そうして、私に五感が宿るのを感じる。
「あら、それじゃあ、歌劇同好会に入ったのね」
食堂にて、珍しく早くに帰寮していた銀髪紅眼の上級生であり生徒会長でもあるルミ・ティッキネンと魅由との三人で食後の時間を過ごしている。ポニーテールに纏められた銀髪は、食堂の蛍光灯の光を跳ね返してキラキラと輝いている。愁いを帯びた切れ長の紅瞳は、優し気に優菜へと向けられている。
「はい、お陰様で」
その瞳に自身が映り込んでいるのに気付いた優菜が、何がお陰様なのか分からないまま、返事をする。
「そう、良かったわ。やりたい事が見つかって」
優菜が部活をする事を、自身の事のように喜んでくれている。入学式の時にルミから感じた恐ろしさは、いつの間にか失せていた。その代わりと言っては何だが、見つめられる度にドキドキするようになってしまっていた。
「でも、ちょっと残念ね。優菜さんには生徒会に入ってもらいたかったのに」
紅の瞳を怪しく光らせて、尚も優菜を見つめてくる。ああもう、そういう仕草にドキドキしてしまうという事に、果たしてこの人は気が付いているのだろうか。「何だったら、兼部でも、」と言いかけたところに、
「ティッキネン先輩、止めてください。優菜ちゃんは私と一緒に歌劇同好会で活動するのですから」
今までだんまりだった魅由が、窘めるように話に入ってくる。
「あら、やっと話したと思ったらお説教だなんて」
一方、ルミの方は余裕の態度で軽くいなす。ジト目で睨んでくる魅由に対しても、余裕の笑みだ。
そんな様子に、優菜は苦笑するしかない。魅由は優菜と二人の時以外は、いつもこんな感じだ。基本的に話に参加せず、様子を見守っているのだが、優菜に関する事になると、今の様に時折口を挿んでくる。そして、表情も以前のように変化に乏しくなる。以前は、優菜と二人でいる時も無表情だったので気付かなかったのだが、最近は色んな表情を見せてくれるようになったため、その差がどうしても気になってしまう。
優菜としては、もっと周りの人たちとも打ち解けてほしいとは思うのだが、本人にはまだ伝えられてはいない。今の所、その事が問題にはなっていないし、誰とどのように接するかなんてのは、本人が決める事だ。けど、何かあったらフォローしよう、とも決めている。
さしずめ、今は大人の態度を見せるルミの方が優勢だ。魅由もルミに対しては、手こずっているようにも見える。相性でも悪いのだろうか。
だが、そんなパワーバランスを崩す人物が一人現れる。
「ほう。私には誘ってくれたことも無いのに。優菜ちゃんは誘うなんて、我が親友の何と冷たい事だろうか」
片眼鏡を填めた人物は、出鱈目に編み込まれた三つ編みを揺らしながら、夕食のトレーを持って、ルミの横に腰掛ける。
「あ、あら、沙紗。もうラボの方は良いの?」
沙紗と呼ばれた片眼鏡の登場に、焦りながらも会話を続けるルミ。
「ああ、後はマリーとルージーに任せてきた」
トレーに乗った丼を掻き込みながらも、器用に会話を続ける。
「ちょっと待って。それ、大丈夫なの?」
先程の妖艶さは消え、生徒会長モードへと即座に切り替わったルミが、不安げな声を上げる。
「大丈夫だろ。知らんけど」
ルミの心配を余所に、随分おざなりな返答をする。
「もう。爆発騒ぎとかは止めてよね」
何だか随分物騒な発言が飛び出たけど、本当に大丈夫なんだろうか。
「というか、マリーとルージーって?」
と、つい気になった事を聞いてしまう優菜。にやりと笑う沙紗と、疲れ果てた表情を見せるルミに、聞いてはいけない事を聞いてしまったのだと察する。
「なになに、気になる―?」
沙紗が早速うざ絡みしてくる。この
それだけなら、ただの問題児なのだが、この片眼鏡は工学に際して類稀なる才能を持っている。何せ、入学と同時に逆那工学ラボという研究クラブを立ち上げるくらいの才女だ。ラボの設立には、学院内だけでなく、校外での実績も必要となるため、基本的に二年生からしか設立できないと言われている。それを覆すだけの才能を持つ人物が性格破綻者という事で、学院側もどうしていいのか分からず、結果放置され続けて、今に至っている。
「いえ、全く気になりませんのでお気遣いなく」
そんな人物にズバッと物申せる魅由も、ある意味凄い。というか、怖いもの知らずだ。
「えー、気になるよねー?気にならない?」
魅由では暖簾に腕押しだととっくに気づいている沙紗が、優菜に同意を求める。
「それよりも、逆那先輩は生徒会に誘われたことが無いのですか?」
返答に困る優菜に助け舟を出すように、魅由が話題を変える。
「んー?言葉通りの意味だよ。ルミったら、生徒会の仕事は手伝わせるのに、誘ってくれたことは一度も無くてさー」
両掌を肩口に沿わせて、やれやれと溜息をつく。
「ちょ、だ、だって、沙紗にはラボがあるし。でも、仕事手伝ってもらえると本当に助かるし……そ、それに、沙紗とは放課後、あんまり一緒に居られないじゃない?だから……」
先程までの大人っぽさはどこへやら、随分と可愛らしい言い訳を紡ぎ出してくる。特に最後のは、もし優菜が自身に向けて言われたのなら、抱きしめたくなるくらいのレベルで反則だ。
