第壱部 第三話 侵略者

「な、何かやってしまったでしょうか…」


シンとした空気に耐えかねた兼続が切り出す。こう思った原因は主に二つだ。


一つは、会議前のあのいざこざを輝虎がどこから見ていたか分からないこと。

一瞬だが、明確な殺意を持って刀を抜きかけたのだ。それも、相手は文官の重鎮たち。

もしあの一部始終を見られていたのなら、何かしらの処罰が下ってもおかしくはない。


そしてもう一つ。

会議の時に見せた楽しげなそれとは打って変わって、輝虎の表情が張り詰めているのだ。

これでは、怒られるのかもしれないと思うのは当然だろう。

いや考えすぎだ、うんうんそうに違いない……と兼続はそう自分に言い聞かせた。


しかし長い沈黙の後、口を開いた輝虎から聞かされた内容は、兼続にとっては全く予想だにしないものであり……この先の越後の未来をも大きく変えていくものだった。


さらに10日後の明朝。

越後と隣国越前の国境地帯に存在する関所に、突然火の手が上がった。


「し、死守だ!せめて輝虎様にこの事実が伝わるまで、門を死守せよ!」


「無理です部隊長、この敵は…!」


ドンッ!!と凄まじい衝撃とともに、堅牢な関所の門に衝撃が走る。


中世ヨーロッパなどで多く用いられた時代の最先端技術、車輪式の攻城兵器である。


その破壊力はとてつもなく、要所を鉄で補強した門が一撃でひしゃげるほどであった。

その威力に度肝を抜かれた兵士たちの心に、さらに追い討ちをかける出来事が起こる。


地平線を埋め尽くすほどの騎馬大隊、そしてその奥からはその数倍の歩兵団が現れたのだ。

その瞬間、関所にいた兵士たちは理解した。

最新の攻城兵器に加え、ほぼ全軍容を投入しての超大規模作戦。


こいつらは、正真正銘この国を滅ぼすための侵略戦争を始める気なのだということを。

こんな関所や自分たちの命など、それこそ助走にすぎないほどのこと惨劇が今から起こってしまうことを。


「見てください隊長、さらに後方から……な、なんだあの数は…!」

「…やむを得ん、総員退避だ!関所を放棄し、後方にて先遣隊と合流する!1秒でも長くこの敵を止めるのだ!」


その"凶報"は、それを耳にした全ての越後国民を震撼させた。

越後の真横に位置する大国、越前の朝倉孝景が挙兵し、越後との国境を破って侵攻を開始したのだ。その数およそ八万。

朝倉孝景といえば、輝虎たちが内乱に手を焼いている間に、もともと越後と越前に挟まれるように存在していた越中を一夜で滅したといつ逸話を持つ。

その苛烈さと軍才をもってして傑物と天下に知られる人物である。

対して、これを迎え撃つべく御靖城に集められた、越後国内の今動かせる全兵力およそ三万。

「出来うる限りのことはしましたが……現状の越後ではこれが限界です。申し訳ありません」

そう言って悔しそうに拳を握りしめるのは、飯田家の次男である飯田時文。輝虎とは旧知の仲だ。

「…これで充分だ。よくやってくれた、時文」

「!……御武運を」

時文がいなくなってからしばらくすると、輝虎はフーーッ、と大きく息を吐いた。

そうだ。今この場にいる三万が俺の、越後の持ち駒だ。この駒で、あの朝倉孝景と戦うのだ。

左目の眼帯に手をやって、もう一度息を吐く。策はある。勝算も……ある。勝つのだ。勝たなければならないのだ。

俺は越後国主、長尾輝虎なのだから。


御靖城前の広場。そこに集められた兵士三万のうち、二万人ほどは普段は戦地に出ず、周辺の城に勤務している者たちだ。越後では、戦国の世にしてはかなり珍しい兵農分離を徹底してる。お陰で農民兵はいないため、そう言った意味ではある種マシかもしれないが。

