第2話 虐げられた者たち



 じりじりと日差しが肌を刺す。僕とライは、丘の上にそびえる木に向かって走っていた。

 

 「もう走れないよ」


 「だらしないなぁ」


 「あともうちょいだろ」


 額に汗を浮かべて僕の先を行く小麦色の肌の少年。彼の名前はライ。僕の唯一の友達。


 ライが先に木の影に入って、ごつごつと波打つ木肌にもたれかかる。


 そのあとを追うように僕もライの隣にもたれかかる。ふくらはぎに草のひんやりとした感触が走る。

 

 さらさらと風が流れる。

 空気が汗に当たってひんやりと体を冷やしていく。


 そよ風で草原の草は揺れる。太陽の白い光がそれに合わせて、海の波のように流れていく。


 隣のライが何かをぼそっとつぶやいたが、風の音が邪魔をして彼の声が聞こえなかった。


 「え、なんて?」


 「春、俺は兵士になるぞ」


 ライが得意げな笑みを浮かべながら、突き刺すような視線を向けてくる。


 疑問符が頭に浮かんだ。


 「なんたっていきなり」


 「お前も将来のことを考えたほうがいいよ」


 ライは前を向いた。鼻が高くてはっきりとした顔立ち。歯が白くてさわやか。僕は持って生まれたその顔が少しうらやましかった。それだけでなく能動的なところも。


 「怖くないのかい」


 僕はライの忠告を聞きたくないと言わんばかりに無視して、別の質問をぶつけてみた。


 「怖いよ、でも父さんみたいに畑を耕すだけじゃ今の状況から抜け出せない」


 ライは言葉を続けた。


 「俺たちクオラクは勉強だってさせてもらえない、成り上がるのは難しい」


 「成り上がるって、よくわからないよ、そんなに重要なこと?」

 

 ライがなぜそんなことを口走るのかよくわからなかった。この山で暮らすだけでも僕は十分だった。それ以外の生活を考えたこともなかったし。


 「兵士なら、この腕一本でなれるんだぜ」


 「誰から聞いたのさ」


 「父さんだよ」


 「兵士になればクオラクからアラメに格上げだろう?金持ちじゃない俺らが成り上がれる唯一の道さ」


 「なんかお父さんにそそのかされてるんじゃない?死ぬかもしれないのに」

 

 僕は考えた。ライのお父さんは自分が今よりいい暮らしをしたい。今の自分ではもう間に合わないから、ライを兵士にして、家族ごとアラメに格上げになって今よりいい暮らしをするつもりなのではと。


 「このまま、虐げられて山の中で暮らすよりましだろ」


 ライは立ち上がり、一歩、二歩と前に出ると大の字で寝転んだ。


 僕もそれを真似して隣で寝転ぶ。目の前には、空を隠し、緑の光を放つ葉っぱだけがあった。


 「よくわかんないや、僕は祥と父さんと暮らせれば特に不満はないし」


 「向上心のないやつ」


 「来みたいなのが珍しいんだよ」


 兵士のイメージ。それは、傷つけあって、にらみ合って、憎み合って、殺し合う。そんな言葉が思い浮かぶ。それが仕事だなんて僕には考えられない。


 「明日さ、アラメの街にいってみようぜ」


 「え」


 「「英」《エイ》の城下町だよ、いろいろ店とかあって、人も多いし面白いらしいぜ。一回くらい行ってみたいじゃんか」


 「そんなの知ってるよ、でも」


 「びびってんのか」

 

 僕は行きたくなかったから、必死で言い訳を探した。


 「クオラクだってばれたら皮をはがれるって聞いたけど」


 「なんだその迷信、聞いたことないぞ」


 

















