学生の青春は部活動って相場が決まっているけれど。

 そうして、優菜は目を覚ます。何だか悪い夢を見ていたような気がする。視線を時計に目を向けると、目覚ましを掛けた五分前の六時二十五分を示していた。

 いつも通りの、目覚ましのアラーム鳴動設定五分前の起床。優菜にとっては、当たり前の儀式。それが今日も問題なく行われたことを喜ぶべきなのかどうか。それは、今日一日がどうなるかで決まるであろう。

 今日は四月八日。高校生活が始まり、ちょうど一週間が過ぎた日でもある。


「はぁ……」

 今日初めての溜息を漏らす。この頃の優菜は溜息をつかない日は無い。原因は、入学式の日に結成したShikiし~ずのせいだろう。

 この一週間は、優菜にとって悪夢のような時間だった。主には、夏奈子と魅由が繰り広げる、勇者だの、魔王だのと宣う茶番によるものだ。この茶番に際してストッパーになると思われたあさがおは、基本的には無干渉を貫いた。その事がより一層二人の対立を激化させてしまったのは火を見るよりも明らかだった。

 さらに、その対立を過熱させた要素が、先週末に行われた実力テストである。

 この実力テストは、全生徒に支給されるタブレットを使用しているため、採点がテスト終了後、直ぐに発表された。その結果は夏奈子が学年一位と発表された。

 その結果を見た魅由は愕然とし、逆に夏奈子はしてやったり!と喜びを顕にした。

 これまで魅由は夏奈子に対して余裕の態度を示していたが、流石にこの事が堪えたのか、明らかに敵対視するようになってしまった。

 そんな事情もあってか、Shikiし~ずはこの一週間で色んな意味で有名になってしまったのである。

 だが、幸いな事に、優菜が恐れていた事態だけは今の所は起ってはいない。

 優菜が恐れている事はただ一つ。優菜という存在にマイナス感情が集まる事だ。この事だけは、中学二年生二学期二日目に身を以て経験してきた事である。

 今回もそうなるのではないかと怯えていた優菜だったが、その事は杞憂に終わる。それは周りの羊たちの反応が想定外だったのが理由だろう。

 あるものは何かの見世物だと、あるものは演劇の練習だと、あるものは生徒会が繰り広げる余興だと。

 どうやら羊たちは優菜たちの茶番を、アトラクションか何かの一種として捉えているようだった。

 そのせいか、お陰もあってか、今の所、優菜に悪印象を抱く人物は皆無だった。

 だが、油断してはいけない。何時何時、優菜に対して悪印象を持つ人間が現れるか分からない。とにかく目立たない事だ。とにかく気を付けなければ……

 そう結論付けた優菜が身支度を整え、食堂へ向かうために自室のドアを開けると、

「優菜ちゃん、おはようございます」

 先週通りに、魅由が待ち構えていた。


「……おはようございます、粉雪さん」

 答える優菜の声は地の底から断続的に鳴り響く唸り声のように低い。

「魅由、でいいですよ、優菜ちゃん」

 対する魅由の声は、太陽を見つけた向日葵のように明るい。

「えっと……魅由……さん?」

「魅由、と、呼び捨てで構いませんよ、優菜ちゃん」

 そう答える魅由の声は明るいものだが、その表情は変化に乏しく、肩にかからない程度に綺麗に切り揃えられた髪型も相まって、日本人形のように作り物めいている。そのお陰か、何を考えているのか全く読めない。その事が、優菜が魅由に対して一歩踏み出せないでいる要因の一つなのだが、その事に魅由が気付く様子はない。

「えっと……魅由、おはよう」

「はい、おはようございます、優菜ちゃん」

 優菜の呼び捨てに、漸く軽い笑みを零す魅由。だが、それも束の間。直ぐに真顔に戻り、「では、朝食に向かいましょう」と言うが早いか、踵を返す。

 優菜はそれに逆らうこともできず、「は、はい……」と生返事を返しつつ、後に続く。

 この一週間、正確には入学式翌日からなのだが、こうして毎朝、魅由は優菜が部屋から出てくるのを待つようになった。それが三日続いた時、優菜はどうしてそんな事をしているのかと尋ねたが、「勿論、優菜ちゃんと朝餉を共にしたいからです」と真顔で返された。

 朝食を一緒に取りたいという事自体は優菜にとっては何となく嬉しいと思えなくもないのだが、如何せん目立ち過ぎている。何せ相手は、新入生代表である。その事で、他の寮生から要らぬ恨みを買うのではないか。そんな優菜の悩みは、今の所は杞憂から脱せずにいる。この一週間、誰かからマイナスの感情を向けられること無く過ごせているのがその証拠だ。

 だが、今日からは上級生も授業が始まる。新入生はこの学校の特別な制度に慣れるため、入学式が一週間早いのだが、上級生は今日から学校に通いだす。

 部活に入っていない、もしくは部活動の無かった遠方からの上級生も、先週末から入寮し、今も見知らぬ毛皮が廊下を行き来している。

 まだ真新しい毛に包まれた羊たちが、かの者たちにどのように映るのか。優菜の不安は増すばかりである。

 右側を歩いていた魅由がわなつかせていた左手をぐっと握ると、そのままエレベーターの下ボタンを押す。その表情が何かを決意したものであった事を、優菜は気が付くことができなかった。


 食堂は早朝であるにも関わらず、混雑している。

「では、優菜ちゃんは二人分の席を確保して下さい」

 言うが早いか、魅由が厨房へと向かう。このような感じで毎朝、優菜の分まで朝食を取りに行ってくれる。その間に優菜が一緒に食事を取れる二人分の席を確保しなければいけない訳だが……

「優菜さん、こっちよ」

 特徴的なハスキーボイスが優菜を呼ぶ。声のした方を振り向いた優菜が目にしたのは、にこやかながらも妖艶な笑みを浮かべる銀髪美人、生徒会長、ルミ・ティッキネンだった。


「おはよう、優菜さん」

 美しい銀髪を湛えた紅眼の美女が明るい調子で右手を振りながら優菜を出迎える。その隣には、ニヤニヤと笑う片眼鏡モノクルの人物が一人。三つ編みに纏められた髪は、でたらめに編み込まれていて、見る度に違う印象を与えてくる。

