第8話 記憶

 座っていたソファに戻り、扇子で身体を扇ぎながらぼうっとしていた。

 おそらく執刀したのは若い医者である。「若い人がやると碌なことないな」と内心で思った。なぜか、昔入院していたときのことを思い出した。

 二十代で入院を繰り返していたとき、入院すると長期になる。また腕の血管が細いために、腕に点滴をし続けると、手がパンパンにむくんでしまう。だから、頼んで早めに静脈点滴に変えてもらっていた。中心静脈栄養、IVHといって、右の鎖骨下の一番太い静脈に針を入れて、点滴を行う。手術が必要なので日程を組んで針を入れる。これだと身動きも自由で、快適な入院生活を送れる。もちろん、入院生活自体が快適になるわけもないので、「まだまし」なだけであるが。ただ、トラブルもある。針から何かの拍子に空気などが入ると、地獄を味わう。一度そういう経験がある。

 あるとき、その手術を男性の研修医が担当した。もちろん、主治医が横についていて行った。

 IVHを入れるときはやはり麻酔をして、皮膚を一部切開する。そして静脈に針を入れる。針を縫って固定する。これでよっぽどのことがないと抜けない。

 その研修医も、やはり動きが遅く、なかなか先に進まなかった。

 また、実に緊張していた。その緊張が伝わってきた。ただ、誠実な先生だというのは分かっていた。けっこう長い時間じっとして耐えた。終わった後、やはり上半身が汗水漬くになっていた。

 目の前に執刀した女性医師がやってきた。薬のことを打ち合わせて、変更する話し合いをしている最中に気づいた。

 「この人、竹内まりやに似てるんだ」

 会ったときから誰かに似ていると思っていたが、ストンと何かが腑に落ちた。しかし、マスクをしているので、それが本当に竹内まりや似であるかは分からない。最近はコロナ禍でみんなマスクをしているので、いわゆる「マスク美人」が猛烈に増えているのである。

 去り際、『竹内まりや』が小さくため息をついているのを見逃せなかった。


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