第参部 第一話 五年の歳月

第参部



「陽はまた昇り、されど照らさず」編



開幕。





「でっ、出たぞお!『黒虎』だあ!……ッぎゃああ!!」


「クッ、前列は何をやってる!ほぼ素通り状態だぞ!」


「ぜっ、前列も必死に対処しようとしている!だが……それでも全く及ばないのだ!これが……あの上杉謙信の右腕……!!」


阿鼻叫喚。

血飛沫と臓物の匂いに塗れた戦場の中に、こだまするは戦士たちの雄叫びと断末魔。

その地獄を生き延びることができるのは、常に強者のみ。


そんな戦場を吹き抜ける、ある種の熱を帯びた風にはためく『玉』の旗の下で、真田幸村はゆっくりと目の前の戦況を見守っていた。


見覚えのある旗からして、今対峙している敵は”あの男”で間違いないだろう。


当時とは操っている軍の規模も、その用兵術の苛烈さも桁違いだが。


「男子三日会わざれば……と言うものか。…面白い。おい、『朱玉』をここに呼べ。俺も出るぞ」



時は天正20年。


関東史上最大規模の戦となった信濃・上田城決戦から早くも5年が経過し、その間に日の本の勢力図は大きく変化していた。


先の大戦で戦勝国となった尾張の織田信長はその勢いに乗じて今川義元を破り、彼の所有していた駿河の国を手中に収め、さらにそのまま西に進出。

今やその力は、朝廷の置かれた京の都にまで及ぼうとしていた。


しかし、尾張が大いなる勢力拡大に成功した反面、残りの戦勝国たちは外政・内政のどちらとも停滞。


尾張と同じく戦勝国である甲斐国は、信濃を手に入れたことで再び、全盛期の軍力を取り戻すかと思われていた。

が、しかし。

憲政の善政が行き届いていた信濃国内を統治するのに手こずり、結果的に思っていたような収穫は得られないままこの5年を過ごしていた。


そして、嫡男として家督を継ぐはずであった伊達政宗を失った陸奥国に至っては、支配の行き届いていない小国の反乱が群発したことや、西で急成長を遂げたあの国からの攻勢を受けたことによって。

今までは広大な領土から得られる莫大な資金と軍力で押さえつけていた周辺国を、ついに御しきれなくなるほどにその力は減衰することとなる。



だが、その一方で。

この大戦で敗戦国となり、多くのものを失ったこの国は、5年前とは比べ物にならぬほどその勢力を伸ばしていた。



越後である。


憲政に代わって関東管領の地位を継いだ影虎——上杉謙信は腕の傷もあって前線を退くと、国の中枢へと活躍の場を移し、その政の才を存分に発揮した。


5年掛かりで行われるはずだった内政の整備をわずか2年で収束させた謙信は、そこから一転して——半ば強引とも思えるような、富国強兵策へと乗り出した。


旧越中領を併合したことにより、その国土を3倍にも広げた越後の軍力は以前の数倍にまで膨れ上った。

もともと他国と比べて頭一つ抜けていた”軍の質”、そこに”圧倒的な量”が加わり、越後は関東圏でも有数の軍事国家へと成長を遂げたのだった。


しかしここで、ある一つの問題が浮上する。


いくら軍事力が強まったところで、それを率いる将がいなければ軍は動けない。


そして、5年前まで最前線でその指揮を取っていた謙信や義道は既に居らず。


越後はここに来て、軍事面でも大きな転換点を迎えることとなる。


民草にも多少の無理を強いた上での富国強兵と、周辺国への大侵攻を行うための基礎作りに費やした残りの3年間で、台頭してきたのは3人の将。



まず一人目は——やはりこの男。



「隊長お、正面の真田軍が動いてきました!」


「どうやら、こちらの『黒虎』騎馬隊と本隊を分断しようとしている模様です!すぐに我々も討って出るべきかと!」


部下たちの声に長いため息を吐くと、呆れたように腰を上げたのは。



「……あれは陽動だ。真田幸村の真意は恐らく、黒虎を助けに俺たちが出てきたところを奴の精鋭部隊で叩くこと。…今出ていけば、奴の思う壺だ」


「そっ、そんな……あっ…あの敵部隊、分断する素振りだけ見せて退がっていくぞ!」


「……兼続様、なぜ敵の策がお分かりに…?」



直江兼続。


今年で20歳になる彼はこの5年でさらにその才を伸ばし、今では数万の軍の指揮を任される越後きっての猛将へと成長していた。


単純に操れる兵数が底上げされたことで、彼独特の用兵術はその鋭さを増した。

さらに謙信が前線を退いた時、彼の私兵団『白虎隊』のうち半数を譲り受けたことで、破壊力や機動力にも幅を利かせることが可能となった兼続の『黒狼』は、向かう所敵なしの強軍へと進化を遂げる。