「おはようございます、生徒会長、逆那さかな先輩」

 優菜の挨拶に、「あら」「ふーん」とそれぞれの反応。

「私の事は、ルミと呼んでくれていいのよ」

「私は気軽に沙紗パイセンと呼んでいいよー」

 蠱惑的な笑みと、こちらを揶揄う様な笑みを同時に向けられて、返答に困る優菜。

「まーいいや。おはよう、優菜ちゃん」困惑する優菜の様子を楽しみつつ、片眼鏡が挨拶を述べる。ご丁寧に、優菜ちゃん、に妙なアクセントを付けて。

 そういえば、この片眼鏡も初対面で優菜の事をちゃん付けで呼んできた。初めて会ったのは入学式後の夕食の時だ。食堂に訪れた優菜を、今みたいな感じで生徒会長が呼び、そこに同席していたのがこの片眼鏡、逆那沙紗だった。

「ちょっと沙紗、前から思っていたけど、いきなりちゃん付けで呼ぶなんて、優菜さんに失礼ではなくて?」

「えー、親しみがあっていいじゃん。ねぇ、優菜ちゃん」

 片眼鏡の先輩がニヤニヤしながら優菜に同意を求めてくる。その際も、妙なアクセントはそのままだ。

「えっと、ど、どうでしょう?」

 返答に困る優菜を楽しそうに見つめる片眼鏡。

「大体、ルミだって、私と二人の時は優菜ちゃんって呼んでるじゃん」

「ちょ、ちょっと沙紗。それをどうして優菜ちゃんの前で、あ……」

 思わず優菜ちゃんと呼んでしまった生徒会長を見て、吹き出す片眼鏡。

「あっはっは!そうやって自分に素直になった方がいいって!」

 大笑いする片眼鏡と、真っ赤な顔を両手で隠しながらも優菜の方を見つめてくる生徒会長。そこに、

「先輩方、優菜ちゃんを困らせないでください」

 朝食のトレイを二つ、器用に運んできた魅由が窘める。

「おはよー、魅由ちゃん」

「あ、お、おはようございます、粉雪さん」

「おはようございます。ティッキネン先輩、逆那先輩」

 挨拶を交わしながらも、優菜の前にトレイを置き、隣に着席する。

「お待たせしました、優菜ちゃん」

「あ、ありがとう、えっと、魅由」

 やはりまだ名前で呼ぶのは抵抗があるが、それだけで嬉しそうに破顔する姿を見ると、何とか慣れないと、という気になる。

「いやー、魅由ちゃんは相変わらず可愛いねー」

「どうも、ありがとうございます」

 唐突な片眼鏡の揶揄う様な誉め言葉を冷静に返す魅由。その表情は真顔に戻っている。優菜もこれくらいスマートに返すことができればいいのだが……そうなるためには、まだまだ経験値が足りないようだ。

「それじゃあ全員揃ったところで朝食をいただこ―。みんなー、手を合わせてー?」

「いただきます」

 片眼鏡が音頭を取り、四人の声が重なる。

 こうして四人で朝食を取る事が、既に優菜の日常となっていた。


「そういえば、優菜さんはどの部活に入るか、決めたの?」

 生徒会長が食後の紅茶を一口飲んでから優菜に尋ねる。

 今週一週間は、部活動勧誘期間だ。星ノ杜学院には、かなりの数の部、同好会が存在していて、どのクラブも新入生の確保を目指してこの一週間を過ごすらしい。昼休みには中庭を中心に勧誘活動が行われ、放課後には講堂で部活動紹介が行われるなど、学院側も部活動にかなりの力を入れているのが分かる。

「いえ、まだ決めていません」珈琲を飲みながら優菜が答える。

「まだ決めていないのなら、生徒会はどうかしら?」

 優菜の返答にそれならばと、嬉々とした声で生徒会を勧めてくる生徒会長。

「生徒会……ですか?」

「ええ、この学院は生徒による自治活動が活発なの。生徒会は、その活動を陰から支える、とても大変だけど、とても大切なお仕事なのよ」

 生徒会か……確かにこの生徒会長となら楽しく活動できそうだと優菜は思う。何故かは分からないが、彼女は優菜に対してとても好意的だ。そんな人と一緒にいることは優菜にとってはメリットしかないように思える。さらには、生徒会に入ることにより、もしかしたらShikiし~ずから距離を取る事ができるかもしれない。

 いや、別にShikiし~ずと仲良くしたくないとか、そういうわけではなくて、魔王とか勇者とかの珍事に巻き込まれたくないだけなんだけどね。ただそれだけなんだけどね。心の中で誰に言うわけでもない言い訳をしてしまう優菜。

「えー、それなら私のラボに入るってのはどう?優菜ちゃんなら大歓迎しちゃうよー」

 片眼鏡の言葉に我に返る優菜。慌てて片眼鏡の方を見ると、ウィンクをしてくる。その姿は妙に様になっていてかっこいい。

 片眼鏡も優菜と同じ珈琲を飲んでいるが、カップの中は薄茶色に染まっている。砂糖も大量に入れていたから、かなりの甘党なのだろう。

「ラボ、って何ですか?」

「ラボというのは、研究クラブの事ですよ、優菜ちゃん」

 優菜の疑問に魅由が即座に答える。手元には湯飲み。今日は昆布茶だ。実に渋い。

「研究クラブ?」

「部活動では出来ない高度な研究を行うためのクラブ活動よ。設立には校外での実績が必要だけど、部費だけでなく、学院からの援助も受けることができるの」

 更なる優菜の疑問を生徒会長が補足する。

「という事は、逆那先輩はそのラボを設立したって事ですか?」

「そうだよー。逆那工学ラボは優菜ちゃんを絶賛大歓迎ちゅう~」

 ちゅう~の所で優菜に投げキッスをする片眼鏡。魅由の白けた表情が怖い。

「あ、あはは……粉ゆ、魅由、は、どこかに入るの?」

 魅由を気遣ってか、話題を振る優菜。まだ呼び捨てには慣れていないらしい。

「私は……一応、決めていますよ」

 魅由にしては歯切れの悪い受け答えに引っかかる優菜。

 この一週間、魅由を見てきて分かったのは、彼女はどんな時でも優菜を最優先にして行動している事だ。優菜の発言は一言一句逃さないように気を払っているし、疑問に際しては真っ先に答えようとしている。優菜に何か聞かれようものなら、どんな事でも素直に話す。そんな印象を行動、言動の端々から垣間見れた。

