第弍部 第二話 闇夜に吠える


もし成功すれば、のちの勢力図を大きく変えることとなるこの大戦。

各地の大名はいち早く間者を紛れ込ませることで、その動きを逐一把握していた。


もちろんそれは、越後の国主である輝虎とて例外ではない。


戦後処理の会談が始まるよりひと月前の時点で、大友氏に大軍備の兆しという報告自体はもたらされていた。

しかしここまでの大規模かつ迅速な作戦だとは、流石の輝虎でも予想していないものであった。


三ヶ月前の越前越後大戦しかり、侵略戦争で重要なのは速度である。


今回の豊後が起こしたような、軍を幾つにも分けた上で同時に複数の国を攻め立てる戦い方を取るのであれば、そこには更なる困難がつきまとう。


一つでも流れが止められる、もしくは敗走した場合、残る数軍には背後の憂いが出来ることとなり、それは速度が命の行軍の中では命取りとなってしまう。


しかしもし万が一、五つの軍がそれぞれ速度を保った上での侵略を続けられたなら。


「十中八九、大友の目論見は失敗する」 


豊後侵略戦争の成否について、義道との会話の中で輝虎が放った一言だ。


「…やはり、輝虎様もそう思われますか」

「ああ。作戦自体の難易度ももちろんあるが、大友が大軍を興すなら、間違いなく黙っていない勢力が九州には二つある」


そう。本州の西端ゆえ詳細を知らない人間がほとんどではあるが、九州には今の越後では太刀打ちできないような巨大勢力が数多く存在する。


その中でも特に大きな力を持ち、九州三国時代といわれる黄金時代を彩った国々が肥前、豊後、薩摩の三国。


このうち肥前と薩摩に関しては、豊後から見て三角形を形作るように対角線上に存在している。


つまり九州全土を落とすのであれば、途中にある十個以上の国々を落とし切ってからの、この2つに対する更なる大攻勢が必要となるのだ。


「しかし薩摩の現国主である島津貴久は、戦嫌いのうつけとして有名な男です」


義道の言うことも的を射ている。

彼の言うとおり、薩摩の現国主を務める島津貴久は生来の臆病者であり、治める領地の大きさに見合わずその軍才も大したことはない。


なら何故そんな男が、強国ひしめく九州地方で一大勢力を誇ることができているのか。


その答えは、手駒の質にこそある。


「しかし奴には、二振りの剣がある。その剣があるからこそ……あんな男でも、薩摩の国主が務まるんだ」


団子を頬張りながら、貴久のことを散々にこき下ろす輝虎。


では、彼の言う二振りの剣とは一体なんなのか。


「剣とは……貴久の2人の息子のことですね」

「その通り。…島津義久とその弟の義弘、あの2人の存在こそ薩摩が強国たる所以だ。特に兄の義久、奴には俺でも勝てるか分からん」

「義久、ですか?この愚将には、死傷者も少なく安定して戦果を上げている弟の義弘の方が、賢士のようにも見えてしまいますが」


その言葉を聞いた輝虎は、本日5本目の団子に手を伸ばしながらそれに答える。


「たしかに、器用な戦いが出来ると言う面では義弘に軍配が上がるだろうな。だが義久には、単なる智将や猛将では収まらない何か。…そうだな、俺が兼続に感じたのと同じものを感じるんだ」


その言葉に義道はあえてすぐには言葉を返すことはせず、自分の分の団子をすっと輝虎のほうに差し出した。

輝虎が少し照れながらそれを受け取ると、義道はズ……と口内の甘さを渋茶で流し込んでから口を開く。


「それではやはり、宗麟の本隊は薩摩との戦いに入ると」

「ああ、それは間違いない。……宗麟の作戦が成功するか否かは、島津の子供たちがどれほどの器かにかかっていると言えるだろう」



時間は現在、輝虎たちのいる清房城に戻る。

そろそろ会談も終盤に差し掛かり、今後の国境線について大体の話がまとまってきたところで、事は起きた。


「ごっ、ご会談中失礼いたします!」


突然襖を開けて、汗だくの兵士が1人飛び込んできたのだ。


「なんだ貴様、無礼であるぞ!さっさと下がらぬか!」

「落ち着け。我が国の連絡係だ」


いきり立つ越後の家臣たちを諌めた輝虎は、一応憲政にアイコンタクトで了承を得たのちに続きを促した。


「失礼しました、我が私兵です。…おい、続きを話せ」

「ハッ……恐れながら、豊後国が仕掛けた侵略戦争について最新の書簡がつい先程…こちらを」


小さく包まれた紙を結んでいるのは、赤と青の絹糸。

その色は、越後軍部で連絡時に使われる色分けの結びの一つ。


意味は、天下分け目。火急の知らせ。


一応は軍事機密であるそれを、輝虎は顔に出さぬようにバッと開き見た。

そこに、記してあった内容とは。


 


