第弍部 第一話 鬼島津

第弍部   


「輝る日、堕ちる影」編


開幕



紅葉が散り尽くし、山間には雪が積もり始める季節となった。

越後と越前。

因縁深いその二国の国境付近に存在する小城、清房城は、いつも通りの静かな装いとは異なり慌ただしい空気に包まれている。


それもそのはず。


今日この場所で、三ヶ月前に行われた越前越後大戦、その戦後処理が行われるのである。


戦後処理とは言うが、先の大戦で君主である朝倉孝景、並びに越前を強国たらしめていた朝倉五将を軒並み失った朝倉方に、もはや発言力など残ってはいない。


しかしそれでも、越後の首都である御靖城に朝倉方

を呼びつけなかったのは、一つは越後側の配慮。


そしてもう一つ。


この戦いの公平な調停者として名乗りを上げた、第三者の存在である。

清房城がこのように落ち着かない様子でいるのも、この第三者の介入が主な要因でもある。


そして、現在。


公務を執り行うのに用られる滝ノ間にて、朝倉の跡取りである朝倉義景とその家臣たちが左方。

その向かい側、右方に輝虎ら長尾家の有力者たちが座り、調停者の到着を待っているところである。


お互いに数万規模での殺し合いをしていた両者に流れる、この独特の緊張感。


輝虎たちとしては、この場で一触即発となるのも覚悟していた。しかし実際には、朝倉側の家臣たちは遠慮がちにこちらを見返してくるのみ。

次期当主の朝倉義景に至っては、卑屈そうに輝虎の目をたまに見てはすぐに視線を逸らし、まともに見返すことすらしない。


この情けない男が本当に、あの孝景の嫡男なのだろうか。


不思議に思いながらあちらを観察していると、廊下からドタドタと足音が響く。


「お、御車がご到着されました!」


その声に、室内の空気が一気にピリついたものになる。

今まで漂っていたある種の緊張感ではなく、もっと上の立場の人間を迎えるときに流れる、特別な空気感。


「殿は、お会いになられるのは3年ぶりですか」


そう聞いた兼続の顔も、高揚と緊張で少し引き攣っている。


「ああ。お忙しい方だからな……養父となってくださっているとはいえ、そう気軽には会えないさ」

「やはり、嬉しいものですか。あのお方と会えるというのは」


その言葉に、輝虎は年相応な純粋な笑顔でハッキリと答えた。


「もちろんだ。養父という以外にも、あのお方は俺の目標だからな。……生ける伝説、上杉憲政様は」



上杉憲政。

上野・信濃やその他周辺地域を一手に収める大国の主であり、鎌倉時代から連綿と受け継がれる幕府の要職、関東管領の第十五代目を継ぐ人物でもある。


輝虎の父、長尾為景とは何度か戦場を共にするなど懇意にしていたため、彼の死後はその子供である輝虎と影虎の養父となったのだった。


そんな輝かしい経歴を持ち仁義にも厚い憲政であるが、歴史書における彼についての記載には、信じられないような記述が数多く残っている。 


熊を片手で投げ飛ばしただの、岩を素手で砕くだのと、正直脚色が過ぎて嘘としか思えないような逸話が数多く存在する彼ではあるが。


そんな突拍子もない話が、なぜできたのか。


それはひとえに、憲政自身の”強さ”に由来するものである。

単純な腕っぷしの強さだけではない。

ここぞという戦で、確実に勝利を収める勝負強さ。


古代中国における周王朝のように、幕府の権力が希薄になりつつあった戦国時代前期。

関東管領という地位もほとんどお飾りのものとなり、憲政が当主となった頃の上野国は内部分裂で六つに割れた内戦状態であった。


そんな中、すっかり落ちぶれて弱小勢力の一つとなっていた上杉家にあって、彼はその圧倒的なカリスマと軍才で瞬く間に上野を平定。


そしてその後の10年で周辺国を滅ぼすと、今度は引退するまでの30年をかけて隣接する大国、武田の領土を3分の2以上削り取る快進撃を見せ続けた。


平均寿命50代半ばというこの時代において、すでに60歳を超えながら前線にて矛を振るい、3年前に現役を退いてからも内政に関わり国を安定させてきた賢人。

まさに、文武を兼ね備える完璧な君主。

まさに、生ける伝説である。


「おーみんな早いのお……儂のような老いぼれのせいで若い者の時間を奪ってしまうとは…すまんのお」


そんな荘厳なイメージは、憲政の第一声によってどこかに飛んでいってしまった。


こ、これがあの上杉公!?