 さっそく次の日、僕とライはアラメの街にやってきた。来たのは「英」《エイ》の城下町。


 子供二人だけということで門兵に止められたが、別の街から薬草を仕入れるためにやってきたと嘘を吐けば簡単に通してもらえた。


 道の両側には簡単なテントが張られており、商人が物売りをしている。客との値交渉の声が聞こえたり、あるいは世間話など、山の中では聞きなれない会話が飛び交っていた。


 野菜や果物、干し肉などの食料、塩やトウガラシなど調味料や香辛料、または衣類など様々なものが売られている。商人も老若男女様々だがみんな元気に客引きをしているようだった。


 にぎやかな街に心が躍った。人の笑い声を聞くだけでも楽しい。

 隣を歩くライもきょろきょろと辺りを見回していて、笑顔と好奇心が隠しきれていなかった。


 もちろん、父さんには黙ってここまで出てきたからお金は一切ない。露店の商品を眺めることしかできないが、それでも見たことのない装飾品に僕たちは目を輝かせた。


 「買う気がないならどっかいきな」


 と、追い出されることもあったが、それでも懲りずに僕とライは露店を端から端まで見て回った。





 「これなんだろう、名前か?」


 街の掲示板のようなものを指さしてライが立ち止まった。

 掲示板の右半分を埋め尽くすように名前がずらりと並んでいた。


 「戦闘序列って書いてある」

 「春、お前文字読めるのか」


 僕ははっとしてライの口をふさいだ


 「何言ってるんだ、そんなこと聞かれたら僕たちがクオラクだってばれるだろ」

 早口でライの耳元でささやく。彼は、おずおずと「ごめん」とつぶやいた。


 僕らと同じく掲示板を見ている大人たちを見回した。が、ライの発言に気付いた者はいないようで、ほっと胸をなでおろした。

 「父さんから少しだけ教わったんだ」

 ライの耳元でまた囁いてから、僕とライは掲示板を眺める。


 「戦闘序列

 1位 亂和ランワ ノ 千杞センキ

 2位 白栄ハクエイ軍 ノ 愛藍アラン

 3位 白栄ハクエイ軍 「コウ」 ノ 崔線サイセン

 4位 白栄ハクエイ軍 「コウ」 ノ 方留斗加ホルトガ

 5位 亂和ランワ ノ 蘇半ソハン

……」

 僕はライの為に書かれた文字を読み上げた。


 「これは、要するに強い兵士の順位が書かれてるってことだよな」


 「みたいだね、100位まで書いてある」


 掲示板の右端はその100人の兵士の名前だけで埋まっている。


 周りの大人の声が聞こえる。やはり千杞センキが1位か。方留斗加ホルトガがあの順位ってどういうことだ?さすがに白栄ハクエイ軍が多いな、などなど、大人たちの話題の一つになっているようだ。


 文字が読めないはずのライだったが、目を輝かせながら掲示板の文字を眺めていた。


 「おれも早いとこ、あそこに名前を書かれるようにならないとな」


 「無理だよ」


 「なんでだよ、100人も書かれるならそのうちの一人くらいにはなれるだろ」


 「白栄ハクエイ軍だけでも兵士は19万人いるんだぞ。そのうちの100人なんてとんでもない実力者だ」


 「それでも目指すべきはあの中だ」


 僕はとんだ夢物語だとため息を吐きながら首を振った。







 「なんだ、あそこ」

 露店の並びが終わったところで広場が現れた。


 おそらく普段は、何の変哲もない、集会でもなければ使われないような広場だったが、なぜか人でにぎわっている。


 「人が集まってるね」


 「いってみようぜ」

 「あぁ、うん」


 ライが人込みに向かって走り出したから僕はその背中を追った。


 広場の中心に近づいていく。だが人込みもそれにつれて密度を増していく。やがて大人たちの背中しか見えなくなり、広場の中心で何が行われているか全くわからない。


 ライは「ちょっとごめん」と言いながら、大人たちが並ぶわずかな隙間を通ってどんどん前に進んでいく。時には手で大人の体を押しのけながら。押された大人は特段嫌な顔をするわけでもなく、むしろ広場の中心で行われている何かに嬉々として目を奪われている様子だった。