ふと、魅由を見ると、照れに照れているルミをじっと眺めている。何か思うところでもあるのだろうか。
「ふむふむ。ルミの愛が身に染みるねぇ」
またしても、沙紗が妙な事を言い出す。
「も、もぅ……沙紗ったら」
そんな沙紗の言葉を聞いて照れるルミ。その照れる仕草は、何だか魅由に似ているなぁ、と何とはなしに思う。
「しかしなんだね。優菜ちゃんは歌劇同好会に入ったのか」
「あ、はい。魅由と一緒に入りました」
「そっかー。てっきり私のラボに入ってくれると思ってたのになー」
全然残念そうで無い調子の沙紗。優菜としては、標的がこちらに向いたのではないかと、ルミに見つめられている時とは別の意味でドキドキする。
「私たち二人とも、振られちゃったね」
にししと笑う沙紗に、困った表情を見せるルミ。
「あーでもさ。だったら私たちが歌劇同好会に入ればいいんじゃない?」
そうしたら同じ部活動ができるでしょ、とでも言わんばかりだ。
「あ、あはは。またまたご冗談を」
「ちぇー」
沙紗の相変わらずの支離滅裂な冗談はこの後も続き、賑やかな時間はまだまだ終わりそうになかった。
ユニットバスから出てきた優菜は、時計を見て一息つく。
今日は、食堂で随分と長い時間を過ごしてしまった。まぁ、後半は安定の逆那沙紗劇場だったわけだけど。
けど、悪くはない。優菜は今の自分が、以前思い描いていた高校生活よりも充実した良いものだと感じている。
ふと、ベランダを見る。魅由は今どうしているだろうか。自然と体が動き、ベランダに出ると、潮の香りを含んだ風が鼻腔を擽る。
優菜の実家も港町にあり、潮の香りを感じながら育ってきたが、ここの匂いは少し違う気がする。
ベランダの手すりまで移動して横を見ると、果たして魅由の姿がそこにあった。
「こんばんは、魅由」
夕食後、部屋の前で別れた魅由に挨拶をする。
「こんばんは、優菜ちゃん」
魅由がベランダ越しに微笑みながら返事をしてくれる。
「魅由はもうお風呂に入った?」
「はい、先程。優菜ちゃんも……」
ふと、言葉を止めてふふっと笑う魅由。
「お風呂上がりのいい匂いがしてきます」
「えっ、分かるの?」
思わず自分ですんすんと嗅いでみる。若干石鹸の匂いがする気がするけど。
「自分の匂いだと、あまり分からないかもしれませんね」
そう言いながら、魅由がこちらに手を伸ばしてくる。これは匂いを嗅いでほしいという事だろうか。何だか変態チックに思えるんだけど。
けど、微笑みながら手をこちらに差し出している魅由を無下にする事もできずに、すんすんと嗅いでみる。これは、魅由の使っているボディソープの匂いだろうか。仄かに柑橘系の匂いがする。
「……どうですか?」
尋ねてくる魅由の瞳は少し潤んでいる。
「うん。柑橘系のいい匂いがする。私は好きだよ」
「良かった、気に入ってもらえて」
優菜の返答に破顔しながら、そのままこちらの手を握ってくる。そのまま二人、見つめ合う。
「あ、あー。そういえばお風呂は大浴場を使ってるの?」
何とも言えない空気に耐えられなくなった優菜が、話題を振る。
「いえ、優菜ちゃんと同じで、部屋のユニットバスを使っています」
「そっか。行ってみる予定とかはある?」
「今の所はありません。私、お風呂は一人でゆっくりと入りたいので」
あ、でも、と付け加える。
「優菜ちゃんと一緒なら、行ってみたいです」
どうやら優菜は話題のチョイスを間違えたようだ。返答に困っていると、
「そろそろ、お休みの時間ですね」
魅由が名残惜しそうに手を離す。
「あ、うん。お休み、魅由」
「おやすみなさい、優菜ちゃん」
お休みの挨拶を交わし、部屋に戻る。電気を消し、布団に潜り込むが、暫くは眠れそうになかった。
そうして、私に五感が宿るのを感じる。
今の時刻は、恐らく目覚ましが鳴る十分前だろう。瞳は閉じたまま、優菜の匂いと体温と汗の滲む感覚に眉根を歪める。
私が優菜の目覚める直前に五感を感じるようになったのは、ゴールデンウィーク最終日の朝だった。
その時の私は、こうなる事までは分からなかったが、何か変化があるかもしれないと思っていたので、冷静に対処できていたと思う。優菜を無理矢理起こす事無く、今の様に五感を感じていた。
原因は、恐らく、前日出かけた時の出来事だろう。
江島美希から向けられる憎悪の感情を一身に受け、優菜は心の中に泥が溜まる感覚を覚えていた。
眠る前に五感が私に移るようになったのも、中学二年生二学期二日目の事があってからだった。
つまり、優菜は、マイナスの感情を向けられる度に、徐々に主導権を失っていると推測される。
そんなのはごめんだ。
私は、優菜と共に生きられればいい。優菜が幸せな人生を送れていればそれだけでいい。
不意に私を襲う強烈な喪失感。それは優菜の目覚めが近い証拠でもある。
急速に失われていく感覚に愁嘆を感じながらも、優菜の幸せを願わずにはいられなかった。
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