 だが、今回に限っては、どうもおかしい。何か良からぬことを企んでいなければいいのだが……

「ともかく」

 生徒会長が飲み終えたティーカップをソーサーに置いてから告げる。

「優菜さんは自分がしたいと思った部活動を選んでね。あ、でも、生徒会はいつでも優菜さんを待っていますからね」

 こちらを魅了しようとするかのような紅い瞳に自分が映り込んでいるのを感じ、思わず目を伏せてしまう優菜。この人に見つめられると心臓に悪い。色んな意味で。

「逆那工学ラボも、よろしくね~」

 片眼鏡のあっけらかんとした様子に少しだけ気持ちが落ち着く優菜。その隣では、魅由が何やら思いつめた表情をしていた。




「では、優菜ちゃんとはここでお別れですが……最後に一つだけ」

 一限が始まる前の学院内廊下、必須科目の授業がある教室前で、魅由が声をかけてくる。

「この勇者には、くれぐれも、十二分に、気を付けてください」

 優菜の隣にいる夏奈子を手のひらで示しながら、注意を促してくる。

「ちょっと!それじゃあまるで私が優菜に悪いことするみたいじゃない!」

 売り言葉に買い言葉を返す夏奈子に、ジト目を向ける魅由。その目は、何を今更、と物語っている。

「もー!そんなことないよね、優菜!」

 夏奈子が地団太を踏み、右耳辺りで豪快に束ねた髪を、その動きに合わせてゆらゆらと揺らしながら同意を求めてくる。あはは……と乾いた笑いを返すくらいしかできずにいると、

「夏奈ちゃんよ。みーちゃんは優ちゃんと一緒に授業を受けられないのが寂しいだけなのだよ」

 と、今日もゆるふわな髪の毛を湛えてこちらを見上げる姿が実に愛くるしい、あさがおが冷静な分析を行う。

「なっ、そ、その様な事は一言も言ってません!」

 図星なのか、途端に焦り出す魅由。相変わらず、想定外の事に弱い。だが、こういう時は割と表情も変化する方なので、まだ分かりやすくはある。

「へー、そっかそっかー!寂しいのか―!」

 途端にニヤニヤしだす夏奈子。魅由が焦ると、大体この流れになるのは、先週一週間で把握済みだ。

「な、何をにやついているのですか、このニヤニヤ勇者。気持ち悪いです」

「誰がニヤニヤ勇者だ!この魔王何とか隊長!あと、気持ち悪いは、軽くへこむから止めて!」

 魅由の冷静な一言に、びしぃっと指差しながら反応する。まぁ、こうなるのである。大体これくらいになると、

「ふむ。そろそろ授業が始まるな。ではみーちゃん、我々も行こうか。あと夏奈ちゃん、人様を指差さないように」

 ようやくあさがおがその場を収めようとしてくれる。今は授業前という事で割と早めに介入してくれたが、これが昼休みや放課後ともなると、中々動こうともせず、その分人目にも付き、要らぬ注目を集める結果となる。

 まぁ、今もそれなりに注目されてはいるのだが。

「では、優菜ちゃん。また後で。二限目は同じ授業ですから、この教室までお迎えに参りますね」



―interlude side Sasa―


「こっち終わったよ、ルミ」

 放課後、私は生徒会室でルミと二人、書類整理をしていた。

 他の生徒会役員は、部活勧誘の運営のために外に出払っている。ただ、生徒会室を空にするわけにもいかないので、こうして書類整理をしながらお留守番をしているわけだ。私は生徒会には入っていないが、親友のお手伝いという事で今に至る。

「ありがとう、沙紗」

 ルミが労いの言葉をかけながら、珈琲を注いでくれる。

「しかし、今年もこの時期は忙しいようだねぇ」

 カップを受け取り、折角なので一口。うん、ミルクと砂糖の量も完璧。流石は我が親友。

「そうね。でも、皆が快適な学院生活を過ごせるためだもの。泣き言は言ってられないわ」

 向かいのソファに腰掛けながら、何やら立派なことを言い出す。

「今年は、優菜ちゃんもいるしね」にししと笑う私に「もぅ」と照れた様子を見せる。

 我が親友は、クールな見た目とは裏腹に、随分と可愛いところがある。所謂ギャップ萌えというやつだ。

「沙紗こそ、ラボの方は大丈夫なの?」

「んー?マリーとルージーがいるから大丈夫じゃない?」

「いや、それは大丈夫じゃないでしょ。去年の今頃の事、忘れたの?」

 去年の今頃……私が居ない時にラボに見学に来た一年生が、マリーとルージーを見た時の事かな。

「いやいや、あの時の事についてはあの子たちも反省したみたいだから、大丈夫でしょ」

「本当かしら。そもそもあの子たちって反省できるの?」

「さぁ?」

 おざなりな返答に、はぁ、と溜息をつくルミ。心配性だなぁ。

 その時、スマホの着信音が流れてくる。ごめんなさいと一言断って、ルミが電話に出る。ええ。ええ、それで。お願いします。と返答している。どうやら講堂で行われている部活説明会の運営についてのようだ。暫くして通話を終える。

「ルミの方こそ大丈夫なの?生徒会長が説明会の運営に行かなくて」

「ええ、他の役員たちにも運営の経験をしてもらわないとね」

「でも、だいぶ困ってる感じだったけど。何なら、私が留守番してようか?」

「え、ええ。でも……」どうしようかと一瞬悩むそぶりを見せるが、

「あ、でも、やっぱりここに残っていないと、その……」

「ん?何かあるの?」

「も、もしも優菜ちゃんが訪ねてきたらと思うと、その……」

「ああ、なるほど」随分と可愛らしい悩みだこと。

「あ、でも、それだけじゃないのよ。さっき言った事も本心だし」

 両手をほっぺに当てて、顔が赤くなっているのを隠そうとする仕草もいちいち可愛い。これでもっと背が低くて、ゆるふわ~な感じだったら、私の好みドストライクなのに。

 と、そこに響くノックの音。それを聞いたルミは既に生徒会長の顔だ。

「はい、どうぞ」ドアの向こうにいるノックの主に入室を促す。

 私はソファにもたれかかりながら、ドアがゆっくりと開いていくのを見守った。


― interlude end―



「却下です」

「……どうしてでしょうか?」

 生徒会室に響く、冷静だが驚きを含んだ声。だが、却下と告げた銀髪の少女は目元を抑えながら首を横に振るので精一杯だ。

「あはははははは!!」

 生徒会室のソファでは、馬鹿笑いしている人物が一名。目に涙が溜まり、片眼鏡を外している。というか、どうしてここにいるのだろう。

「どうしても何も……」

 銀髪の少女が瞑っていた眼を見開く。その瞳は紅く、だが今は、呆れに満ちていた。生徒会長、ルミ・ティッキネンは静かに椅子から立ち上がり、提出された用紙をデスク越しから目前の人物に突きつける。