 それほどに面白い催し物でもあるのだろうか。


 ライについて行き、僕も大人たちの隙間を押しとおりながら彼について行った。


 そうして進んでいつの間にか、最前列に出たようだった。


 最前列には柵があった。木でできた柵。おそらく前日からこの広場の土に差し込んでいき作られたであろう即席の柵のものだった。

 その柵は広場の中心を円を囲むようにして設置されていて、その柵の周りには大人や子供たちがずらりと並んでいる。みんな柵の中で行われる何かを楽しみにしているようだった。


 「何がはじまるんだろう」

 ぼそりと呟いた僕の言葉は周りの喧騒にかき消された。

 ライも同じ気持ちだったようで、その顔は街に入った時と同じように嬉々とした表情だった。


 どきどきした。これから僕たちの想像を超えるなにかが始まるのだと。

 何が始まるか予想してみた。街の娯楽はきっと僕らが思いもよらないものだ。例えば、そう、ここで強い兵士らの試合が始まったりとか、あるいは父さんの本で見た曲芸団の公演とか。




 だが予想は外れた。

 やはり僕の頭なんかでは想像できないことだった。







 僕らの反対側の柵。その周りにいる人々が何かを避けるように道を開ける。

 その道を、さも当たり前のように歩いてきた一人の男。彼はたゆんだ縄をもっていた。男は柵を開けて中に入った。


 そして、その後ろから、男が持った一本の縄に手を縛られた4人のみすぼらしい男たちが現れた。


 彼らは全員同じ服装。服とは思えないほど簡素なつくりの、麻で作られた布をまとっている。全員髪はぼさぼさで、一人は髪の毛から頭皮まで、ダニかノミに食われたように頭が真っ赤になっていた。


 周りの人は4人が歩く道をあける。4人が通り過ぎると、鼻をつまみ、臭いものを取り除くように手で宙を払っていた。笑いながら。


 4人は自分たちをつなぐ縄を持った男について行き、広場の中心で跪いた。


 男は4人をつなぐ縄を切った。


 「まだ動くんじゃないぞ」


 男の声は低かったがそれでも人々の喧騒に負けじと大きな声だった。


 「嫌な予感がする」

 僕は思わずつぶやいた。心臓が胸を叩いている。強く。

 足を動かせ、ここから逃げろと。

 

 僕は隣にいる見物人の男の顔をちらりと見た。


 にやにやと笑みを浮かべながら腕を組んでいる。その隣にいる友人らしき男に耳打ちして「……と思う?」と何やら相談していた。


 「ライ、もう行こう、早く帰らないと暗くなるよ」


 「あぁ、だけど、あと少しだけ」

 ライの顔は曇っていた。今から何やらよくないことが始まる。それはクオラクである自分たちに、直接的にではないにしろ関係があることだと、心のどこかで気づいている。


 柵の中心の男は、手招きをする。するとどこにいたのか、柵の内側から別の4人の男が出てきた。その4人はこん棒を持っていた。



 4人は、中心でじっとしているみすぼらしい男たちにそのこん棒を渡すと、そそくさとその場を去っていった。


 みすぼらしい4人はこん棒を杖替わりにして立ち上がる。


 よろよろしていて立つことすらおぼつかない。辺りをきょろきょろと見渡し状況を確認しているようだった。


 ――いやこれは、状況を確認しているというよりは、

 「春、あの人たち」


 「あぁ、目が」


 4人の目元を凝視した。

 肉を切ったような赤い線がずっぱりと刻まれている。


 そう、みすぼらしい4人は全員目を切られていた。


 だから立つのもおぼつかないし、喧騒しか聞こえないから、どこにいるのかもわからない。


 僕は先ほど見た隣の男の様子を窺った。彼は柵を握りしめ、身を乗り出すようにしてみすぼらしい4人を見ている。表情は変わらない、先ほどと同じように笑みを浮かべながら。その頬は微かに赤くなっていた。