しかしそれでも、あの孝景相手にほ焼石に水程度のものに過ぎない。

それらの、言ってしまえば戦いのプロでない者たちが抱いているのは、必ずしも祖国を守ると言う崇高な志だけではないだろう。

「なあ、敵は十万以上って本当なのか…?それじゃあ俺たちが今から行っても無駄死にじゃないか」

「バカお前、声がでかいんだよ…でもその通りだ…帰って家族に会いたい……」

そんなやり取りを聞いた義道直属の兵士が、目を釣り上げてそちらに行こうとする。がしかしそれを静止したのは他でもない輝虎の右腕、北畠義道だ。

「義道様…!あのような者たちがいるだけで、全体の士気に関わります!この場で斬り伏せれば、他の軟弱者どもをも黙らせることができるかと」

「その通りです義道様。どうか抜刀の御許可を!」

義道からすれば、何十年も共に戦場を駆けてきた仲間たちの言葉だ。それに、それが一番手っ取り早い方法だと彼自身分かっている。

しかしそれが正しいのかと言われれば、誰よりも人道を重んじる義道は否と言わざるを得ない。

「……恐怖で無理やりに立ち向かわせるのは、限界がある。お前たちも戦場に出て長い。そこはよく分かっているだろう」

その言葉に、怒っていた部下たちも何も言えなくなった。二十年以上に及ぶ戦歴の中で、結局生き残ったのは確かな芯のある者だけだった。

「で、では我らの主は……輝虎様は、この兵士たちの士気をどのようにして上げるおつもりなのでしょう…」

「……それは分からない。だがあの方には、私たちに無い何かがある。それだけは確かだ」


しばらくして、広場の前方に設置されている台の上に1人の男が立った。

左目の眼帯に六尺を超えた長身。彼を見たことがなかった一介の兵士でも、その男が何者か分かるほどのオーラがある。長尾輝虎その人だ。

輝虎に気づいた兵士たちが水を打ったように静かになると、彼はゆっくりと話し始めた。

「みんな、よく集まってくれた。俺が越後国主の長尾輝虎だ」

ハスキーなよく通る声に、その場の全員が耳を傾ける。

「現在、越前の朝倉孝景がこの越後に向けて進行している。それはみなもよく知るところだろう。既に先遣隊が敵の先鋒とぶつかったとの報告も受けている」

先遣隊の話は初耳だったのだろう、一斉に兵士たちがざわつく。

すると、ある1人の兵士が我慢できなくなった様子で輝虎に向かって声を張り上げる。

「て、輝虎様!敵の規模が十万以上というのは本当なのでしょうか!俺たちが戦う意味は、ほ、本当に……あるのでしょうか!」

不思議と、その声を咎めるのは誰もいなかった。

輝虎は言う。

「それは少し違う。敵の数は八万と少しだ」

「しかし、私たちは三万ほどしかいません!このままでは犬死になってしまうのではないでしょうか!」

「……お前、名前は」

静かに問う輝虎を怖がりつつも、兵士は答える。

「さ、左之助です!普段は玉木城の門衛をやっています。先月……子供が産まれました。三人目の…」

「左之助。お前がここから逃げて家族の元に帰りたいというなら、それもいいだろう」

その言葉に、左之助と名乗った兵士は心底驚いた顔をする。当然彼も、この場で斬首になる覚悟で声を上げたのだから無理もない。

すると輝虎は続けて言う。

「他の者も、戦うことを拒否してこの場から去るというなら止めはしない。好きにしろ」

ざわつきは大きくなる。それなら俺も。俺も帰りたい。そんな声がどんどん大きくなっていく。

「義道様、これはまずいのでは」

「…黙って見ていろ。あのお方なら大丈夫だ」

しかしそれらを意に介すことなく、輝虎はゆっくりと続ける。

「月並みな言葉かもしれないが…もし今俺たちが戦うことを放棄したなら、俺たちが守るべき国民は余さず朝倉の奴隷になるだろう。男は死ぬまで働かされ、女は子を生まされる。そうして産まれた子供も、また奴隷にされることになるだろうな」

その言葉を聞いて、今まで騒いでいた者たちが水を打ったように静かになる。

「もう分かっただろう。俺たちが、彼らの希望だ。ここで勝ち、生き残る者も……死にゆく者も。等しく希望なんだ」

絶望や諦観に満ちていた兵士たちの目に、再び火が灯っていく。

「お前たちの子や、孫たちの自由な未来を守るために……力を貸してくれ」

シン……とした一瞬の沈黙ののちに。

天地が、震えた。

ウオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!と、夜明けの空に兵士たちの雄叫びがこだまする。

爆発的な奮起。これが、輝虎の持つ第一の策だった。


決戦の朝。

兵士たちは前を向いた。


未来を掴むために。

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