時間はさらに巻き戻り、清房会談の一日前。


前線に設置された野戦病院にて、大友宗麟は先の戦いでの重傷者たちを見舞っていた。

大軍の将であり、歴代の豊後国主の中でも屈指の名君として知られる宗麟自らのその行為に、もう前線復帰を諦めつつあった兵たちも大いに奮起した。


夜遅くまで兵たちと語り合っていた宗麟は、将校たちと別れた後一人で天幕までの道を歩いていた。


そんな宗麟の後を尾ける、複数の人影。


その中の一人、島津義久がハンドサインで合図をすると、背後の茂みから飛び出した彼らは宗麟目掛けて一斉に飛び込んでいく。


完全に宗麟の虚をついた襲撃、そのはずだったが。


まるで分かっていたようにこちらを振り向いた宗麟の刃が、うねるような軌道と共に躍動する。


「なっ、なんだこいつ…!」 

「ぐっ…!う、腕が……クッソ、俺の腕がああああ!」


彼目掛けて襲いかかった人数は6人。義久と吉竹はギリギリで躱すことに成功するも、残り4人のうち3人は瞬く間に切り捨てられた。

残る1人も、剣を持っていた利き腕ごと跳ね飛ばされて地面をのたうち回る。


剣についた返り血を払い落としてから、宗麟はこちらに向き直って話し始める。


「曲者が……大方負傷者に紛れて侵入し、私の首を取るつもりだったのだろうが当てが外れたな!」

「なんだこのオッサン、五月蝿えなぁ……」

「若、口上の途中ですからお静かに。聞いてあげましょう」


「……貴様らは知らんだろうが、この宗麟は小早川や毛利との前線地を20年以上荒らし回った猛将よ。……寝首を欠くしか能のない下賤の者どもになど、討ち取られるわけが——」 


言い終わる前に、義久が斬撃を仕掛ける。

余裕綽々で受け止めた宗麟ではあったが、義久の剣を受けたその瞬間、後ろに立つ副官の吉竹が小さく笑ったのを彼は見逃さなかった。


何かまずいことをした。

しかし、いったい何を。


その答えは、考え出す前に向こうからやってきた。


刀を離す間もなく、義久がもう一度宗麟に向かって刀を振り下ろす。

これも受け止める。すると三度、脳天を狙った単調な一撃。


「…貴様、なんの真似——」

「示現流剣闘術。……滝壺落とし」


そう呟いた義久はまたしても、宗麟の言葉が終わる前にもう一度刀を振り下ろした。


先ほどよりも遥かに重いが、まだ守れる。

ここまでは問題ない。


次の一刀が来る前に、奴の身体を両断してやる。


そんな宗麟の思考をかき消すように、五刀目はまさく目にも留まらぬ速さで振り下ろされた。

六刀目は五刀目よりも早く、七刀目は六刀目よりも早く。

どんどんと加速し、それに比例して威力も増し続ける義久の剣。

ミシミシといやな音を立て始めた愛刀に、かつてない危機感を感じる。

一旦退がって仕切り直そうと、今まで全身が強張っていた宗麟の身体から一瞬力が抜けたところを、義久は見逃さない。 


「……まさかこの私が、こんな男にい…ッッ!!」

「……ちぇやあああああああああああああッ!!」


刀匠の技術が全盛の戦国時代、縦向きの衝撃には世界中のどの近接武器よりも強いのが日本刀。

その中でも名刀に数えられる宗麟の愛刀を、根元から打ち砕き。

義久の刀が、宗麟の頭部に深々と突き刺さった。


示現流。

戦国時代、薩摩を発祥の地とする対人殺傷術の一つ。

ひとたび正面から受け止めた時点で相手の敗北が確定し、防御している自身の刀身が頭蓋骨にめり込んで絶命すると言われるその剣技は、今までは机上の空論とされてきた。


島津義久という一人の天才が、実際に戦場で実用化するまでは。


首を持ち帰って足早に敵軍野営地から抜け出した義久たちに対して、宗麟の変わり果てた姿を巡回の兵が発見したのが夜更けごろ。


その凶報は、あらゆる戦場に一瞬にして広まることとなった。


太陽が東の山間から顔を出し始めたと同時に、依然として各国に侵攻していた大友軍15万弱が一斉に撤退を開始。


その様子を見て、被害を受ける側として立っていたすべての国の兵士が悟った。


詳しい理由は分からないにしろ、此度の豊後国の大攻勢は失敗に終わったのだということを。



そしてこの豊後侵略戦争は結果として、おそらく誰も予想だにしていなかった方向に後の戦国の世を大きく揺るがす、大同盟結成の契機となっていく。















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