 僕は自然と息が荒くなった。興奮しているのか。隣の男のように。いや。いや、それは違う。


 「では、始めるぞ」


 みすぼらしい4人を連れてきた男は、そう言うと柵の外に歩いていった。

 そして、先ほど4人が入ってきたところから、豚が入ってきた。


 2匹の豚。桃色の体に薄茶の毛がびっしりと生えている。

 しわを寄せて人間で例えるならしかめっ面の表情で、鼻をひくひくと動かしている。

 豚の為にまた道を開けていた人々は今度は鼻をふさぐことはなかった。まるで豚の方がまだマシだとでも言っているように。


 豚は人々の喧騒で興奮しているようだった。


 柵の内側に入った瞬間、一匹の豚がみすぼらしい4人のうち一人に突進した。豚の頭が男の右膝あたりに当たり、男は甲高い声で叫びながら転んだ。そして、こん棒を振り回した。


 鈍い音が響く。


 その音のあと、先ほどの男よりも悲痛な叫びをあげる別の男。


 振り回したこん棒は別の男のすねにぶち当たった。


 その瞬間、げらげらと大爆笑が起こった。


 僕は驚いて、ライと顔を見合わせた。

 ライの顔には小粒の汗がびっしりとついていた。その瞳の奥におびえた表情の僕が映っていた。


 隣の男を見た。男は腹を抱えながら笑っていた。時々歯を食いしばるようにして笑いをこらえようとしていたがまた我慢できずに大きく口を開けて笑っていた。

 隣の男だけではなかった。


 この柵の周りにいる男や女、子供までもが笑っていた。

 豚がみすぼらしい男たちと戯れる様子を見て。


 2匹の豚は何度も男たちに突進した。時には噛みついたりもしていた。

 僕とライはなぜか目を離せなくなっていた。


 男たちが真っ暗な視界の中で、必死で叫びながらこん棒を振り回す。それは豚ではなく周りの男たちに当たり、中には鼻に直撃しうずくまってしまう者もいた。


 みすぼらしい男の一人がこん棒を捨てて柵に向かって走り出した。腹から声を出し、喉を絞りながら叫ぶ。そして柵を掴むとよじ登るようにして足と手をかける。柵はそれほど高くない。大人の胸くらいまでの高さしかないから、逃げようと思えば逃げられる。


 柵の近くの人々は笑いながら、必死に逃げようとする男を見物していた。


 そしてみすぼらしい男が柵を超えようとすると、周囲にいる見物人が、柵を握る手をほどこうとする。それも一人ではなく、見物人が力を合わせてみすぼらしい男を柵の向こう側に落とす。


 落とされた男は何が起こったかわからない様子でまた走り出し、そして豚の体に思いきりぶつかった。



 「あの人たち、」


 「ライ、その先は言ったらだめだ」


 「あぁ、わかってるけど」


 僕はライの肩に手を置いた。


 「もういこう、これ以上は、もう」


 下あごが震えて声が上手く出せなかった。

 

 ライは僕の声を聞くと、焦った表情で何度もうなずいた。




「ここらへんではみかけねぇガキだな」



 唐突に降ってきた声が僕の頭を叩いた。


 その瞬間、僕は雷に当たったように動けなくなった。


 声をかけてきたのは隣の男だった。僕は、目を合わせることもできず、立ち止まった。


 「初めて来たから」


 そんな様子を見かねたライが僕の代わりに返事をした。


 まずい。

 さっと上を見えて隣の男の顔を確認した。


 男は目を細めて首をかしげていた。


 怪しむように僕に顔を近づけてきた。

 汚らしい肌と無精ひげ。茶色い臭気が見えてきそうな口臭が鼻に入る。


 僕は耐えかねて、

 「ライ、行くよ」


 そう言ってライの手を引いた。歓声を上げて嬉々とした表情を浮かべる大人の群れの中を歩いて、出口を目指した。


 

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