第参部 第二話 大国の烈腕
ここでまず、越後が十万規模の軍勢を興してまでこの寺野高地攻略を目指す理由を示しておく。
信濃はその広大な領土故に四方を敵国に囲まれ、本来なら武力による国力の維持など不可能なはずの超大国である。
しかしこの国は、本来なら他国との前線が置かれるはずの国境付近にある険しい山岳地帯を天然の砦とし、また前国主の上杉憲政による大築城事業によってさらにそこに山城が築かれ、その堅牢さは天下に類を見ないほどだ。
ここまでが、以前にも説明した信濃が超大国として存在できる理由。
しかしこの国にも、実は数カ所だけ”付け入る隙”がある。
それが南側の甲斐国国境、5年前の信濃・上田城決戦で織田軍が侵入したような西南の草原地帯。
そして、越後との国境を接する北側一帯の三箇所。
その弱点があったからこそ憲政は、信濃を攻略すると同時に越後と同盟を結んで後顧の憂いを絶ったのである。
そしてこの寺野高地は、そんなほとんど障壁のない信濃国北部において、攻め側にとっての唯一の難所。
崖や河川、小高い丘などが複雑に入り組む険しい地形が数キロにも続くこの地。
それはさながら、地中に張り巡らされた大木の根のように散らばった、武田軍の北側防衛線を中心で支える超重要拠点。
まさに、信濃の心臓部。
なんとしても信濃の内政が混乱している今この地を抜かなければ、天下統一など夢のまた夢となる越後に対し、武田もまた窮地に立たされていた。
5年前まではなんとか薄氷の上の均衡を保っていた北条軍との南部戦線が、再び火を噴き始めたのだ。
国主である武田信玄までもがその対処のため最前線に釘付けになると、本来なら北部に回して人海戦術に持ち込めたはずの国内兵力までもが枯渇。
もしこの状況で北部防衛線まで脅かされるような事態に陥れば、そこから起こるのは信濃の陥落だけに止まらない。
最悪の場合、それは名門・武田家の滅亡に直結する。
つまり、奇しくもこの寺野高地の戦いは。
両国にとって、この先の命運を占う重要な一戦となった。
そしてこの長きに渡る戦いは、ついにその膠着が解かれ。
戦いの火蓋は、すでに切って落とされた。
そこで幸村がまず動かしたのは、彼の私兵団である『玉槍』の五千。
そしてその中でも、幸村と常に行動を共にする最精鋭の部隊『朱玉』を自ら率いた彼が標的としたのは、同じく正面から動いてきた敵の主力部隊。
幸村の策略にまんまと釣られて前に出てきた直江兼続と、彼の誇る最強部隊『黒狼』を敵の本隊から分断し、確実に屠ろうとしたのである。
まずは敵の第一陣を散々に打ち砕いて突破し、さらに奥深くへ進もうとした彼らではあったが、しかしそこで。
真田幸村は、そのあまりの手応えの無さに強烈な違和感を感じ、思わず馬の足を止めた。
ちょうどその時である。
朝倉軍と削りあっていた左軍から、火急を知らせる早馬が来たのは。
「幸村様、左方の朝倉軍が動いてきました!奴らは我が左翼との騎馬どうしの乱戦城に歩兵を投入!それにより浮いた騎兵隊をそのまま、こちらの中衛にぶつけようとしているようです!」
「そっ、そのせいで……脇から入るはずだったこちらの『朱槍』率いる騎馬隊が近づけず、断道の計を行うことができていないと…!」
左翼から舞い込んだその報告に、幸村は思わず歯噛みした。
敵右軍の将、朝倉義孝。
奴はこちらの想定したよりも遥かに、智略が深い武将のようだ。
この一ヶ月、正直に言って左軍の戦場を意識したことはあまり無かった。
それもそのはず。
膠着した戦況の中でも時たま、変則的な用兵術を用いることでこちらをヒヤリとさせてきた正面の直江兼続とは対照的に、朝倉義孝は常に”損害を減らす戦い方”をしてきたからである。
だからこそこの戦いの中で幸村の相手は、常に”直江兼続”であった。
しかしそれも、今考えれば仕組まれていたことなのだろう。
現にこちらは、敵右軍がこれほど早く中央に呼応してくるとは思いもしなかった。
たとえ兼続の入れ知恵があったとしても、敵将によほどの智略が無い限りこの迅速な対応は取れないだろう。
こちらも、出し惜しみはできなさそうだ。
「……左軍はそのままにさせておけ。それより、後方から三好坊を呼んで準備させておけ。坊の三百で朝倉の横槍に突っ込んでもらう」
「いっ、伊三入道にですか!?たしかに彼奴らの騎馬部隊は強力ですが……しかし、あの騎馬隊はおそらく三千から五千は……」
「その通りです!それならばやはり、一度玉槍の本隊を下げて隊形を整えた方が……」
幸村に対する側近の言葉を遮るようにして、本陣将校たちの頭上を何やら大きな影が包んだ。
「……?な、なんだ。急に暗く……あっ!」
「…すでに来ていたか。話は聞いていたな、三好隊の出番だ」
主の言葉に、拝手とともにスッと膝を折った一人の大男。
膝を折ってなお長身の幸村よりも上に来るその頭。白の頭巾と黒装束に包まれたその巨躯は、単に”大男”と表現するにはあまりに浮世離れしている。
八尺を悠に超える凄まじい長身と筋骨隆々の体躯、その小山のような肩に担がれるは縦尺二メートルの大剣。
「ハッ……どんな死地であろうと、この私の剛腕で打ち砕いて見せましょうぞ。…この命、常に幸村様のために」
後の世に言う真田十勇士が一人、『武田の巨人』三好伊三入道。
この男の出現により、一度は越後に傾きつつあった形勢は振り出しに戻されることとなる。
そしてこの日、越後から東に数百キロのこの戦場でもとある異変が。
「きっ、急報!赤虎隊が敵の挟撃に遭い敗走中!現在は斎藤班を中心に後退を図っていますが、敵の追撃が凄まじくそれも危ういと!」
伝令からの報せ、さらに眼前に広がる絶望的な戦局に。
義銘のこめかみを、小さく冷や汗が溢れる。
「クッ……なんなのだこの敵は!先ほどから、こちらの手がことごとく潰されているぞ!」
「義銘様、こちらの被害もかなり大きくなってきました。そろそろ……」
幕僚に控える将らの声に、義銘は横に流した髪を大きくかき上げると、大きく息を吐いて頷いた。
「…分かっている。……弥助への救援に五百送ってやれ、決して死なせるなよ。…残りは、銅鑼を鳴らして知らせろ。………全軍、越後まで撤退する……!!」
苛立った様子の主人の言葉に、ごくりと息を呑む側近たち。
読み違えた。
内心で、義銘は自身の浅慮を悔いた。
ここまでが順調だったせいか、まさかこの正念場で……奥羽山脈攻略で、ここまで苦戦するとは。
だが名前は覚えた。
今回は、領地拡大のための戦争だったが。
次こそ全力で、お前の首を取りに来るぞ。
「…待っていろ、狂君。…伊達……輝宗……!!」
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