第10話 貴様の主の名を言ってみろ
初めての街の景色よりも、無言で私の腕を引くネネロアさんの横顔にいつまでも見惚れていたい。
そう、これは現実逃避だ。
「教会へ行きます」
ぷんすかしたネネロアさんは一言話してそれっきり。
私はちゃんと聞きましたよ。「教会ですか?」とね。
そしたらドラゴンでも怯むであろう眼力を向けられて「ええ」とだけ言われたんです。それっきり会話は無く、私はどこに教会があるのかも知らないし、まあ怒っている時に無理に話かけてもよくない事くらいは私にも分かる。
第一、あの受付の人…名前はなんだったかな?あの人がネネロアさんとのやり取りで悲鳴なんて上げるからいけないんだよ。
どうせ冒険者証明書を見たらネネロアさんが上級冒険者でそれで驚いて悲鳴を上げたとかなんでしょ。
分かるわかる。メイド服を着た綺麗なお姉さんが実は上級冒険者なんて思わないよね。私だってつい先日までネネロアさんが戦えるなんて知らなかったんだから。
驚くのも無理はないよ。でもね、いきなり悲鳴を上げるのはちょっと違うと思うんだよね。
「おい、そこのお前」
それにしてもネネロアさんってやっぱりすごい人なんだなぁ。あと冒険者組合長もぺこぺこしていたし、もっともっとネネロアさんの事を知りたいなぁ。
あぁ~知りたいなぁ。
「そこのメイド。お前だ」
ものすっごい自分に酔いまくってる風な勘違いした男が話かけてくる。
やっぱり私達というか、ネネロアさんに話かけているのか。
そこのメイドと言われたネネロアさんが止まる。私は…とりあえず私の手を掴んでいるネネロアさんの腕をぎゅっと抱きしめてみる。どさくさって奴だ。
「お前だお前」
こいつはお前だしか言えないのか。後ろに執事みたいな人が控えてるけどこの人もしかして貴族なんだろうか。
「ネネロアさん。貴族だったら面倒ですよ。さっさと走って逃げちゃいましょうよ」
この場は走って逃げちゃえば良いと私は思ったけど、ネネロアさんはそうではないらしい。話かけてきた変な男を黙って見ている。
「お前どこのメイドだ…なかなかいい女だ。よし、つまらぬ主など捨てて我が家へ来い。俺がお前の主になってやる」
つまらぬって、ネネロアさんの前の主はフィリエ様だぞ。あんな素敵で立派な領主になんて事言うんだこいつ!
それにしても、今のネネロアさんには主はいないから、やっぱりメイド服を着ているとこういう勘違いをされちゃんだね。
「ネネロアさ――」
私はネネロアさんを引っ張って逃げようとした。
でも、引っ張っても動かなんだよね。私の部屋にネネロアさんが来て部屋の扉で押し引きの対決をした時の様に全く動かない。
髪がゆらゆらと揺れ、メイド服も波を打つように揺れている。
そして、黒く艶のある長い髪が銀色に変化し、私の前で輝きを放つ。
私は驚いて咄嗟に声を掛けようとしたけど、それは出来なかった。
ネネロアさんは不機嫌ではなく、とても、ものすごく、怒っているからだ。
「つまらぬ主だと…」
私は悟る。これはまずい。ネネロアさんの周囲からよく分からない物が吹き出して、それが空高く舞い上がる。
「魔力…なのこれって…」
ここ最近自分の身の回りで色んな事が起きたから、これくらいじゃ気絶しなくなったし、神経が図太くなったような気がする。
それでもこの訳の分からない状況は、はっきり言って怖い。
「他人の主を愚弄出来るほどの主が貴様にはいるのだろう!貴様の主の名を言ってみろ!!!」
「ネネロアさん!もうその人気絶しちゃってますって!あと後ろにいた執事みたいな人は逃げちゃいましたよ」
この状況を作ってくれた人はネネロアさんから溢れ出す力を受けてさっさと気絶して倒れてしまった。全く、勘弁してほしいよ。何がやりたかったんだよもう!
「どうした!さぞお前の主は偉いのだろう!私にその主の名を言ってみろ!」
「ネネロアさんってば!落ち着いてください!周りが吹き荒れて大変な事になってます!」
私はネネロアさんを落ち着かせようとしても、肝心のネネロアさんに声が届いてない事に愕然とする。
まずいよ、まずいまずい。
周りの注目を浴びて逃げるにも逃げられないこの状況、私には荷が重すぎる。とか思っていると私にと言うかネネロアさんに誰かが話しかけて来た。
「なーにやってんすか、ネネっち~」
ネネロアさんに話かけたその人が「ぱんっ!」と手を叩き、その音が耳を突き抜けると建物や人も、辺りに存在する全ての色が無くなってしまった。錯覚ではない。今私達は灰色の世界に存在している。
そして、ぱんっ!というより、ぺしっ!な感じでネネロアさんの頭をその人が叩く。いきなり現れてネネロアさんの頭を叩いたから驚いたけど、そのお陰で吹き荒れる力が収まったようだ。
「え、あっ、メルヘルさんじゃないですか。どうして此処に」
「どうしてもこうしてもないっすよ。ほら、さっさとしないと番人きちゃうんで教会まで逃げるっすよ。あ、そっちの子も一緒に行くっすよ」
言われるがままに私とネネロアさんはメルヘルと呼ばれる人と共に、灰色の世界のままこの場を後にした。
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