第壱部 第五話 日没

義銘の、神懸かり的な剣技による敵5人の即殺。


その様子を見ていた側近たちを何より驚かせたのは、その一連の動作の中で、義銘が刀を抜いた瞬間を誰も視認できなかったことだ。


「あれが、抜刀術…か…?義銘様があの奥義を体得されているとの噂…ほ、本当だったのか…!」

「父君の義道様ですら体得できなかった剣技の境地を、十六歳で既にその手に…」

「ほらほらオッサンども、早くあそこに転がってる義道様連れて逃げろって。義銘も言ってたけど、ここは俺たちが引き受けるからよ」

「…ッ、若を呼び捨てにするなこの問題児が!…貴様に頼むのは不本意の極みだが……ここはこの戦い一番の要所だ。なんとか頼むぞ…!」

「フッ、任せとけって。……じゃあ手前ら、ひと暴れするぞお!」


敵第一軍の将を討った越後軍ではあったが、この序盤に義道が離脱したことで、このまま一気に戦線が瓦解する恐れもあった。

だがここで、臨時の現場指揮者となった義銘はその才能を見せる。

正面では赤龍隊やその他の精鋭部隊が暴れ、他の正規軍はヒットアンドアウェイのような戦法をとることで守備側の被害を最小限に減らすという、器用な戦い方で着実に朝倉軍の勢いを削ぎ始めたのである。

この若き将の台頭によって、中央軍はまだまだその均衡を保っていくこととなる。



双方の中央軍が街道で激突したのと時を同じくして、後方に鎮座する朝倉孝景率いる本隊六万から、左右に一万ずつの別働隊が放たれた。

大半が歩兵で構成された彼らの目的は、中央軍の戦場となっている街道を挟んだ左右の山脈を最速で抜け、一方が敵の予備隊二万の正確な位置を把握すること。可能なら奇襲を仕掛け、もう一方が山を下って越後軍中央の背後を取ることにある。

これは孝景からすると、1日目からいきなり仕掛けた詰みの一手であった。圧倒的に数的有利を持つ朝倉軍が、初日から全軍容の半分を割いてくるなど、誰も予想できないことのはず。

だが、しかし。

前線から寄せられた右翼、左翼が待ち伏せに遭い壊滅したとの報告に、孝景含め朝倉本陣は大いに戦慄した。


「すぐに右翼、左翼を呼び戻せ。輝虎がどんな手を使ったのか……状況を整理するぞ」

その呼びかけに、孝景を長く支えてきた側近たちから悲鳴のような声が返ってくる。

「そ、それが…後退中の両翼が、越後兵の凄まじい追撃に遭っているようです!殿も意味をなさず、このままでは全滅すら有り得ると…」

「先程入った報告によりますと、未確認の強部隊の出現で中央も膠着していると…孝景様、如何されますか」


自慢の兵たちが、それほど一方的にやられているという事実。

よほどの策を持っているのか。しかしその思考は、孝景自身による味方への信頼と戦場での経験則からすぐに否定される。


そうだ。いくら敵に地の利があるからと言って、策略だけで我が兵たちをここまで圧倒できるわけがない。

つまり今相対している敵は、数の不利も策略も、全てを覆してそれでも余りある”個の力”を持っているのだ。


「……なるほど強いのお、為景の倅。…しかし妙だ」

「妙、ですか?」

「そうだ。たとえ奴の白虎隊と正面からぶつかっても、山地での攻防なら撤退すら許されない状況には陥らないはず。……なんだ、そこで何が起こっているのだ…」


時間は一時間前に遡る。

越後軍の予備隊のうち5000を捕捉した朝倉軍右翼は、山地の斜面を一気に駆け降りての奇襲作戦を実行した。

全く朝倉軍に気付いていなかった様子の彼らを見て、なんの問題もなく奇襲が成功するだろうと油断した右翼後方の背中に。


越後最強の精兵部隊である白虎隊、総勢3000のうち500が襲いかかった。

斜面で中途半端に加速が付いたせいで後ろを向くことも難しい彼らを、輝虎が先頭を行く白虎が次々に撃破していく。

しかし所詮は500だ。混乱から抜け出した朝倉兵がすぐに反撃に出ようと反転したその背中に、斜面下から上がってきた白虎隊のさらに500が喰らい付く。


混乱の中みるみるうちに消えていく前列、後列を尻目に撤退を試みる中衛の横腹にトドメの一撃として、機を見て斜面下から上がってきた予備隊5000がぶつかると、もとの奇襲部隊10000が見る影もなく壊滅した。