「こんな部活動が認められるわけがないでしょう」

 突きつけた用紙の一番上には[新規クラブ活動設立申請書]と書かれている。その下の[新規クラブ名]の欄には[魔王軍地球侵略支部]と、習字の見本かと思えるくらいの綺麗な字で書かれていた。

「まずこれは部活動名ではないでしょう。活動内容も……」

「魔王様復活の時に喜んでいただくために、この地球を侵略する。と書かせていただきました」

 ほとほと呆れ果てた声色にも、意を介することなく淡々と答える人物、粉雪魅由の隣で、山之辺優菜は本当に申し訳なさそうにしている。

 どうしてこんな事になってしまったのか……放課後、魅由に生徒会室まで付き合ってほしいと言われて、特に深く考えずに了承した自分は何と愚かだったのだろう、と優菜は思わずにはいられない。

「そのような星ノ杜の生徒に相応しくない活動内容では、申請を通すことはできません。そもそも、部の設立には五名以上のメンバーが必要です。ですが、この用紙には二名しか書かれていません。それに、同好会ならともかく、部を名乗るのなら顧問の先生も必要です。そもそも、どうして用紙での提出なのですか。申請はタブレットからでもできるでしょう?」

「いえ、それが。タブレットでは、何故か申請ボタンが押せなかったのです」

「それは、メンバー欄に二人しか入力していないからでしょう」

「なるほど……奥が深いのですね」

 いや、全然深くないから。ほら、生徒会長もまた目元を抑えながら座り込んじゃったし。本当にごめんなさい、生徒会長……本当に申し訳ない気持ちで一杯の優菜。そこへ、

「失礼します!」

 挨拶が早いか、生徒会室のドアが派手に開け放たれる。内開きのドアはそのまま弧を描き、壁にぶつかるや否や、鈍い破壊音を立てて停止した。

「こらこら、まずはノックが先だろうに。全く君ってやつは」

 いや、そういう問題だろうか……あのドア、取っ手辺りが明らかに壁に突き刺さってそうなんだけど……生徒会室にいた四人の視点が壁に張り付いたまま動かないドアの行く末を見守る中、二名の生徒が生徒会室に入ってくる。大庭夏奈子と智賢あさがおだ。


「あ、優菜!急にいなくなるから探したんだよ!って魅由もいたんだ」

 太陽のような明るい笑顔を優菜に向けたかと思うと、その隣の魅由を見て真顔に戻る夏奈子。だが、その表情は若干勝ち誇っているようにも見える。恐らくは、先週末の実力テストの影響だろう。そのテストでの二人の成績は、入試とは逆の結果となった。

「夏奈ちゃん、Shikiし~ずの一員として、そんな態度は感心しないな」

 そんな夏奈子をあさがおが諫める。この一週間で幾度となく見た光景である。その様をソファから静観していた人物が急に「やーーーーん!」という絶叫と共にあさがおに抱き着く。

「うっひゃあ、むぐっ」

 突然の出来事に半ばパニックになりながらも、何とか拘束を解こうと手足をじたばたさせるあさがお。だが、いつの間にか片眼鏡を掛け直していた変態、もとい、逆那沙紗は尚もあさがおに抱き着き「うっひゃー!かっわい―!何この子―!欲しいんだけど!」「むぐぐぐぅ、ってこらこらどこ触って、うっひゃひゃひゃ!」片眼鏡の思うがままにもみくちゃにされるあさがお。

 この突如起こった乱痴気騒ぎに取り残された者たちは完全に思考停止してしまっていたが、

「か、夏奈ちゃん、助け……うぎゅう」

「はっ!と、智から離れろー!」

 あさがおの救援要請に我に返った夏奈子が、左手にあさがおを抱き寄せ、右手で片眼鏡を引き離す。そして、あろうことか、

「お、おお?おおおおお!!」

 片眼鏡の左脇に差し込まれた夏奈子の右手が高々と上がる。軽々と持ち上げられた片眼鏡が宙に浮いた足をばたつかせる。夏奈子はそんな片眼鏡の抵抗を物ともせず、そのままソファに投げ捨てる。

「ぎゃふん!」

 綺麗にソファに着地しつつも妙な悲鳴を上げる片眼鏡。

 夏奈子の尋常ではない馬鹿力に優菜はおろか、魅由や生徒会長も驚きの表情を見せる。

 人一人を片手で易々と持ち上げて投げ飛ばすなんて……しかも夏奈子は、この中ではあさがおに継ぐ背の低さだ。あんな小柄な体のどこにそんな力が宿っているのだろう。

「がるるるる!」ソファで悶えている片眼鏡を唸り声で威嚇する夏奈子。そんな夏奈子を「どうどう」と宥めるあさがおは未だに夏奈子の左腕の中にいる。

「こほん!」

 と、そこに咳払い一つ。全員がその方を見ると、生徒会長が凍り付いた笑顔で仁王立ちしていた。


「うー、ごめんねー、かわいこちゃん」

 ソファに着地した時に派手に打ったのか、臀部をさすりながら謝る片眼鏡。

 優菜たちは今、生徒会室のソファに集まっている。

 テーブルをはさんで、右側に魅由、優菜、片眼鏡、左側に夏奈子とあさがおが座っている。そして、上座に当たる正面には、生徒会長が立っている。先程の凍り付いた笑顔のままで。

「いやまぁ、もう二度としないと誓うならいいさ。後、かわいこちゃんは止めてくれたまえ」

 片眼鏡の謝罪に対して、随分大人な対応のあさがお。だが、未だに夏奈子の左腕の中にいるせいで、あまり大人っぽくは見えない。

「それに、こちらこそすまない。私を助けるためとはいえ、夏奈ちゃんが乱暴にした。打った所は大丈夫そうかね?」

「智が謝る必要ないよ!悪いのはあの人なんだから!」

 右手でビシッと片眼鏡を指差す夏奈子。

「こらこら、人様を指差すものじゃあないよ。それに、理由はどうあれ、怪我をさせてしまった事には変わりはなかろう。なら、ここらでひとつ手打ちと行こうじゃあないか」

「うー、智がそれでいいっていうなら……」納得のいかない様子の夏奈子が小さく唸る。

「逆那女史もそれでいいかね?」

「え、うん。それはいいけど……」

 片眼鏡を掛け直しつつ、改めてじーっとあさがおを見つめる片眼鏡の表情にいつものニヤニヤ笑いは無い。

「な、なにかね?」

 不躾な視線に怯えるあさがお。左手が無意識に夏奈子の左腕を掴む。

「いやー、しっかりしてるなーって思って」

「沙紗はもっとしっかりしてちょうだい」

「いやー、面目なーい」あっはっはと笑う姿には、全く反省の色が見えない。

「さて、それじゃあ話を戻すとして」

 生徒会長が自分のデスクまで移動して、椅子に腰掛ける。デスクに両手をついてから、ソファに座る夏奈子とあさがおに改めて視線を向ける。

「お二人は生徒会室に何の用があったのかしら?」

「あっ、そうだった!」思い出したかのように立ち上がる夏奈子。左腕を掴んでいたあさがおも一緒に立ち上がる事となる。

「そういえば、なぜ生徒会室に行こうなんて言い出したんだい?それも、優ちゃんを探しまわってまで」左腕に捕まったまま、夏奈子を見上げるあさがお。その小動物的な仕草に「んふっ!」と何とも言えない笑みを浮かべる変態が一人。

