第34話 それぞれの思惑

 同い年くらいの中年の男女と、同い年くらいの高校生男女、計四人が同じ部屋にいる。第三者からしたらこの四人は家族だ、と思うかもしれない。でも実際は二つの家族が一緒にいるだけ。もっとも、話し合いに失敗すればそれが現実になってしまうかもしれないんだけどね。


 入って最初に口を開いたのは翔だった。


「時間を取ってもらって申し訳ないです。ゴホッ、すいません、少し埃っぽいので換気しても宜しいですか?」


 用意された椅子や既に腰をかけた二人の親の横を素早くくぐり抜け、窓を開ける。


 別に埃っぽくはないと思ったけど、翔には気になったのだろう。最高のパフォーマンスを発揮するために万全の準備をする。彼はそういう男だ。


「ええ、もちろん。ごめんなさいね。掃除はしてるはずなのだけど客間はあまり使わないもので。それで話は勿論……結婚の件よね」


「うん。やっぱりおかしいと思うんだよね」


 お互い特に雑談や近況報告を挟むことなく、早速本題に触れる。立場としては「無理やり結婚を子供に押し付ける親」対「正当にそれを批判する子供」だ。


 普通に考えれば後者が圧倒的有利。普通に考えれば、ね。


「おかしいって何がかしら。翔君が相手なのが不満なの?」


「違うよ。そんな事じゃなくて」


 不思議と言葉はスルスル出てくる。これが崖っぷちで後には引けないからだろうか。いつもは母に言えないことも言えそうな気がする。


「結婚てやっぱり自分で相手を見つけて、自分で関係を築いて言って、それでゴールインするものだと思うの。だから……自分の意志とは関係なく好きでもない人と付き合うのは違うと思う」


 おじさんの眉がピクリと動いたのがわかった。母は相変わらず掴みどころのない表情をしていて、翔はハハハ、と苦笑いしていた。ごめんね翔。ホントのこと言ってるだけだから。


「へぇ……そう。翔君のことは好きじゃない、と。昔から一緒にいるからそういう感情があるものだと思ってたわ。ごめんなさい」


 決して出ることの無いと思っていた謝罪の言葉は意外にもあっさりと出てきた。ただそれは心からの謝罪には決して見えない、形だけの謝罪だった。


「じゃあ梓は他に好きな人でもいるの?」


「……!それは……」


 ホントに一瞬だけ彼のが思い浮かんだけどすぐに忘れる。だって私は元々彼のことを好きになりたい、って思ってたんだもん。この場面で彼が思い浮かぶことは何も不思議ではないことだ。


 気持ちを落ち着かせて答える。


「確かに……いないけど。でも後々好きになる人ができるかもしれないじゃん」


 最後の方にかけて言葉が弱くなって行ったのが自分でもわかる。


「かもしれない、ね。そんな不確定なものを信じるより、昔から一緒にいる翔君とくっつく方があなたは幸せになれると思うのだけど。違う?」


「それは……」


「それは違くないですかね」


 言い淀んでいると先程まで無言を貫いてきた翔が口を開く。


「確かに、かもしれないとか実に感情的で非合理的ですよね。合理性を考えるなら僕と結婚した方がいいと思いますし。結婚詐欺とかいうのもありますし。それでも恋愛において合理的であるべき、という教えはどこにもないと思うんです。現に僕も梓さんのことを一度たりとも恋愛感情で見た事有りませんし」


「おい、翔。なんだその態度は」


「鼻にかかる態度だったなら謝るよ父さん。でも、俺が間違ってるとは思わない」


 おじさんの叱責をあっさりと跳ね除けて、我を貫く姿に不覚にもすごい、とか思ってしまった。


「それに、無理やり結婚なんて人権侵害も甚だしいですよね?」


 まるで推理を披露する探偵のように得意気に続ける翔を見て


 ……それだけ言えるなら最初から駆け落ちとかふざけたこと言わないでよ……


 なんて思ったけど今は心の中に閉まっておく。


 ただ、お母さんがここではい、すいませんでしたって言わないことくらい分かっている。


 お母さんは全く表情を変えずに、用意された脚本を棒読みするかのように答える。


「人権人権、って、言ってるけれど、あなた達はまだ子供なのよ?親の元で暮らしている。そういうことは自立してから言うものじゃない?」


「別に、親に養ってもらってるってことが自分の意志なしで結婚しなくちゃいけない理由にはなりませんよね。それに結婚できるようになる年齢の頃には自立しますよ」


「へー、あと一年で自立するの?」


 初めてお母さんの口角が上がる。翔の言葉に興味を示したってことだろうか。


 というか、あと一年で自立するとか私も聞いてないんですけど。大学生になって一人暮らしすることはあるだろうけど、あと一年って高三なんだけど。高三で自立するなんてなかなか聞かないんですけど。なに、そんなことまで考えてたの?


