第壱部 第四話 虎の右腕

「なあ、輝虎様の立てた作戦っていうのは本当にこれであってるんだよな」

「そのはずなんだが……こんなに単純でいいのかね」


同じような一般兵士たちのぼやきがそこら中から聞こえてくる。

明朝に行われた決起集会から早くも4時間が経過し、全兵が輝虎の立てた作戦通りの位置に配置されたと、先ほど各地の戦場から連絡が入ったところだ。

ここまでの首尾は順調、のはずなのだが……


「正直今回ばかりは私でも思うぞ。本当にこの配置で合っているのかとな」

「まったくだ。国亡の危機に、輝虎様は危機感を持っておられるのか…」


そう不安げに話すのは、越後軍内で義道に次ぐ戦歴を誇る畠中三善の軽装歩兵部隊「山猫」の隊員たち。

視界の悪い場所でのゲリラ戦こそ真骨頂とするはずの彼らが、配置されている場所は。


輝虎が想定した「朝倉軍が通る道のり」に位置する街道の——なんの捻りもないど真ん中。



さらに「山猫」だけに止まらずその地には、越後軍三万中一万ほどが配置されている。


「このままだと間違いなく物量で押し潰されるんだが、輝虎様は一体何を考えておられるのだ…」

「それに、奴らの姿が見えないな。ほら、輝虎様直属の騎兵隊……白虎隊の姿がないぞ」

「それを言うなら、直江の小僧とその親衛隊もここにはいないようだ」


現存する部隊の中でも最強の攻撃力を誇る二隊の姿が見えない。

キョロキョロとあたりを見回していると……街道を挟むようにそびえる小高い丘、その向こうに上っていく一筋の狼煙を目視した。


「合図だ!もうすぐそこまで奴らが来ている、数は二万ほどだ!」


物見からの報告が全体に伝わると、兵たちの中に一気に緊張が走った。

すると、最前列で突撃の準備を済ませた重装騎馬隊が前に出た。率いているのはあの北畠義道だ。


「ん?北畠様が前に出ていくぞ…」


輝虎の姿も見えない以上、実質的にこの防衛戦の最高責任者である義道が1人列から離れていく。

不思議に思って注視してると、


「越後の勇者どもよ!!!!」


いきなりの大声がビリビリと響く。当然、声の主は義道だ。


「お前たちが恐れるものは何か!敵か!死か!」

「「「否!!否!!」」


息のあった合いの手は義道直属の重装騎馬隊。その迫力は、怖気付いていた兵士たちの心を奪い、奮わせる。


「我らの命は我らのものではない!無敵の越後軍は……この国の民草を守るためにこそある!!」


前方の街道のカーブから、敵の先頭が少しずつ見え始めた。


「よおし、始まるぞお!」


楽しそうに言うのは畠中三善。越後一の戦闘狂として知られる彼には最高のシチュエーションなのだろう。

と、盛り上がっていた前列も既に助走に入っている。


「越後の地を踏み荒らさんとする下衆どもを!この地で全て沈めてやるのだ!……ッッ、突撃だああああああああ!!!」


やっとこちらを視認したであろう敵の先鋒5000ほどに向けて、義道の檄によって士気が最高潮となった彼の重装騎馬隊2000が突っ込んでいき……

敵の前列を、文字通りバラバラに打ち砕いた。


「おいおい、ウチの強部隊って言ったら白虎、直江親衛隊の二つって言われてるけどよお…あのオッサン本気出したらあんな……!」


「最前列での義道様の引っ張りも凄まじいが、後ろを追う重装騎馬の破壊力も尋常ではないぞ…!敵の騎馬と正面からぶつかり合い、その全てを粉砕して進んでいる!」


彼ら重装騎馬隊が持つ破壊力の秘密。それは一騎一騎が身につけている馬鎧と、騎馬自身にある。

馬鎧は、輝虎の保持する『天ノ白鉾』と全く同じ製法の総鉄造り。

騎馬は、古代中国の北方にて猛威を振るった異民族「突厥」をルーツとする、世界最速の騎馬のみで構成されている。

それらの突撃を、並の騎馬が正面から受ければ……


「おい何やってる前列!早くそいつらを止めろ!」