「えっ、私を?」そういえば、生徒会室に入ってきた時に夏奈子が優菜を探していたと言っていたが、生徒会室に行く用事にも関係していたらしい。何だか、嫌な予感がするのは気のせいだろうか。気のせいであってほしい。

「うん!実はね!私、良い事思いついちゃったの!」

 そうして夏奈子が懐から取り出したものは、「じゃーん!」[新規クラブ活動設立申請書]だった。


「却下です」

「なんで!!」

 生徒会室に響き渡る、驚愕の絶叫。だが、却下と告げた銀髪の少女は目元を抑えながら、もう勘弁してほしいと言わんばかりに首を横に振るので精一杯だ。

「あはははははは!!」

 生徒会室のソファでは、馬鹿笑いしている人物が一名。目に涙が溜まり、またしても片眼鏡を外している。

「どうしても何も……」

 銀髪の少女が瞑っていた眼を見開く。その瞳は呆れと疲労に満ちていた。生徒会長、ルミ・ティッキネンは静かに椅子から立ち上がり、提出された用紙をデスク越しから目前の人物に突きつける。

「こんな部活動が認められるわけがないでしょう」

 突きつけた[新規クラブ活動設立申請書]の[新規クラブ名]の欄には[魔王の復活を絶対に阻止するぞー!部]と、勢いのある大きな字で書かれている。

「まずこれは部活動名ではないでしょう。活動内容も……」

「魔王が復活したら大変だから、何としても阻止しよう!おー!!」

 ほとほと呆れ果てた疲労の色濃い声色に、活動目的を声高々に宣言し、おー!!と右手を天へと突き上げる夏奈子。その左腕の中で、あさがおは本当に申し訳なさそうにしている。

「そのような星ノ杜の生徒に相応しくない活動内容では、申請を通すことはできません。そもそも、部の設立には五名以上のメンバーが必要です。ですが、この用紙には三名しか書かれていません。それに、同好会ならともかく、部を名乗るのなら顧問の先生も必要です。そもそも、どうして用紙での提出なのですか。申請はタブレットからでもできるでしょう?」

「んー、それがですね!タブレットでは、何故か申請ボタンが押せなくて!これってアプリのバクなんじゃ!?」

「それは、メンバー欄に三人しか入力していないからでしょう」

「な、なんだってー!」

 驚愕の事実に戦慄く夏奈子。あ、生徒会長がまた目元を抑えながら座り込んでしまった。そんな生徒会長の様子を見て、本当に申し訳なさそうな表情のあさがおに共感を覚える優菜であった。




「つまり、クラブを作るには、五人のメンバーが必要という事ですね」

「然り。さらに部だと顧問の先生も必要になる。同好会なら、メンバーだけでいいわけだが」

「じゃあどうすればいいの!?このままじゃクラブ作れないよ!」

 生徒会室を後にしたShikiし~ずは適当な空き教室でクラブ設立について話し合っていた。

「というか、クラブなんて作る必要あるのかい?」

 二枚の[新規クラブ活動設立申請書]を見比べて、あさがおが当然の疑問を投げかける。

「そもそも、この[魔王軍地球侵略支部]の活動というのは、具体的には何をするつもりだったんだい?」

 そういえば、活動内容には[魔王様復活の時に喜んでいただくために、この地球を侵略する。]と書かれてはいたが、具体的な話は聞いていなかった。

「そうですね……まずはボランティア活動でしょうか」

「はい?」優菜とあさがおの声が重なる。夏奈子は理解できていないのか、表情に?を浮かべている。

「地球侵略の一歩はまず地域制圧から。そのためにはボランティア活動に勤しみ、地域住民の心を掴むことが必要です」

「へー、普通に良い事だね!」

 魅由の考えに夏奈子が賛同する。というか、ボランティア?地域住民の心を掴む?侵略や制圧はどこに行ったのだろう。

「ふむ、つまりみーちゃんの言う[魔王様復活の時に喜んでいただくために]っていうのは、」

「勿論、魔王様が復活した時に荒んだ世の中では悲しいではありませんか。地域住民の支持を得、ひいては全国のボランティア活動に積極的に取り組み、美しい世界を魔王様に捧げるのです」


 一つ分かった事がある。魅由は良い子だ。恐らく、悪行とかそういった事は想像もできないのだろう。当然だが、世の中がそんなに善行だけで出来ているとは思っていないだろう。だからこそのボランティア活動なのだろうし。だが、知っている事と、想像できる事は違う。魅由には、世の中に溢れる悪行を自分も行える事など、想像すらできないのだ。

「なるほど、みーちゃんの考えは分かった」

 あさがおも同じ結論に達したのだろう。先程の事もあってか、若干……いやかなり疲れているように見える。

「で、夏奈ちゃんの方なんだが……」

 今度は[魔王の復活を絶対に阻止するぞー!部]の申請用紙を手に尋ねるあさがお。

「うん。魔王は優菜の心が悪い子になっちゃったら復活するんでしょ!?」

「概ねその通りだ」

「じゃあ、私たちで優菜と一緒に良い事しよーって思って!」

「ふむ、具体的には」

「んー、とりあえずごみ拾いとか!困ってる人がいたら助けたり!悪い奴がいたらやっつけたり!」

「成程、理解した。けど、最後のは警察に任せよう」

「えーっ、大丈夫!やっつけられるよ!」シュッシュッとシャドーする夏奈子に首を横に振るあさがお。同意を得られず、ちぇって感じで項垂れる夏奈子。

 優菜も、そういう荒事はあさがおの言うとおり、警察に任せた方がいいとは思うのだが、夏奈子のあの怪力を見た後だと、できるんじゃないかって気もしてくる。だが、それは危ない考え方だ。あさがおもそう思っているから、夏奈子のあの力を知っていても首を縦には降らないのだろう。


