものではない。
三七三としても、期待に沿えなかったらどうしようかと心配しているようだが、それは杞憂に終わるだろう。
「あ、でも……皆にはこの事、内緒にしてもらえますか?」と、テンション高めだった優菜が若干申し訳なさそうに付け加えてくる。
「ええ、それは構わないけど、どうして?」
「んー。小学校の頃、クラスメイトに神社が好きって言ったら、おばあちゃんみたいって言われたことがあって」
その時の事を思い出したのか、若干困った表情で頬を掻く。
「だから、神社が好きっていうのは、おばあちゃんになってから公言しようかなって思ってるんです」
随分と可愛らしい事を言う優菜を見て、三七三の笑みも、優しいものへと変わる。
その笑みを見て、優菜も微笑み返す。
三七三への第一印象は、怖い人だった。何故なら、何時でも笑顔でいるからだ。その笑顔の張り付いた裏側にある感情を、優菜は何よりも恐れていた。
だけど、ゴールデンウィーク明けに三七三と再び会って、優菜は三七三の笑顔にも種類がある事に気が付いた。
昨日の部室での困ったような笑みも、優菜を様呼びしてまで同好会に誘った時に見せた満面の笑みも、ルミさんが部室に来て、思わず廃部だと勘違いした時の絶望的な苦笑も、噴水の縁に座っていた時の寂し気な笑みも、はしゃぐ優菜を見つめる優し気な微笑みも。
それは微妙な変化ではあるが、そこには三七三の感情が、想いが見えたような気がして。
その全ての笑顔が、三七三燈火という人物を作り上げているのだろう。だからもう怖くはない。もっともっと、いろんな笑顔を見たいとさえ思う。
だから、三七三が何に悩んでいるかは分からないが、元気になってほしい。優菜は心からそう思えた。
駅から一つ路地を入ると、そこは閑静な住宅街だった。車がすれ違うには若干狭そうな道を南下していくと、右手に公園が見えてくる。そこを横目に通り過ぎ、次の十字路を左に曲がると、やがて大きな灯篭が見えてくる。その先にあるのが、三七三の実家の神社のようだ。
―interlude side Toka―
長い石畳を抜けると、開けた場所に本殿と社務所が見えてきます。本当は途中の脇道から中に入る事もできるのだけれど、横で目を輝かせながら感動してる後輩には、この方が良いだろうと、敢えて遠回りをして、正面からの道を選んでみたりして。
その甲斐あってか、大変喜んでもらえているようで、私としても嬉しくて、つい笑みが零れます。
そんな風に自然に笑えている自分に違和感を覚えます。だって、この世界は、私にとっては地獄のようなものなのに。
けど……その違和感は悪くはなくて……
わーとか、きゃーとか言って感動している後輩を見て、本当に自分の出来の悪さに呆れかえってしまう。
あの子があんなにもはしゃいでいるのは、私の為だ。私が何かに落ち込んでいる事を知って、それが何なのか分からないのに、それでも励まそうとしてくれていて。
その事が嬉しくもあり、情けなくもある。
けど……どうせ情けないのならいっそ、暴露してみるのもいいのかもしれない。
「山之辺さん」
私は意を決して無邪気にはしゃぐ後輩に声をかけます。
山之辺さんがこちらを向きます。その素敵な笑顔に、私は部室から逃げだしてしまった理由を打ち明けました。
「というわけなの」
語り終えた途端、不安が押し寄せる。両手をぎゅっと握り、下を向いてしまいます。
「そうだったんですね。それで……」
「ええ。部室から逃げ出してしまったの」
失望されるでしょうか。軽蔑されるでしょうか。でも、仕方が無いですよね。これが私……何の取り得も無い、落ち零れの私。
けど、山之辺さんは、私が予想もしなかったことを口にしました。
「ありがとうございます」
その一言に、思わず顔を上げます。「どうして……」と、思わず口から言葉が漏れます。
「だって、三七三先輩の本当の気持ちを話してくれたから」
私の瞳に、山之辺さんの笑顔が映り込みます。あの人と同じ事を伝えてくれた後輩の表情に、あの日の記憶が鮮明に蘇ります。
あの人もそうだったのでしょうか。私が自分の気持ちを伝えたから。だから、ありがとうと言ってくれたのでしょうか。
それは今となっては分からない事です。でも、すっきりした?と言われた時の不思議な感覚。今、その時と全く同じ気持ちになっている自分がいます。
「それに、三七三先輩が歌劇同好会を一人でも続けてくれたお陰で、これからみんなで活動できるんです」
山之辺さんが頭を下げる。
「だから、本当にありがとうございます」
そうして、顔を上げた山之辺さんの顔を、私は呆然と見つめる事しかできなくて。
「そして、これからも一緒に同好会を続けてほしいです」
苦し紛れな笑顔しかできない私に、山之辺さんが優しく微笑む。
一緒に同好会を続ける……そうすれば、分かるかもしれない……あの日、あの人が伝えてくれた感謝の意味を。同じ言葉を私に紡いでくれた、この子となら。いつか、きっと……
― interlude end―
優菜は三七三に想いを伝える。その笑顔からは、こちらの想いがちゃんと伝わったかは分からない。
だから、優菜が三七三に手を差し出す。
「部室に戻りませんか?」
みんな、待ってます、と。想いを込めて。
「いいのかしら……こんな私でも」
三七三の想いが伝わってくる。逃げ出してしまった弱い私でも、と。笑顔しか作れない歪な私でも、と。
「はい。私は、三七三先輩がいいです」
微笑む優菜の手に温もりが灯る。ありがとう、と囁く声は、優菜の心に確かに届いた。
「それじゃあ、部員ゲットしちゃおうぜひゃっはー!会議がどうなったのか、見に行きましょうか」
三七三が高々と宣言して、空いている方の手を、自分の宣言にさえ負けるものかと、高々と上げる。大空へと掲げられた手のひらの隙間から、小さな黒い影が二つ、帰る場所へと飛んでいくのが見えた。
―interlude side Sasa―
中庭の噴水前にあるガゼボの一つに、一人の生徒が座っている。彼女は、噴水の縁に腰掛けている生徒を見ているようだ。
やがて、一人の生徒が、噴水の君の元へ駆けていく。何事か話した後、二人して校門の方へ向かって歩き出す。
その姿を見送った後、ガゼボに座る人物の元へ移動して声をかける。
「こんにちは、春深咲恋さん」
私の問いかけにこちらに顔を向ける。
「何か……御用でしょうか」
これは何かの悪い冗談か。にしても悪趣味すぎる。
私の問いかけに返答をした人物は、生徒手帳の顔写真や、校内新聞で見た事のある春深咲恋とは、全くの別人だった。
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