第弍部 第六話 超広域戦
「三日後、俺は伊達氏の婿養子として陸奥に行く。家臣たちは俺のことを煙たがっているし、きっともう会えなくなる。……フッ、そんな顔をするな。——なあ兼続。俺がいなくなっても、剣を置くなよ。お前は天才だ、きっと——」
駄目だ。
「お前は誰よりも強くなる」
まだ、死ねない。
「信長様、そいつまだ息がっ!」
「お早くトドメを!」
臣下たちの声に、急いで後ろを振り向く信長。
兼続が倒れたあとすぐに刀を納めようとした彼の目の前で、まるでデジャヴのように。
たった今致命傷を与えたはずの男が、普通なら失血死するほどの血を流しながらも、ゆっくりと起き上がっていく。
「まだ、だ……ハッ、ハァ…まだ、死んでないぞ…」
「っっ……てめえ、この死に損ないがぁ!」
今度こそ完全に首と胴を分け、確実に殺そうと刀を振ろうとした信長だったが。
背後から伝わる、全身の産毛に至るまでが逆立つような悪寒。
完全なる無意識のうちに、彼は背面を防御する姿勢をとった。
その瞬間。
ガギイッと鉄どうしが力強くぶつかり合い、あたりに火花が走る。
なんて、一撃の重さだ。
背後からの一撃にもかかわらずしっかりと受け切ったものの、その膂力に耐えきれなかった信長の体が馬ごと宙に浮く。
「馬鹿力かよ…!」
にわかに動揺した信長だったが、すぐさまバランスを取り直して着地して乱入者の方に向き直る。
あの一刀の異常な威力。
この男は間違いなく、只者ではない。
「背中から斬りかかるなんて、教育がなってねえなあ。越後の武士はよお」
「フッ……ずいぶん甘い戦しか経験していないのだな、田舎者の織田軍は」
挑発には挑発で返しながら、兼続を守るように彼の前に立ったのは。
「越後軍第一将の北畠義道だ。我が主の盟友、上杉憲政公の危機に馳せ参じた。……うちの若手が世話になったようだな」
「っち、父上!?まさか、もう前線地帯から追いついて…!」
「義銘、お前はそこでのびている直江の小僧を連れて一度退がれ。…ここは、俺たちが受け持ってやる」
俺たち。
その言葉にハッとした義銘が耳を澄ますと、地を震わすような重量感のある大量の蹄の音が聞こえてくることに気づく。
当然それには、目の前に立つこの男も。
「……お前があの、越後の剛将かあ。話は聞いてるぜ、そんでこのうるさい足音が例の——」
信長が言い終えるよりも先に、”それ”は姿を現した。
騎馬の頭部や腹部だけでなく、関節部を除くほぼ全ての部分に満遍なく装備された鉄製の防具。
掲げるは、「雷」の旗。
越後が誇る強部隊の一つ、北畠義道が手塩にかけて育てた彼の直下兵団。
重装騎馬隊「暴雷」、その数五千騎。
純粋に敵の集団を打ち砕く破壊力だけなら、輝虎の白虎隊にも引けを取らない彼らが、織田軍の前に立ちはだかったのだ。
「来てみろ、織田信長。お前の見苦しい長髪ごと、その首刎ね落としてやる」
「いいねえ、いいねえ!……いいよおっさん、本当に殺しがいいがあって最高だよ!」
信濃VS三国同盟、その二日目。
輝虎側では、一日目となる今日。
ここで時間は、一日前に遡る。
午前中に上杉憲政からの書簡を受け取った輝虎は、すぐさま全部隊に出撃命令を出す……のではなく。
まずは、信濃国内の詳細な地図を開いた。
そのまま十分ほど地図と睨めっこを続けた輝虎だったが、ようやく顔を上げた彼は側近たちにあることを指示する。
そこで第一に、輝虎の指示を受けた者たちによって各城に点在する一般の歩兵や騎馬隊が呼ばれる。そしてそこに指揮官として数人の将をつけた三万ほどの軍が、上杉側の本拠地である上田城に向けて派遣されて行った。
次に彼らは、各地の練兵地にいた精鋭部隊たちを御靖城に呼び出した。
