第7話 月の下で
父さんは防戦一方に見えた。白い覆面の二人が交互に、あるいは同時に槍を振るう。力強く振るわれた金属製の槍が父さんの黒い槍とぶつかり合い、鈍い金属音が弾ける。何度も。何度も、何度も。
ぼろぼろになった狭い居間の中心で、三人は槍を交え続ける。父さんはその足を一歩も下げることなく二人の攻撃をいなし続ける。羽織った黒い衣が揺れて、まるで踊っているようだった。
ガキン!
ひと際大きな金属音が響いた。白い覆面の二人の表情は見えない。だが必死だった。父さんを狩るために。槍を振るうときの息遣い、声を聞けばわかる。
叫びながら全力で白い槍を父さんの横腹に振り込む。二人同時に何度も何度も。だがそれが当たることはなかった。父さんは黒い槍を打ち付けて相手の槍を受け止める。時には軽く当てて流すようにかわす。それを一本の槍で二人同時に。
防戦一方に見えた。いや見えていただけだった。覆面の二人は踊る父さんの動きに翻弄され続けていたのだ。覆面の下で汗をかいてるのがわかる。その振りが大ぶりで力任せなものになっている。
父さんは、覆面の一人が大きく槍を振りかぶった隙を見逃さなかった。
息が止まるような衝撃。
黒い槍が覆面の一人の胸を突き刺し、後方へ吹っ飛ばした。父さんは目にもとまらぬ速さで槍を突き刺し、いつの間にか覆面の胸を穿った。そして機敏な動きで槍を後ろに引き、左足を強く踏み込む。仲間が1秒にも満たない刹那で殺され、驚きを隠せないもう一人の覆面。
一瞬だけだった。だが覆面の奥の目が見開いた瞬間を逃さなかった。
音はしなかった。それほどに早く、まっすぐな突きだった。
「あっ、かぁっ」
突き刺された覆面のあご下から血が流れている。覆面は父さんの前にひざまずいた格好になり、父さんが槍の穂先に刺さった敵を振り払うように槍を引き抜いた。
べたりと僕の顔に血が飛んできた。僕はまだ暖かい血を手首で拭った。
「いこう、春」
振り返った父さんの顔は血で暗くなっていた。
――
「俺の影に隠れて、頑張ってついてくるんだ。できるな?」
息を呑んだ時のどろっとした喉の音が体の中で響く。父さんの言葉に僕がうなずくと父さんは裏口のドアを開けて走り出した。
家から出たその瞬間、人の怒号が聞こえて森が騒ぎ出した。そして、無数の矢が僕と父さんを襲った。
「春、こっちだ。斜め後ろを」
父さんが走りながら手で僕を促した。父さんは立ち止まり僕は父さんの影に隠れる形になった。
暗闇を切り裂く無数の白い線。高速で近づいてくる。びゅんと風を切る高い音が響き渡る。父さんは槍と左足を少しだけ前に出して構えた。そして、迫りくる無数の矢を次々にはじき落す。槍を素早く、目にもとまらぬ早さで回転させる。残像が残るほどの凄まじい早さ。矢が風を切る音よりもさらに大きな音を鳴らす。ゴン、ゴンと空気を掻き混ぜるような音は鳴りやむことはなく、父さんの体の周りでは風が起きていた。
「春、来るんだ」
透き通った夜の空気に父さんの声が響く。
矢の数が少なくなった。そのわずかな時間を見逃さず、父さんは森の中へ走り出した。走りながら胸の辺りに手を当てて、「うぐっ…」と声を上げなら手を動かしている。そして走りながら何かを投げ捨てた。投げ捨てたのは矢だった。僕は遠ざかろうとするその背中を必死に追いかけた。
――
「父さんっ、奴らは、なに」
胸が苦しい。肺が締め付けられるように痛む。胃も痛い。きりきりという鋭い痛み。加えて重たくのしかかるような鈍痛。
「あれは
「覆面部隊、」
森の中には僕と父さんの足音、草と枯れ葉を踏みしめる音が響く。
「彼らは汚れ仕事を担う。だから兵士にはあるまじき、顔を隠す行為を許されている」
「汚れ仕事って」
「王府の非公式な命令が下れば諜報活動ができる。潜入、暗殺、改竄、破壊工作。戦争以外で唯一、正式な許可なく殺しが許されている機関だ」
「そんな、そんなものがあるの
衝撃だった。兵士とは、
「父さんがなにかしたの」
走りながら話しているからか頭が痛い。締め付けられるような痛み。
「……」
それは恐れていた無言だった。
「父さんは、」
息が荒れていたからだろうか、次の言葉が出てこなかった。いや違う。僕の心の中で何かが渦巻いている。黒い渦。黒い煙のような渦が僕の顔の周りを漂っていて、息を吸うのが憚られる。
「俺は兵士だった。だけどな、
父さんは、なんのためらいもなく言った。どんな表情をしているのかはここからじゃ背中しか見えないからわからない。
「話がわかりづらくてごめんな」
声は平坦だったからその声音だけでは父さんの心の裡がどんな光景なのかは予想もできなかった。
「ただ、ここで言えるのは、正しいものを見極めるのは難しいってことだ」
「え、」
予想もしない話題が出てきて返答に困った。
「春、」
父さんは僕の名を呼びかけると急に立ち止まった。その後ろ姿はやはり大きい。そして美しかった。木々の間から差し込む月の光に照らされる彼が。
「俺がここで
「……」
鉛かなにかで頭を打ち付けられたような衝撃が走る。
「何を、言ってるの」
「想像するのは難しいよな。でもたぶんだけど、そうなったら春は
「……」
今の僕にできるのは息を切らしながら呼吸をすることだけで、父さんの言っていることを完全に理解することは難しかった。
「憎しみとか恨みだとか、復讐、報復だとかそういったものは厄介だ。心の中に巣食う。心の中を黒く染め上げてしまう。その黒に支配されると人は狂ってしまうんだ。
春、俺は必ず
「いったい、何を言ってるの、」
僕の頭はすでにパンク状態だった。何を言われても、言葉が意味を持って入ってくることはなく、ただ音と同じような状態で脳に認識される。
「春、俺が死んでも、復讐は考えないでくれ。これから春の中には黒が巣食うようになる。それはおそらく避けられないだろう。けど、その黒に従ったとしてもその先に自分が満足する結果は待っていないんだ」
黒く輝くその目は僕の胸を貫いた。心臓を鷲掴みされるような気持になった。わからない。父さんの言葉の意味も、どの言葉を返答に選べばいいのかも。
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