そんな表情を隠すこともできずただただ驚くしかない全員を置き去りに、輝虎だけはすくっと立ち上がって憲政のもとへ出迎えに行く。


「憲政様、お久しぶりです…!」

「おお、輝虎か…!何年ぶりじゃったかな。…大きくなったのお……いや、息災で何よりじゃ!」

「憲政様こそ、以前にもましてお元気そうで。本当に何よりです」


本当の親子のように笑い合う二人。

その親しげな様子を見て、朝倉側の人間たちは一斉に悟った。 


やられた……!!


この男、甘いツラをして「調停者を招いて公平に済ませましょう」と言ってきたと思えば……真意はここにあったのだ!


第三者による調停。

対外的には公平を期したように見せながらも、実際は自分に与する人間を呼ぶことで、越後側に有利な条件を取り付けるのが目的か。


しかも最初に侵略戦争を仕掛けたのはこちらからな以上、そこに異を唱えることなどできるはずもない。


あまりの悔しさに歯噛みする朝倉方を尻目に、輝虎と憲政の会話は続いていく。


「それでは、本日はよろしくお願い致します」

「おお、お前の頼みじゃ。しっかりと勤め上げようぞ。……では、始めるかの」



朝倉と長尾、この両家が清房にて戦後処理に当たっているのと時を同じくして。


本州の西端では、日本史上稀に見る超大軍が興ろうとしていた。


九州三国時代。

知る人ぞ知るその戦乱の歴史において、全ての命運を分けた大戦。


豊後侵略戦争である。


九州地方の東側で一大勢力を誇っていた豊後国、その国主である大友宗麟の号令により始まったこの戦い。


そこに動員された兵数、その数なんと15万人超。


大友家3代に渡って受け継がれてきた軍力もさることながら、宗麟の手腕によって内政が安定し、兵力の確保も容易であった豊後だからこそ可能となった離れ業。


この時代ではあり得ない規模の大軍勢を率いて豊後は、隣接する周辺諸国へと同時多発的な侵略戦争を開始したのである。


その軍勢の勢いたるや、さながら八岐大蛇のようであったと歴史書には記されている。


15万超の大軍はまず五つに分けられ、それら各隊はいずれも3万以上の兵力を有する独立軍となって、四方の国々の防衛網を大いに食い破った。


その稲妻の如き進撃の前に、瞬く間に周辺国は敗れるかもしくは降伏し吸収されていき。


わずか十日の間に、大小合わせて五つの国がその災禍に飲み込まれることとなった。

九州全土が大友氏の前に屈するのはもはや時間の問題であり、その勢いが誰にも止められないものであることは、誰の目にも明らかであった。


だがしかし。


ある男の台頭によって、この快進撃は食い止められることとなる。


「若、あまり先行しすぎないでください!後続がついて来れていません!」

「うるせえぞ吉竹!いいから黙ってついて来い、じゃないと機を逸するんだよ!」

「いやいや、こんな負け戦で今更なにを……ああもう、お前ら急げ!若が死んだら俺たちも終わりだぞ!」


やや離れた場所、先頭を走る一騎に追従するように、100人ほどの騎兵が疾走する。

ほぼ垂直の斜面を物ともせず、彼らは断崖を平然と馬で駆け降りていく。


「おっ、おい……あれを見ろ!」

「なんだあの敵部隊……ここはもう、我らの本陣の裏だぞ!」


崖の下に見えてきたのは、豊後国の歩兵隊とそれを先導する本陣らしき騎馬数十騎。その数はおよそ1000ほどだろうか。


こちらの足音に気づいた数人が崖の上を見上げる。

まさか敵が来るわけもないだろう、そう思われ警戒の薄かった絶壁から突如として現れた敵に、彼らは叫び声を上げた。


「てっ、敵襲ーー!……ッッ、頭上の崖上から来るぞおお!!」


「くそ、気づかれたぞ!おい誰か若の前を固めろ!」

「バカ言えよ、間に合うわけがねえだろ!……それに、若にそんな心配はいらねえよ!」


後ろの部下たちの心配をよそに、若と呼ばれる若武者は一切の躊躇なく歩兵の群れに突っ込んでいく。