「そんな無茶なっ…あっ…ギャアアアアアッ!!」


阿鼻叫喚。受けた側からすれば、さながら移動式の地獄が全力の殺意とともに向かってくるようなものだ。

しかしある程度時間が経てば勢いは落ち、突撃の威力は弱まってくる。外側の部下が少しずつ敵の攻撃に捕まり出し、死体を踏んで馬が転倒する者も出始めた。

だが結果から見れば、十二分に敵の出鼻は挫けたはず。


潮時だ。


馬頭の向きを変えようとしたところで、強烈な殺意を感じた義道は反射的に体を捻った。

瞬間、左斜め前の死角から飛んできた大槌の振り下ろしを、すんでのところで右へかわすことに成功する。


「貴様かあ、この騎馬どもの将は!」


突然の動きに倒れかけた愛馬を持ち直させると、声の方に向き直ってにわかに驚いた。


「な、なんだあの男…大きい……!七尺弱はあるのではないか」

「それに奴の大槌、輝虎様の天ノ白鉾よりも巨大だぞ…」


追いついてきた部下たちの声の通り、目の前に騎馬しているのは異様な体躯の男。

袖口から覗く腕は、常人の腰ほどもある。


「我は越前の鉄槌、飛騨宗正。貴様の名を答えてみろ、越後の猛将よ!」


男の足元に転がっている部下たちの死体を見て、義道は突撃開始から今まで使っていた矛を投げ捨て、腰に刺した宝刀に手をかけた。


「……北畠義道だ。今からお前を殺す」

「俺を殺すか……やって欲しいものだ!」


先程の直線的な振り下ろしとは違う、斜め下から穿つような一撃。なんとか刃の当て方を工夫して受けるものの、馬ごと後ろに飛ばされてしまう。

……まともに受けては、この宝刀でさえ折られかねないほどの膂力。早めにカタを付けなければ。


「あの男、図体の割にかなり速いぞ…!」

「義道様、ここは一度退避しましょう!この男に時間をかけていては、敵の本隊が追い付いてきてしまいます!」


慌てる側近たちの言い分はもっともだが、それに反応できるほどの余裕は今の彼にはない。


もう一度、今度は逆方向から横薙ぎの一撃。

これをギリギリで受け流すも、僅かに掠めていたこめかみが割れて血が噴き出る。

溢れ出る血を拭いながら、その速度と威力に義道は小さく冷や汗をかいた。

想定よりかなり早いが、あれを使うしかなさそうだ。


「逃がすと思っているのか間抜けどもが!我が鉄槌で、貴様らの脳みそぶちまけてやる!」


部下の忠告と、宗正の野太い脅し文句。そんな周囲の雑音も、少しずつ遠ざかっていく。

全神経を、身体中の血液を、沸騰させるイメージを持つ。次に浮かべるのは、この男に殺された部下たちの顔。


今あの男の馬が踏んでいるのは、つい4日前に祝言をあげたばかりだった若者だ。

幸せな未来を奪い、奪われる。それが乱世。


ならせめて自分の周りだけは、命を賭して守ると。

己の惨めさを噛み殺した若き日に誓った。

これは才能の無かった自分が、その信念を守るために編み出した技なのだから。


「……なんだ貴様、その姿は」


宗正が、得体の知れないものでも見たようにカッと目を見開いて後退りする。

無理もない。「これ」を使うと義道の身体中の皮膚は筋肉の膨張に耐えきれず出血を起こし、眼球は極度の充血で真っ赤に染まる。


「…行くぞ」


静かにそう言った義道が、次の瞬間には視界から消える。

一瞬混乱を起こした宗正の脳が——かつてない生命の危機を感じ、動物的本能的のままに首を持ち手で防御した。


と同時に、刃が大槌の中腹部分に食い込む衝撃。身長差30cmはあるであろう義道の斬撃によって吹き飛ばされた宗正は、その威力に耐えきれず馬ごと宙を舞った。


なんとか着地してから、自分の首がまだ繋がっているかを思わず確認してしまう。

それほどの一撃。


体中から噴き出した冷や汗が、一斉に逆立った鳥肌が、それ以上に武将としての矜持が。


全身全霊で、目の前の男を脅威と認識していた。