「…現在、信濃に侵攻している三軍は全部で十三万、うち二国は信濃の防衛線を東と南の二方向から大きく押し込んでいる」
前置きなく話し始めた輝虎のその言葉に、その場に集まった将校たちからどよめきが起こる。
「じゅ、十三万!?先日の豊後が起こした侵略戦争とほぼ同等の大軍勢が、信濃一国のために興ったと…」
「それだけ、相対す憲政様が強いとも言えるぞ」「だが裏を返せば、敵は一切油断も甘えも持っていないということにも」
そんなざわめきの中にあって、とある2人組だけはそこに参加せず、まっすぐに地図を見つめていた。
義銘と兼続である。
その様子に、輝虎は胸の中で決心した。
「お前たちの動揺もよく分かる。しかし信濃は俺たちにとって強力な後ろ盾であり、上杉憲政は俺の父親と言えるお人だ。……絶対に、助けたい。力を貸してくれ」
どこまでも真っ直ぐな輝虎の声とその瞳に、今まで敵の規模に圧倒されていた将校たちまでもが、覚悟を決めた顔つきになる。
それを見届けてから、輝虎は言葉を続ける。
「残る織田軍の行方だが、警戒の薄いであろう西側から侵入した以降の足取りは掴めていない。…が、奴らが信濃兵の索敵を避けながら進める場所はかなり限られる。そこはさして問題ではない」
すると、その言葉を聞いた義銘が今度は口を開く。
「問題は、速度の問題から大軍で奴等に対処する術がないということですね」
いきなり口を挟んだ若手にその場の将校全員の視線が集まるも、怯むことなく義銘は照虎の目を見返す。
「…その通りだ。だからこそ、ここにお前たちを呼んだ」
言いながら輝虎は、木の駒を手元の地図に置いていく。
「中央軍となる対武田の戦場には、信濃の首都圏守備軍と我ら越後から正規軍であたる。三善の『山猫』もここに入って俺の指示を待て」
「ハッ」
「そして左翼、正体不明の敵軍六万との戦いには、この場にいる精兵部隊のうち半分以上と憲政様の直下兵団を中心とした正規軍五万。……そして、右翼」
そこで言葉を切った輝虎は、さきほどの2人の目をそれぞれ見回してから言い放つ。
「右翼はまさに、時間との勝負となるだろう。…故にこちらからは、速度に優れた赤龍隊、黒狼隊。
この二隊がまず織田軍を足止めしてもらう」
「承知しました。しかし、その後は……」
「案ずるな。その後は対小笠原の戦線に貼っている義道の暴雷が、横から喰らい付いて奴らの戦力を削り取る。数的不利とはなるが、ここはお前たちにかかっている」
「お、お待ちください輝虎様。……今のご説明から察するに、他の戦場から援軍は来ないということでしょうか」
そう言ったのは、輝虎のすぐ横で腕を組みながら地図を見つめていた兼続だ。
当然他の将校たちも、今の輝虎の話し方には引っかかっていた。
いくら拮抗した超大軍どうしの戦いとはいえ、三つの戦線の間で援軍を送り合うことは可能なはず。
むしろそこが、侵略戦争において侵略される側の持つ唯一と言っていい利点でもある。
ならなぜ、その場にいる戦力だけで戦うかのような言い方をしているのか。
その答えは、輝虎の口からおよそ最悪の形でもたらされる。
「……今回の戦いにおいて、最も苦しいのはそこだ。信濃は大国であり、三つの戦場のあいだには大河や山岳地帯が多く連なる。…つまり」
「なっ……ま、まさか…!」
「輝虎様、もしやそれは…!」
その次に来る言葉が察せられた将校たちは、いっせいに顔を引き攣らせて白目を剥いた。
「そう、此度の大戦は。左右の連動がほぼ不可能な状況で防衛線を維持しなければならない。……言うなれば、”超広域戦”だ」
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