「はい。色々やりたいこともあるので」


 ニヤッと口角を上げて言ったその言葉にはどこか言い切った感じが含まれていた。


「ふ、ふふふっ。翔君も流石ね。たしかにそこまで言われたら私達も妥協するしかないわね」


 お母さんが笑った!?


 お母さんが心からの笑いを見せたのはいつ以来だろう。おじさんはおどおどと戸惑った表情をしている。恐らくおじさんも翔が自立することを初めて聞いたのだろう。


 というか妥協するしかない、って。


 その言葉に期待を覚えたが、お母さんはすぐに冷静な表情に戻る。その表情を見て、一瞬にしてこの議論はまだ終わっていないことを悟る。


「ならあなた達、高校生の間は付き合いなさい」


「!?」


「は?何言ってんだよ!」


 不自然なまでに大きな声を上げたのは翔。私はお母さんがこんな所で食い下がらないと悟っていたので驚きはそこまでなかった。おじさんは驚きの表情をしている。これはシナリオ外だったのだろう。


「翔君のその言い分なら高校生の間なら親の言うことを聞かなくちゃいけないことになるわよね?なら結婚はしなくていいから付き合いなさい」


「え、それは……」


 ここに来て初めて翔が言葉につまるが、その隙を見逃すまいと続ける。


「そもそも結婚なんて大義名分だしね。私たちの会社がお互いに仲良くせざるを得ない口実さえ出来ればいいの」


「でも、それならわざわざ結婚とか付き合うとかしなくても!二人は仲良くてよく遊ぶってことが分かればいいんじゃないの?」


 翔とバトンタッチで今度は私が口を開く。あっさりと妥協案が出たのは驚きだったし上出来でもあったけど、その妥協案に私が妥協する訳にはいかない。


「はぁ……こちらもかなり譲渡してるのに。いい?私のシナリオは結婚前提で付き合ってたけど結局別れちゃったってことなの。だからそれじゃあ不十分。何度も言うけど口実さえ出来ればいいのよ。ね?お父さん?」


「あ、ああ」


「お母さんがおじさんのことをお父さんって呼ぶのは気に食わないけど。それはいいとして、それなら私達が付き合ってるって会社に嘘をいえばいいだけじゃん。それで私たちは実際に付き合わない。そのくらいなら全然構わないし、口実もできる。それとも何か他の理由があるの?私達が付き合わなくちゃいけない理由が」


 普段は絶対しないほどに早口だった。


 しかし、妙だとは思っていた。推理担当は翔だけど私だって学年トップの成績保持者だ。一応頭脳には自信がある。


 そもそも会社同士が今敵対関係にあるからってそこからすぐに政略結婚に移るっていうのはさすがに無理があった。ただ、お母さんの考えていることを完全に理解出来たことは今まで一度もなかったからなんとかそれは納得した。


 問題は今日だ。親たちのやり取りを見る限り敵対関係にある会社の代表同士には見えなかったし、何より「私たちが付き合うだけでいい」って妥協した点。すぐに妥協したってことは最初から無理やり結婚させるつもりはなかったってことだ。おじさんがどうかは知らないけど。


 ただ、これはこの政略結婚の理由に会社の不仲が絡んでいる、ということを否定しただけで、政略結婚を提案してきた理由がわかる訳では無い。さすがにそれはわかんないや。


「別の理由……ね。それを言ったらあなたは納得するのかしら?」


 声のトーンが落とされたその言葉には妙な重みがあった。それに寒気を感じつつも自分も落ち着いた声のトーンで返す。


「そんなの理由聞いてからじゃ分からないけど。理由が他にあるなら聞かせて欲しいな」


 別に理由を聞いたところで私の心持ちが変わる訳では無い。それでも嘘の理由を話してまで娘を他人に差し出したい母の心持ちがどんなものなのか、と気になった。


「仕方ないわね……端的に言えば、あなたのためよ」


「それはさっき聞いたよ?私を幸せにするためだーとかなんとかって」


 この期に及んでまだ嘘を突き通すのか、と次第に怒りが込み上げてくる。


 しかしそれはすぐに訂正される。


「ちがうの。そうじゃなくて。実は……官僚の人から声がかかってるの」



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