「ともかく、二つの部活動の意図は分かった」

 あさがおがまとめに入る。先週は、本当にいろんなことがあった。主に魅由と夏奈子の衝突から起こる事ばかりだったが、そんな二人のいがみ合いも最終的にはあさがおが間に入って取り持ってくれた。恐らくだが、あさがお自身も二人をよく観察し、時には傍観し、どうしても解決できない時だけ助け舟を出すようにしているのだろう。

 その点については、あさがおを責める気にはなれないのだが、二人の衝突に必ずといっていいほど巻き込まれていた優菜としては、一刻も早くの解決を、と願わずにはいられない。

「つまり、みーちゃんは魔王が復活した時のために、世界を少しでもより良くしたい」

 無言で頷く魅由を見て、あさがおが続ける。

「夏奈ちゃんは、魔王を復活させないため、優ちゃんと良い事がしたい」

「うん!」元気よく答える夏奈子。

「なれば、二つの部の活動内容は同じものだと言える」

「そう言われてみれば……」「た、確かに!」あさがおの言に双方が同意を示す。

「なら、いっその事、二つの部を一つに統合して設立するというのはどうかね?」

「えー!でも、魅由のは魔王を復活させるためでしょ!?」

 夏奈子がすかさず反論する。

「いやいや、よく考えたまえよ、夏奈ちゃん」

 夏奈子の反論は想定済みなのだろう。あさがおが待っていたと言わんばかりに答える。

「優ちゃんがボランティアに参加するという事は、良い行いをするって事だろう?なれば、どちらの活動にせよ、優ちゃんは悪い子にはならないって事さ」

「おー!なるほどー!」あさがおの返答に夏奈子が納得する。

「みーちゃんもそれでいいかね?」

「はい、それで構いません。私の今の目標は、魔王様に捧げるための美しい世界作りなのですから」魅由も二つ返事であさがおに答える。

「ですが、問題点が二つあります」

「聞こう」魅由の問題定義も想定していたであろうあさがおが、素早く聞く姿勢を見せる。

「まずは人数の問題です。ここにいる人員だけでは、定員に達することができません。もう一つは活動内容です。どちらの申請でも「そのような星ノ杜の生徒に相応しくない活動内容では、申請を通すことはできません」と生徒会長が仰っていました」

 先程、生徒会長に言われた言葉を一言一句間違えないだけではなく、口調や声色も真似て口にする魅由。もし目を瞑っていたなら本当に生徒会長が話しているのかと思う程の完成度だ。

 そんな魅由の指摘に、無言で頷くあさがお。確かに問題点はその二つだろう。まずShikiし~ずだけでは、定員である五名に達することができない。これが申請を提出するためのハードルだ。これを超えるためには、最低一名の協力が必要となるのだが、問題は優菜たちが今学園内を賑わせているShikiし~ずだという事だ。先週、そして今日も周囲のShikiし~ずに対する評判は決して悪いものではない。だがそれは、あくまで外から見ている観客目線だからに過ぎない。現在の認識だとShikiし~ずは何かの見世物か、アトラクションの様に捉えられている。更には、魔王だの勇者だのと宣う、中二病全開の集まりだと思われている。果たして高校生にもなって、このような茶番に自ら入りたいと思う奇特な者がこの学園に居るのだろうか。

 仮に人数をクリアでき、申請を提出できたとしても、活動内容が魔王がどうとかでは話にならない。だが、この事は何とかなりそうな気もする。例えば、クラブ名を[ボランティア同好会]辺りにして、活動内容を[ボランティア活動]にすれば、通るのではなかろうか。

「ふむ。活動内容なら、ボランティア活動って事にすれば申請は通るだろうね。クラブ名も何の捻りもないが、ボランティア同好会って事でいいだろう」

 それについては二人とも同じ考えだったようで、あさがおが二つ目のハードルを難なく超え、今度は魅由が無言で首を縦に振る。

「さすが智!あったまいー!」

「ですが、まだ人員の問題があります」

「ふむ。それについてなのだが……」

 智ちゃんが問題の一つ目のハードルについて話しかけた時、教室のドアが開いて、一人の生徒が教室に入ってきた。


 ドアの開閉音に一斉に振り向くShikiし~ず。開け放たれたドアから入ってきた人物は、四人の姿を見つけるや、笑顔で近づいてきた。

「こんにちは、初めまして。私は三七三燈火みなみとうかです」ぺこりと頭を下げて挨拶をしてくる。

 身長はShikiし~ずで一番高い魅由より、少し高めか。優しげだが、活発そうな笑顔から明るい雰囲気を醸し出している。肩にかかる程度のツインテールは、耳たぶの下辺りでまとめられており、制服のボトムスは、キュロットスカートを着用している。

 星ノ杜学院の制服は、生徒の好みに合わせて、トップスはブレザーに学年毎に色分けされたリボンかネクタイを着用、ボトムスにはスカート、キュロットスカート、スラックスが選択できる他、私服での登校も許されている。

 ただ、私服に関しては、学校側の許可を取ったものでないと使用不可で、着用時には校章を付ける必要があるなどの制約もあり、制服のデザインの良さもあってか、私服で登校する生徒はごく稀である。

 Shikiし~ずのメンバーも全員制服であり、優菜と魅由はネクタイ、夏奈子とあさがおはリボンを着用し、ボトムスは全員スカートを選択しているが、同じ授業を受けている羊たちの中には、キュロットスカートやスラックスを履いている姿も見受けられる。

 三七三もキュロットスカートを選択したのだろう。活発そうな雰囲気によく似合っている。ネクタイは黄色で二年生という事が伺える。

「あ、こんにちは。はじめまして」

 珍しく優菜が初対面の相手に対して最初に挨拶を交わすことができたのは、三七三の柔らかい雰囲気のお陰だろう。優菜を皮切りに、それぞれが挨拶をする。

「あら、ご丁寧にありがとう」

 三七三は微笑みながら感謝の言葉を述べる。その聖母のような笑みに心が癒されているのは、優菜だけではないだろう。

「ところで、一つ聞いてもいいかしら?」

「うむ、何でも聞いてくれたまえ」

 聖母の質問に答える気満々のあさがおも心を癒された一人か。心なしか顔が緩んでいる気がする。

「あなたたちがShikiし~ずさん?」


 ピシィッ!


