第2話
彼がこの池を発見したのは全くの偶然だった。
中学2年の秋。
彼は自殺を考えていた。
理由はクラスでのイジメだった。無視、恐喝、暴行…あらゆる災厄に彼は絶望していた。我慢の限界を超えた時、彼は自らの命を絶つ事を決心した。
彼の家は当時、この池のある山から5キロ程南にあった。
自殺を決意した夜、家族が寝静まったのを確認した彼は家を出ると自転車に乗った。誰もこない場所を…とぐるぐる探しているうちに、ある山林が目についた。ここでいいだろうと自転車を道路に止めると、彼は山道を歩きだした。
彼が背負っていた黒いリュックサックには自殺するための道具が入っていた。
刃渡り20cmのナイフ、白く太いロープ、そしてインターネットを通じて手に入れた小瓶に入った青酸カリ。どれかを使って彼は自殺しようとしていた。
「ん…?」
彼が足を止めたのは前に池が見えたからだった。突然現れたといってもいい程不意にその池は姿を表した。半径5メートル程でぐにゃぐにゃとしたいびつな楕円形を描いていた。どれくらいの深さなのかは、水が濁っているせいで検討がつかなかった。
彼は入水自殺もありかと少し興味を持って池に近づいてみた。するとそれまできれいに水面に写っていた半月が、ゆらゆらとゆれ始めた。
誰か石を投げたわけではない。風が吹いたわけではない。…とすれば中から何かの力によってゆらされた事になる。
蛙かそれとも魚でもいるんだろう…。
彼はまだ真剣に捉えてはいなかった。
しかし次第にゆれはどんどん激しいものになっていった。段々と波を立たせるほどに。
「な…なんだ…」
さすがに彼も異常さに目を見張った。
そして波の勢いが頂点に達した時、その正体が明らかになった。
「か…怪物…」
驚いた彼はその場に手をついて座り込んだ。
身体は子供…小学生から中学生くらいだが、顔はアドバルーンのように大きく膨らんでおり、そこから長髪が肩までかかっていた。アドバルーンの顔には上半分を占める目が一つだけ、ぎょろっと彼を睨みつけていた。身体にぴったりと密着した黄色いTシャツを着て『SATISFACTION』という黒いロゴが入っていた。膝や足首がところどころ破れ色あせた紺のジーンズを履いていた。足は裸足だった。
「あわわ…」
驚く彼を尻目に怪物は池からあがると、興味深そうに彼の事をじいっと見つめた。怪物はお腹に手を当てた。するとぐううううっという音が林の中に響き渡った。
「お…お腹空いてるの…?」
彼は恐る々る聞いてみた。
どうやら彼の言った事が理解できるらしく、怪物は大きな頭でこくっと頷いた。
怪物の目の下から水が垂れてきた。
涙?
いや違った。
それはよだれだった。
怪物は彼の事をみながらよだれを垂らしているのだ。
彼の全身を恐怖が襲った。
間違いない。怪物は彼の事を食べようとしているのだ。
自殺するためにここに来た彼だったが、食べられて命を落とすという事は当たり前だが予想もしていなかった。死にたくないという感情が彼の中に生まれた。
だが怪物は口を大きく開けた。
中からは歯並びのよいまるで猛獣のような牙が並んでいた。
彼はとっさにリュックサックを怪物の前に放りなげた。
「こ…これなら食べていいよ」
怪物はリュックサックを手に取った。もちろん中には食べものなど入っていない。時間かせぎだった。怪物がリュックサックに気を取られているすきに逃げ出そうとしたのだ。
だが、思うように身体が動いてくれなかった。どうやら驚きすぎて腰を抜かしてしまったようだった。それでも彼は、怪物がリュックを見ている間、必死に手を動かし後退しようとした。
その間に怪物はリュックを開けると、まずナイフを取り出した。
そしてためらう事なく口の中に入れた。
牙と刃物が口の中で金属音を発した。何度か牙で噛み砕いているうちに、怪物は刃物をごくっと飲み込んだ。
「あわわ…」
少年が驚いているのにもかまわず、怪物は続いてロープを手に取った。そしてまるで麺をすするみたいにロープを飲み込んでいった。ロープもまた怪物の胃袋に収まった。最後は青酸カリだった。まるで食後のコーヒーをゆっくりと味わうように青酸カリの小瓶を飲んだ。
中身を全部食べつくすと、怪物はリュックサックを彼に向かってぽいっと放りなげた。
怪物の目はさっきよりも笑っているように見えた。どうやら空腹が満たされた事で満足したようだった。そして彼に向かってぺこりとお辞儀をした。礼を言ってるようだった。
「待ってくれ」
立ち去ろうとする怪物を彼は止めた。
こいつは使える。
怪物に会った事で彼は自殺するのを思いとどまった。その日以来彼は毎日怪物に会いにいった。家やごみ捨て場にあったガラクタを怪物に渡すと、怪物は嬉しそうにむしゃむしゃとそれを食べた。
怪物は彼が来ると池からあがってきた。
そして彼が食べろ、と言ったものは残さず全部食べた。彼が怪物を手なづけて2週間が過ぎた。
そろそろ計画を実行してもいい頃合だった。
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