ツユクサの世界―第五章ー

照会

 頭が割れるように痛い。浅く何度も息を吐き出すが、痛みはさざ波のようにやってくる。畜生。あのアマは相当イシの力が強い。あの女を掴んだとき、一瞬ツユクサの感情という感情がオレにも流れ込んできた。悲しみ、怒り、憐み―そんな負の感情たちに腕を食いちぎられそうになった。感受性低い、オレでもだ。ツユクサあれに同情してはいけない。同情や共感すれば、引っ張られる。まさしく人喰本バケモノだ。もうすでに三日月がツユクサに引っ張られている可能性がある。感受性の高い三日月を天国捜索のために行かせたが、あの判断は間違いだったかもしれない。

 デスクの開けていた一番下の引き出しを力いっぱい閉める。振動でより一層に苛々が増す。落ち着け、落ち着け、弥生町。まだまだ時間と手は残っている。二人の象徴紋も、まだ燦然と輝いている。大丈夫。大丈夫だ。煌めきを見ていると少しだけ心拍数が落ち着くような気がした。

 

 煮え腐った頭ではきっとどこで天国が共感して行方不明になったのかが分からない。こういうときは他人の意見を聞いてみるのも、価値がありそうだ。報告書ではなく、生きた人間の意見を聞きたい。名刺ホルダーを一番上の引き出しから取り出すと、隣町の図書館の人間の名刺を探す。たしか……藤原……とかいってたはずだ……。名刺ホルダーの最後のページにあるそれは訳の分からない林檎のキャラクターが書かれている。外線電話をとり、書かれている番号の順にダイヤルを回す。ゼンマイのおもちゃが動くような音がしたのち、呼び出し音が鳴る。ぶつりと女性の声がした。

『はい、山葉図書館です』

「恐れ入ります。私、昴町図書館の弥生町と申しますが、藤原さんいらっしゃいますか」

『藤原は……その……少し話ができない状態で……』

「構いません。代わってください。急用です」

 回線の向こう側でひそひそと話す声が聞こえる。話ができないとは、おそらく心理的瑕疵のことを言っているのだろう。声に太い野郎の声がまざる。きっと館長クラスが会話に加わったのであろう。不穏な単語が幾度となく交わされている。急ぎだと言っているのに、これか。よほど酷いのか。それとも、そんな人間に話をさせられないかと思っているのか。部屋には誰もいない。大きく息を吸い、喉を精いっぱい震わせる。

「こっちは人命かかってんだよ。はやくしてくれ」

 少しだけ、あちら側が静かになった。それからすぐに、か細い声が聞こえてきた。

『あ……あぅ……ふ……藤原で……す』

 ようやく本丸のお出ましだ。ずいぶん貧弱な本丸だが。以前会ったときはこんな声ではなかった気がするが、今は気にしていられない。

「どうも。弥生町と申します。引継ぎの際にお会いしました。申し訳ないのですが、私の仲間が【No.1224】に呑まれました。それでご質問なのですが、ツユクサというイシとはお会いしましたか」

『あ、会いました。恐ろしいイシでした……』

「藤原さんはツユクサと何か話をしましたか」

『は……ぃ。願いを叶えろ、と……言われました……』

「それは結末を変えるという願いでしたか」

『いえ、登場人物の子たちを救ってほしい……とのことでした』

 救う。それは一体なんだ。何が救いなんだ。電話口でか細い声はだんだんと力を取り戻していく。

『私は行間で一度行方をくらませました。赤髪の男が助けてくれましたが……。心の一部はあの「本」に残ったままです。それは園田啓に感情移入したからで、彼の報われない恋心に足を掬われました。どちらか一方に肩入れしてもいけない。どちらの心も救わないといけないのです』

「はい、ありがとうございました。また何かございましたらご連絡差し上げても」

『構いません。どうぞ、あなたの仲間が助かりますように』


 結末を変えずに、登場人物のイシを叶える。それにはやはり高い対話能力と共感する力が必要だ。しかし、事の本筋から逸れている。「本」のイシを叶えることは潜本士にとって大切なことだが、今回一番大切なことは天国を救い出すことだ。五体満足で。おまけに三日月も無事に帰れるようにする。それがオレの仕事だ。オレはオレの仕事を果たそう。

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