第35話 絶望と希望

「ちがうの。そうじゃなくて。実は……官僚の人から声がかかってるの」


「!?」


 おじさんがはぁ、とため息をつく。私は言葉の意味を一生懸命に理解しようとしていた。


「政府のある官僚の人からね、貴方の娘を私の息子と結婚させて欲しい、って」


 何をそんなバカげたことを……


 少なくとも私の中にある常識ではすでに通用しない世界にいるようだ。


 すでにスカスカになった精神をなんとか稼働させてなんとかこの世界の理解に追いつこうとする。


「その官僚のいい評判はあまり聞かないし勿論断ろう、と思ったのだけれど、私の企業に無言の圧をかけられてね。だから理由もなしに断るわけにはいかなかった」


「だから……翔と結婚、ってこと?」


「そう。娘はすでに結婚相手が決まっているので……って理由で断ったの」


「あのー。それ俺下手したら飛び火くらいますよね」


「確かに、それは申し訳ないと思っているわ。でもそれに見合うメリットの方をお父様の方には提示しましたし、そもそも梓の結婚相手なんて翔くんしかいないと思っていたので」


 聞くと翔は眉がピクリと動き、正面に座る男をじっと睨みつける。


「お父さん?俺何も聞いてないけど?」


「知る必要のない事だからな」


 ちっとも引かない翔父の態度に、翔はキレて立ち上がろうとしたが、すんでのところで思いとどまる。


「わ、わりぃ。怒りたいのは梓だよな。ちょっと頭冷やす」


 怒りたいのは梓……か。


 今私はどんな顔をしてるのだろう。いまにもキレそうな顔かもしれないし無表情かもしれない。正直今自分が何を思っているのかが分からなかった。


 散々否定してきた親の利益のための政略結婚が実は自分を守るためだったと発覚して、私には官僚……上級国民の魔の手がかかってる、とも言われた。


 ……もう諦めてもいいんじゃないかな。


 一瞬彼の顔が頭によぎる。


 それでも私はもうこれ以上間違いたくはない。今思えば感情論なんて私らしくない。翔と名前も知らない上級国民、どっちと結婚したいか聞かれれば迷わず翔、つて答える。それに付き合っていけば翔のことを好きになる可能性だってあるんだ。だってこの土壇場で話し始めて二週間くらいしか経ってないはずの彼の顔が思い浮かぶくらいだもん。翔のことだってきっといつか好きになれるはず。そして十年後とかにはきっと幸せな未来が待っているんだ。ならそれでいいじゃん。諦めることを正当化する材料は沢山あるけど、否定する材料なんてどこにもない。


 私はこの部屋の空気を飲み干すくらい大きく深呼吸をして高鳴る鼓動を抑える。


「あ、梓?」


 翔が心配そうな目で私を見てくる。


 色々としてくれてたのにごめんね。後、翔は好きな人がいたんだっけ。それもごめんね。私が多分これを言えば翔もそれに乗っかることしか出来なくなるかもしれない。本当に翔のことを考えるならこれはダメだよね。でも、私はもうヤダ。楽になりたい。昨日みたいな辛い思いはもうしたくないし。


 お母さんが私を見て優しい微笑みを浮かべる。


 今思えば結婚も私のためだったんだよね。申し訳ないことしたなぁ。言いなりになる形になるのは癪だけど、それでももう引き返したくはない。


「お母さん……わかった。私は……」


 最後に月瀬君。私と翔の勝手なわがままに付き添わせちゃってごめんね。彼女さんとは幸せになってね。これが終わったら普通に友達として仲良くなりたい。それで十年後とかにはお互い結婚してて、一緒にあんなことあったねーとかこの話を笑い話みたいに話す。そんな未来が待っているならこの選択は決して間違いじゃない。


「私は翔と結婚……」


 それはあまりにも突然だった。




 ドガ、ズガン!ガチャドガ!




 言い切る前に突然ものすごい音が窓のところから聞こえてきたのだ。


 な、何事!?


 自然と音の方向に目が行く。


「あっ……」


 そこに居た「彼」を見た瞬間私は唖然とした。








「その結婚……ちょっと待った」

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