しかし宗正とて、朝倉五将として各地の戦場で鳴らした男。

ここで尻尾を巻いて逃げることはできない。


「物の怪の類か…?面白い!さあ来るがいい、今度は俺が貴様をっ」


それ以上、その言葉が続くことはなかった。

瞬き一つにも満たない速度。高純度の鉄のみで造られているその大槌ごと一刀両断。


宗正の太い首が、地に落ちたのだ。


「数年ぶりに見た、義道様のあのお姿……や、やはり凄まじい強さだ…」

「しかしあの技は、とてつもない負担がかかったはず…このような序盤に使われるとはな」


部下たちの言葉通り、義道は既に刀を持つことすらままならないほどに疲弊し、馬上にあるのが精一杯の状態である。


『鬼神化』と義道が名付けたその技は、剣の才覚に恵まれなかった義道が手に入れた唯一無二の奥義。


アドレナリンの異常分泌が引き起こす、常人なら卒倒するであろう極度の集中状態とそれに付随した筋肉の膨張。


下半身では、一時的ではあるが速筋繊維が通常時の5倍まで発達することで凄まじい加速を生み出す。


反動として、筋肉疲労によって丸一日指の一本たりとも動かせなくなるが……義道はここで使うべきだと判断した。


それ程までに危険な男だったのだ。


「お前の名前、この北畠義道が覚えておくぞ……飛騨宗正」




「義道様、敵の本隊がすぐそこまで来ています!早く離脱を!」

「誰か義道様を救いに行ける者はいないのか!…まずい、このままでは…」


馬を引く余力もない義道を後退させるためには、ある程度の人手が必要だ。しかし勢いに任せた突撃によって隊列は乱れているのだ。


現状で、敵を避けながら彼を回収する手段がない。


万が一ここで義道が討たれるようなことがあれば、もはやこの防衛線を維持することは不可能となってしまう。


部下たちは死に物狂いで敵を薙ぎ倒しながら義道のもとに向かおうとするも、もともと数で勝る朝倉兵に阻まれて思うように進めない。


「あっ……朝倉の騎馬が一騎、義道様に向かって…!」

「誰でもいい、頼む……あのお方を死守しろ!」


乱戦の中から朝倉軍の騎馬が抜け出し、未だ動かないでいる義道に向かって刀を振り下ろし……次の瞬間には刀を握りしめていた手首ごと斬り落とされ、絶叫しながら落馬した。


「な、一体誰が……あっ、あれは!」


義道の窮地に駆けつけたのは、兼続とそう年齢も変わらない一人の少年。


「父上、ご無事ですか!」


掲げられ風に靡くは、とぐろを巻いた赫龍の旗。


すんでのところで朝倉の凶刃から義道を救ったのは、彼の次男である北畠義銘とその私兵団、『赤龍』。


「あれは…若だ!若と赤龍隊が来てくれたぞ!」

「若、もっと下がってください!そこはまだ敵地のど真ん中です!」


「俺に構うな、それよりお前たちは父上を連れて今すぐ離脱しろ!ここは我ら赤龍が引き受ける!」


義道の側近の声に従うことなく、尚も彼ら親子を殺そうと向かってくる敵の騎馬たちに向き直る義銘。


「オッサンたち、まだあいつを若扱いしてんのかあ?老人は頭が硬くていけねえなあ」

「な、何をしているか貴様らは!早く義銘様を助けに行かぬか!」


側近の怒鳴り声に呆れ顔で返すのは、赤龍の一員であり義銘の親友でもある齋藤弥助だ。


「あのなあ、お前たちはあいつの実力を知らねえからそんなこと言えんだよ。いいから見てろって。あいつの剣技はもう…」


馬上の義銘に向けて、5人の騎馬が一斉に斬りかかる。


「ぎ、義銘様あ!」


ほぼ全角度からの攻撃。未だ刀を抜いていない義銘へと向けられるそれは、明らかに彼の命を奪うに足るものだった。

が、その全てが義銘の表皮にすら触れることはなく。5人の首が、同時に宙を待う。


「……日の本一なんだよ」

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