そしてそれと全く同じ事が、朝倉軍左翼でも起きていたのである。

白虎隊のたった1000騎による強力な挟撃によって逃げ出した敵に、予備隊5000が背中から斬りかかる。

しかし敵からすれば、前後の味方が粉々にされた直後なのだ。後方から追ってくる敵がいれば、それがそこまで実戦経験の無い者たちだとしても、自分たちの実力では到底及ばない強敵に見えてしまう。


ここまでが、輝虎が対孝景に用意した第二の策である。

孝景が中央軍だけでなく左右にも別働隊を放つことや、その狙いまで完璧に読み切った配置。輝虎が持つ、規格外な軍略の才が為せるまさに神業。

そしてその作戦を支えているのは、彼が絶対な信頼を寄せる白虎隊のこれまた桁外れな強さだ。

結果的にこの初日、越後兵の犠牲2000ほどに対して、中央軍と左右の別働隊を合わせれば朝倉軍の死者は18000以上。


申し分なく、越後側の快勝と言える戦果であった。


「輝虎様、陽が…」

「……ああ、日没だ。それよりも、犠牲は」

「白虎の犠牲はありませんでした。やはり中央軍での死者が多く、1700人超だそうです。予備隊は200人弱だとの報告が」

「正確な数と全員の名前を報告しろ。後で丁重に弔う。…特に予備隊は」


死ぬ準備のなかった彼らは、俺の都合で死なせたのだから。言外にそう言っておられるのだ。我らの主人は、時々心配になるほど優しいお方だ。

輝虎の養育係でもあった飯田忠重は思う。


すると、息も絶え絶えになった伝達係が照虎たちのもとへ駆けてきて言う。


「輝虎様、各戦場からの戦果報告に参りました!輝虎様のお考え通り、右翼でも白虎隊が斜面での奇襲することに成功し、追撃にあたった予備隊の犠牲もほとんどなく、敵左翼を壊滅されることに成功しました!」


おおおっと、本陣将校たちの間にどよめきが起こる。


しかし、ここまでは予想通りの結果だ。輝虎が一番聞きたいのは、ここは唯一義道たちの実力頼みとした中央軍のことだ。


「両翼は分かったが、中央はどうなった」

「中央軍は、北畠様が動けなくなるなど想定外のことが多々あったようなのですが……」

「なっ、動けなく!?生きてはあるのだろうな!」「そこは、間違いないと念入りに報告が!…そして敵将の1人である飛騨宗正を、北畠様御自ら討ち取られたと!それと、新設の赤龍隊の活躍によってこちらの損害も想定よりは軽微なようです!」

「動けなくなるとは、義道殿は初日で鬼神化を使われたのか!」

「いやしかし飛騨宗正といえば、数々の武功を挙げてきた『鉄槌』の異名を持つ危険な男だ!それをこの序盤で倒せたとなると……まことに大きいぞ!」

「それに赤龍と言ったら、輝虎様が選出された者たちで新しく編成された部隊だ。早速功を挙げたとは…」


すこぶる順調だ。上手く行きすぎているほどに。

家臣たちが喜び合う中、輝虎は一人小さく首を傾げた。


報告によれば、中央軍に入っていた朝倉の将は例の飛騨宗正のみ。確か越前で名の通った武将は5人いたはずだ。本国の守りに1人残すとして、残り3人はいつ出てくるのか。加えて事前の情報では、不審な荷馬車が厳重な警備の中運搬されているとのことだった。


それなら、あの厄介な男が来ているのは確定的だろう。


「……明日以降、戦況はさらに苛烈になっていくだろう。全部隊に伝えろ。敵将を確認し次第、何よりも優先して本営に報せよと」


一礼して下がっていく伝令が完全に見えなくなってから、依然として難しい表情の輝虎に忠重は問う。


「輝虎様、明日の作戦は既にお考えでしょうか」

「…中央に左右の予備隊から1000ずつ送り、囮役となった予備隊を一度後方に下げる。それと、右翼の白虎に一度こちらに集まるよう知らせろ」

「は……輝虎様、もう一つご報告が」


周囲を見回して人の気配が無いか確認するその素振りに、おおよその察しがついた輝虎は応える。


「兼続か」

「その通りでございます。先程早馬が来ました。あちらも、明日の早朝より始まるそうです」


これには輝虎も小さく笑みを浮かべた。予想以上に早い。

これでやっと形になってきた。あの酒宴の夜に描いた、勝利への絵図が。


「……じい、白虎隊が集まったら伝えろ。この戦は、あと4日で終わるとな」

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