「ここはもともとアサコの家だったの」

シャッターの脇のドアを開けてヨーコさんが言う。

このドアにはしっかり鍵がかかっていた。

中に入るとオイルの臭いがする。

すっかり取り外されてしまっていたけれど、

機械が据え付けてあった痕跡が残っていた。

「町工場だったみたいですね」

「ずいぶん前にやめちゃったみたい」

「倒産ですか」

「見切りをつけたっていう感じなのかな。そのへんはアサミのお父さん優秀だったみたい」

何とも言えない感じだなと僕は思った。

でも借金まみれで身動きが取れなくなるよりはいいのかな。

「二階の部屋はその名残なの。従業員の寮だったんだって」

何とも殺風景な作りはそのせいなのかな。

ヨーコさんの着ている作業着がこの何もない空間に何の違和感もなく溶け込んでいる。

「アサちゃんの家族ってどうしているんですか」

「あなたと同じよ」

「みんなバラバラですか」

ヨーコさんは僕のことをどこまで知っているのだろう。

アサちゃんだって詳しいことは知らないはずだ。

「お父さんは近くに住んでいるらしいけど、詳しいことはわからないの」

どうしてアサちゃんは僕をあの部屋に連れてきたんだろう。

奥の事務室に入ると書類とかが積まれていたり、

張り紙やポスターがあったり、町工場だった頃のなごりが残っていた。

事務室の奥は住居になっているようだった。

遠い記憶が少しよみがえってくる。

そうなんだ、僕は一度ここに来ている。

アサちゃんが強引に僕をここに連れてきた。

たしか土曜日だったのかな。とにかく授業は午前中で終わりだった。

ここでアサちゃんの家族と素麺とスイカを食べた。麦茶を飲んだ。

あの時、アサちゃんの両親は二人とも優しかった。

「ヨーコちゃんは知らないはずだよ」

アサちゃんは煮物のニンジンを口に入れながらぼくに言う。

いつアサちゃんが戻ってきたのか、記憶がなかった。

いつものようにヨーコさんがコンビニで買ってきたものをつまみながら

ビールを飲んで寝てしまった。ヨーコさんが帰るところまでは覚えているんだよな。

今日はめずらしくアサちゃんが先に起きた。

土鍋でご飯を炊いてくれた。おかずはアサちゃんが居酒屋からもらってきた煮物。

そしてヨーコさんが差し入れてくれた温泉たまごとインスタントの味噌汁。

「昨日はお通しが余っちゃって。ちょっと作りすぎた」

「いつももらってくるわけじゃないのよ」

アサちゃんは幸せそうにご飯を食べる。

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