 本当はそんな音はしていないのだが、優菜には聞こえた気がする。いや、聞こえた。確実に。

「厄い」ぼそっと何かが下の方から聞こえた気がするが、気のせいだろう。

「はっ!まさか!」

 そんな中、若干一名、音が聞こえなかった野獣が、三七三に飛びつく。

「もしやあなたが僧侶か!?」

 若干芝居掛かった言い方なのは、誰の影響だろう。というか、いきなり僧侶とか言われても困るだろうに。

「ん~、どうかしら?」

 あ、返した。それも聖母の笑みを崩さないまま。いともあっさりと。

「……厄い」再びぼそっと何かが地の底から聞こえた気がするが、それも気のせいだろう。

「むむっ、じゃあ戦士!……っぽくは無いよね!魔法使い……っぽくもないし?」

 柔らかい否定とも肯定ともとれる返答に混乱する夏奈子。

 止めて夏奈子。この人もきっと一筋縄ではいかないから。またしても訪れた受難に、最早抗う気力すら沸いてこない。

「落ち着きたまえ、夏奈ちゃん。彼女は残念ではないが、違うよ」

 興奮している夏奈子を窘めるあさがお。というか、残念ではないってどういう意味なのだろう。

「なーんだ、違うのか―!」


 あさがおの言葉を素直に信じて、残念がる夏奈子。

 というか、夏奈子はそれでいいのだろうか。どうも夏奈子はあさがおの言を無条件で信じている節がある。時折反論も見せる時もあるのだが、あっさりと納得させられている姿は珍しくもなんともない。

 夏奈子の純粋さを不安がる優菜を置き去りにして、話は進んでいく。

「ふふっ、ごめんなさいね」謝罪する聖母の表情は先程から変わらない。どういう面の皮をしているのやら。

「いかにも私たちがShikiし~ずだが、三七三女史は一体何用かね?さぁ、疾く答えたまえ。さぁさぁ」

 あさがおにしては珍しく、この状況を一刻も早く終わらせたいと言わんばかりに問いかける。そんなあさがおのせかしも意に介さず、三七三がマイペースに用件を伝えてくる。

「ああ、やっと会えた。私はね、あなたたちを勧誘しに来たのよ」


「勧誘?」

 四人の声が重なる。そんな姿を似非聖母が聖母のような笑顔で見つめながら告げる。

「ええ。あなたたちには是非とも、歌劇同好会に入ってもらいたいの」

「歌劇同好会?」

 歌劇と聞いて一番に思い浮かぶのは、この学院と同県にある有名な歌劇団だ。そのファンの集いという事だろうか。或いは、実際に行う方かもしれない。

「歌劇同好会……というと、確か昨年の全国高等学校演劇大会 で優勝した、あの?」

 優菜の疑問を解消するようにあさがおが答える。国高等学校演劇大会の事は知らないが、名前からして野球でいうところの甲子園という事だろうか。それで優勝となると、相当凄い事だと思うのだが。

「そう!あなた、もしかして演劇に興味あるのかしら?」

 あさがおの言葉を聞いて、三七三は実に嬉しそうに尋ねる。

「いや、通う高校の部活動がどんな活躍をしているかを事前に調べただけさ。差し当たって興味があるという訳ではないよ」

 あさがおとしては余り関わり合いたくないのだろう。若干引き気味に答える。

「あらそうなの?でも、一度やってみれば興味が出るかもしれないし、歌劇同好会に入ってみない?」

 あさがおの否定にもめげずに、かなりの強引さで勧誘を進める三七三。

「ふむ……一つ質問してもいいかね?」

「どうぞどうぞ。何でも聞いて」

「どうして私たちなんだい?」

 そのまま三七三をじっと見つめるあさがお。魅由も同じような疑問を持っていたのか、三七三の動向を注意深く観察している。

「あら、だって毎日のように寸劇を披露しているって聞いたのだけれども」

 寸劇……というのはもしかしなくても、魔王だの勇者だのの、あれの事だろうか。

「あなたたちの噂は既に上級生の中でも有名よ。曰く、入学式当日早々に廊下で寸劇を繰り広げたとか、それは生徒会が企画したものだとか、その後は生徒会長のお墨付きでShikiし~ずというグループを結成して活動しているとか、逆那工学ラボの技術力を取り込んで更なる計画を画策中だとか」

 最初のはともかく、他は全くのでたらめなのだが……しかし、周りからはそう見られているのだろう。特に生徒会関係の噂は、生徒会長と毎日朝食を共にしているのが原因だろう。

「寸劇の評価も上々って聞くから、ここは是非とも歌劇同好会に誘わなくっちゃって思ったのよ」

 聖母の笑みを絶やすことなく、四人を見渡す似非聖母。思わず、優菜たちは顔を見合わせる。以外にも最初に声を上げたのは魅由だった。

「残念ですが、お断りします」

「あら、どうして?」

 魅由の断りの言葉にも聖母の笑みを崩さないところは流石だ。

「私たちは既に[魔王様と楽しくボランティアする同好会]を結成すると決めていますので」

「あれ!?そんな名前だったっけ!?」

 魅由の名乗った同好会名にすかさず突っ込む夏奈子。それを無視して尚も断りの言葉を口にする。

「ですので、歌劇同好会には入りません」

「そう、残念だわ」

 やはり聖母の笑みは崩れないまま、あっさりと引き下がる三七三。これで終わりかと思いきや。

「そうそう。明日の部活説明会に、歌劇同好会も出るから、ぜひ見に来てね」

 それじゃあまたね、と踵を返し三七三は教室を出て行った。その姿を見送ってから、再び顔を見合わせる四人。結局この日は、これ以上話がまとまることは無く、解散となった。




「優菜ちゃんはどう思いますか?」

「んー?」

 夕食時、寮の食堂にて、魅由が優菜に問いかけてくる。

「歌劇同好会です」

 魅由が、今日の放課後に勧誘された同好会の名を口にする。

「んー」

 口の中の食料をゆっくりと咀嚼した後に飲み込んでから、優菜は答える。因みに、今日の優菜の夕食は豚の生姜焼き定食である。

「とりあえずはパスかな」

 これが優菜の結論である。その結論に至った理由として一番大きいのは、あの似非聖母なのだが。あの人は危険だと、優菜の直感が告げている。優菜だけならともかく、あさがおも同意見だったし、間違いなさそうだ。