そして、激突の瞬間。


ギュララララッ!と音を立てて引き抜かれたのは、2メートルを超える大剣。

先頭の男は片手でその大剣を炸裂させると、目の前に立った敵歩兵数人は一瞬にして粉々に打ち砕かれた。


「なっ……なんだこの男!…ぎあぁっ!」

「…嘘だ、馬鹿な……千対一だぞ……!」


何層にも連なる敵兵を物ともせず、男はどんどんと中へと入り込んでいく。


「中列、その男を止めろお!そいつは単騎だ、止めてしまえばどうとでもなる!」


部隊長らしき一人が叫ぶも、そんな悲痛な叫びはどこにも届いてはくれない。

およそ一分もしないうちに、先程の部隊長がいる後方部分へと辿り着いた男は口を開く。


「おい指揮官、腰抜けでないならこの俺と勝負しろ!」


その言葉は、一見すると一騎討ちが大好きなだけの阿呆にも見える。

しかし、ここまで来て一騎討ちから逃げ出すようではそれこそ武士の名折れである——という武将特有のプライドを刺激する、上手い挑発でもあった。


「なかなかやるようだがな、小僧……大友宗麟様の側近が一人、立花宗盛だ!名を名乗——」

「うるせえよハゲ!」


宗盛と名乗った男は、口上が終わるよりも前に振り下ろされる大剣をギリギリで受け止めると、そこから反撃に転じようとして……違和感に気づいた。

こちらからどれだけ力を込めようとも、まるで手応えを感じない。男の剣がピクリとも後ろに下がらないのだ。

それどころか、ジリジリとこちらの刀ごと押し込まれているようにも感じる。


これは、まずい。


宗盛の頬を冷や汗が伝う。


一旦後ろには下がって仕切り直そうとするも、その場から一歩も動けない。少しでも力を抜けば、即両断されることになるだろう。


そこで、宗盛はハッとした。


この奇妙な剣術と、異常なまでの強さ。最近よく耳にするあの男ではないか。 


「貴、様……まさかあの…鬼島津ッ……!」


「…その通り。俺が薩摩の鬼人、島津義久だ!!」


その瞬間、義久と呼ばれた若者は万力の力で腕を振り切った。まるで、今までの押し込みが単なる小手調べであったかのように。


宗盛は、自分の持つ刀の刀身が頭蓋骨を砕いて頭部の奥深くまでめり込み、その場で絶命した。

その光景に、宗盛の部下たちは信じられないといった様子で立ち尽くすしかなかった。


「……あの剛将で知られる立花様が負けた…!?」

「それに、島津義久だと……本当なら、敵の大将首だぞ!者どもかかれ、奴を討ち取れば恩賞は莫大ぞ!」


怒り狂って向かってくる兵士たちに向けて、不敵に笑う義久。


「おーいいねいいね。お前ら歯応えねえからよ、纏めてかかって来ねえと…な!」



その後も幾度となく彼を止めようと歩兵が群がるも、その勢いはまるで緩むことはなく。

たった一人の男によって、1000人からなる歩兵部隊が完全に内部から破壊されることとなる。


そして残された兵たちは蜘蛛の子を散らすようにして、四方に逃げ出したのだった。


「うわ、やっぱりもう終わってるし…」

「吉竹様…分かってましたけど、俺ら来なくてよかったっすよね」

「うるさいぞお前たち!…若、お怪我はございませんか!」


やっと後続が追いついてきた頃には、義久は何やら捕らえた敵兵士を尋問しているところであった。

返り血に顔を濡らしながら、義久はこちらを振り返って答える。


「当たり前だろ!俺を誰だと思ってんだよ。……さて、本陣陥落の危機も救ったしなあ。…次はもっと楽しそうなことしに行くぞ」

「楽しそうな?…いったいどこへ行こうというのですか」


側近頭である吉竹の言葉を聞き終わる前に、義久は心底楽しそうな顔をしてこう言った。



「大友本陣にさあ。調子乗ってるあの……宗麟ぶっ壊しに行くぞ」

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