「…勘だよ。……敵の策に気づいたことを悟られる前に、まずこちらから動くぞ。隣のあいつにも声を掛けておけ」




そして2人目。彼の戦友であり、兼続と五分の力を持つ若き才能。

北畠義銘も、同じく大いなる成長を果たした。


義道の遺言書により北畠家の当主となった彼は、謙信から四万の軍勢を任されると、1年前から東へと領土拡大の為の大遠征に出ていた。

その遠征の最終目的は無論、後継ぎを失って内政悪化の煽りを受けつつも今なお東に鎮座する超大国。



伊達氏の治める、陸奥国である。



「……蘭城が陥落だって?相変わらずとんでもねえ強さだな、お前んとこの赤龍隊は」


そう話すのは、義銘の親友であり副将の斎藤弥助。


もともと赤龍隊の副隊長であった弥助はその実績を認められ、義銘が謙信から与えられた元白虎隊員をそのまま引き継いで『赤虎』隊と改称。


そして彼の『赤虎』は、本隊である赤龍からは独立した遊撃専門の騎馬部隊として、凄まじい破壊力を発揮した。


「そういうお前も、あの厄介な森林地帯をもう抜いてきたのか。流石だな」


「いやあ、俺んとこは仲間が強いだけさ。……元白虎の隊員たち、みんな化け物みたいな鍛えられ方でビビっちまうよ」


「フッ、そう謙遜しなくてもいいぞ。……元白虎隊といえば、兼続のところも先日始まったらしいな」


「…ああ、聞いてるぜ。たしか向こうは十万規模なんだろ?兼続さんと……あと新参のあいつ。大丈夫だったのか、お前が行かなくても」


弥助のその言葉に笑みで返すと、義銘はフッと南の山脈に視線を移した。


そして、大きく頷きながら口を開く。


「ああ、あの人なら心配はいらない。……謙信様がこの二正面作戦を決断できたのも、彼らが越後に来てくれたからだしな。……朝倉、義孝殿が」



朝倉義孝。


朝倉家の前当主であった朝倉孝景の次男であり、兄の義景とは歳の離れた腹違いの兄弟である。


義孝は優秀な武将ではあるものの、長男が家督を継ぐのが決められていた朝倉家の中では煙たがられたこともあり、中央から離れた小さな領地を治めるように……半ば左遷されていた。


しかし越前越後大戦で越前がほとんどの将を失うと大慌てで中央に呼び戻され、彼はその当て付けのように自身の精兵たちを軒並み率いて越後へと移籍したのだった。


そんな義孝は、文武ともに平凡な兄とは対照的に、軍略、用兵術、人心掌握のいずれにも優れるまさにオールラウンダー。


その才の一つ一つを取ってみれば彼は他のニ将、兼続や義銘のそれには多少劣っているだろう。

しかし、どれか一つでも秀でていれば武将として成功すると、そう言われる要素を全て兼ね備えている彼は。


これからその侵略の魔の手を日本全土に広げていく越後にとっては、貴重極まりない即戦力となった。



そして現在、対信濃との最前線地帯。


「義孝様、左方の直江軍から使者が来ました!動いてきた敵将を狩りに行く故、あちらに合わせて動くようにと!」


「なっ、なんだとお!?直江の小僧め、完全に我らを舐めきっておるな!」


いきり立つ側近たちだったが、手で彼らを宥めた義孝は口を開く。


「……まあそう言うな、お前たち。謙信様が、赤龍ではなく我らにこの地を任せた理由を考えてみよ」


主のその言葉に面食らった側近たちは、それでも不服そうな表情で言う。


「…そっ、それは……義孝様が、赤龍の北畠義銘よりも優れているからでしょう!」


「おお、当然だ!」


しかしそんな彼らの物言いに、義孝は呆れたように長いため息を吐くと、よく聞けと前置きを入れて再び口を開いた。


「馬鹿者が。我らがここに呼ばれた理由は一つ。こういった兼続の無茶な注文にも対応できる、柔軟性があるからであろう。……相分かった。…騎馬大隊を前に出せ!」


「きっ、騎馬をですか!?後方の歩兵予備隊ではなく……」


「ああ。兼続を狙おうと動いた幸村を、逆に絡め取るのだろう?それなら、私たちで敵の本隊を足止めするぞ。全兵に号令だ、乱戦を解かせよ!」




天正20年、8月。


開戦から一か月以上に及ぶ鍔迫り合いを経て、ついに三軍の将が一堂に会することとなる。



直江・朝倉連合軍本隊 三万 対 真田軍本隊 二万。



越後・信濃国、最前線の地。


寺野高地にて激突。

















































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