「そ、そうですか……」

 心成しか残念そうな返事を受けて、おや?と思う。そもそも、その勧誘を断ったのが魅由本人だったからだ。何か心境の変化でもあったのだろうか。

「もしかして、興味があるの?」

 率直な疑問を投げかけてみる。

「あ、いえ。そういう訳ではありませんが……」

 鮭の香草焼き定食に付いていた豆腐の味噌汁のお椀を手に持ったまま、曖昧な返答を返してくる。いつもはっきりと意見を言う魅由にしては歯切れが悪い。

「昔、両親と見に行った歌劇の事を思い出しまして」

 珍しく自身の事を話し出した魅由に、優菜の関心が高まる。

「へぇ。どうだったの?」

「どう……ですか?」

 あれ、聴き方が悪かったかな、と思う優菜だが、

「そうですね。まず演出が素敵でした。照明の使い方や、役者の演技、特に終盤での視線誘導には驚かされました。あの場面で、客席の視線を一点に集める事によって、衝撃の展開へと誘う演出は、正に圧巻の一言です。後は生演奏が重厚で、その場その場に合わせた楽曲がこれでもかという位に合っていて、劇的な展開を繰り広げる舞台を更なる高みへと押し上げていました。他にも……」

 と、そこまで語った段階で、優菜の呆然とした表情に気が付き、両手を顔の前で横に振り出す。

「ご、ごめんなさい、優菜ちゃん。わ、私ったら、つい……」

 そのまま両手を紅に染まった頬に当て、上目遣いで見つめてくる。その姿は普段の魅由からは想像もできない位に可愛くて、目の前にいるのが同い年の女の子なのだと改めて実感する。

「あ、あはは。別に謝らなくても」

「で、ですが……私、何だか偉そうに語ってしまいまして……お恥ずかしい限りです」

 尚も申し訳なさそうにする魅由だが、

「んー。でも、魅由にも可愛い所があるんだなぁって分かったのは、嬉しいよ」

 優菜の止めの一言に一瞬目を見開き、今にも倒れそうになるのを何とか堪えて、声無き抗議の視線を向けてくる。

「えっ、何で睨んでくるの?」

 複雑な乙女心を全く理解出来ていない優菜を見て、魅由は一言「ずるいです……」と呟くのだった。




 翌日の放課後、優菜と魅由は講堂へと集合していた。特にどちらが言い出したわけではないのだが、二人の足は自然と講堂へと向かっていた。

 因みに、夏奈子とあさがおは学校が終わるや否や、家の用事があるとかで、直ぐに帰宅していった。

 今、講堂のステージにはビリヤード同好会が立っている。ビリヤードの仕組みや、ゲーム内のルールなどを、プロジェクターを使いながら説明している。

 ステージで繰り広げられる説明を見ながら、優菜は魅由の様子も気になっていた。

 魅由は無言でじっと舞台で繰り広げられる説明を聞いている。興味があるのかないのか、表情からは全く分からない。相変わらずのポーカーフェイスだが、魅由なりに心が動かされる時は若干の変化が見られる。それらが見られないという事は、興味が全く沸かないのだろうと推測される。

 そんな感じで魅由をちらちらと観察していた優菜であったが、時折視線が合う事が事があった。その時の魅由は、優菜の目を見て優しく微笑んでくれて、そんな仕草に益々分からなくなる。魅由は一体、優菜に何を求めているのだろうか。


 やがて、ビリヤード同好会の出番が終わり、まばらな拍手の後、ステージが暗転する。

 次はいよいよ歌劇同好会の出番だ。周りの生徒たちも若干騒めき出している。「いよいよだね」「楽しみー」「こっち見てくれるかなー」様々な騒めきの中、『続きまして、歌劇同好会の紹介です。』とアナウンスが流れる。

 暗闇のステージに一筋のスポットライトが灯る。そこに立っているのは、昨日空き教室で出会った人物、三七三燈火だ。

 ブレザーから見えるリボンは赤色、一年生のカラーだ。ボトムスは昨日とは違ってスカートを履いている。

『今日は高校生になって初めての日。これから三年間、私はここで過ごすことになります。』

 三七三の少し緊張した声が講堂に響き渡る。騒めきは既に納まっている。三七三の役は今年入学した新入生のようだ。リボンの色が赤色なのも、その為だろう。静寂の中、三七三の演技は続く。

『これまでの私には、何もなかった。やりたいことも、なりたいものも。』

 三七三の演技は、一言でいえば普通だった。下手という訳でもないのだが、特段輝くものも見られない。表情も昨日のような聖母の笑みは消えていて、硬いものとなっている。

 昨日の去り際、三七三は部活動紹介を見に来てほしいと言っていた。その事を優菜は、演技に自信があるからだと思っていた。歌劇同好会の舞台を見れば、きっと入りたくなる。その自信があるからこその発言だと思っていた。

『この学校で、それが見つかるの?……見つけたい……けど!』

 演技の続く中、僅かな落胆を感じる優菜。だが、次の瞬間。それは完全に消え失せる。

 舞台袖にもう一つスポットライトが灯る。そこから現れた人物に、客席から黄色い歓声が上がる。制服のネクタイの色は青色、3年生だ。三七三よりも長身のスレンダーな体型にスラックスが良く似合っている。照明の影響か、若干蒼みがかって見える長髪はあさがおよりも長い。


『見つかるよ、きっと!』


 舞台中央にいる三七三に近づきながら希望に満ちた言葉を投げかける。三七三も近づいてくる人物を見ていたが、やがて顔を背け、叫ぶ。

『でも、今までだって見つからなかった!』

 否定する三七三の手を取り、顔を自身へと向けさせる。

『大丈夫!だって、私がいるから!』力強い声で告げる。あなたは一人ではないと。一人にはさせないと。

『そして、皆がいるから!』

 三七三と共に客席を向く。右手は三七三の手を握りながら、左手は客席に向けて高く掲げて。

 音楽が流れてくる。メロディに合わせて舞台上の三年生役が歌う。

 それは校歌だった。優菜も入学式でうろ覚えながらも歌ったのはつい先週の事だ。

 だが、まるで違った。力強く、抒情的で、聴くもの全てに勇気を与えているかのような、そんな歌声だった。

 やがて歌が終わり、舞台の二人が礼をすると、客席から大声援が起こる。キャー!だのサイコー!だのの中に、サレンサマ―!と叫ぶ声が聞こえる。

 されん……それがこの講堂にいるもの全てを魅了した人物の名前か。

 歓声と興奮の坩堝の中、呆然とする優菜。最早、その瞳には、舞台で晴やかに微笑む人物、春深咲恋かすみされんしか映っていなかった。

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