The beginning and end of the world

 気が付けばここは病院だ。俺たちはある部屋にいる。少し肌寒いが温かい陽射しが窓から入ってくる。

 真っ白い壁に囲まれて老婆が一人息をしている。その目は虚ろでとろりとしている。ああ、可哀想に。もうすぐお迎えが来るんだろう。ツユクサが俺の手を掴み、老婆の胸に自分の手を当てた。


『私もしわくちゃなおばあちゃんになった。夫、子供や孫にも恵まれた。私の人生は幸せなものだった。でもずっと後悔してる。あの日、気持ちも本当のことも何も告げずに嘘をついたこと。夫にも言えないその後悔は年を経るごとに強くなっていった。未だ過去のこととは割り切れない。もし叶うなら彼に告げたい。好きであったと』


 俺の心に情報が流れ込んでくる。処理しきれない冷たい感情の波に硝子細工はさらわれていく。

 老婆の瞳に光る滴が見え、そのあとに光を失った。機械の音が鳴るとニンゲンが駆けつけてくる。ああ……この人は……そうか。天田うしお、なんだ。これが彼女の後悔なんだ。


 場面が紅藤色のもやに包まれて変わる。大きな眼鏡をかけた青年がいる。青年は板状のものをいじりながら歩いていた。信号にさしかかった。だが、その信号は赤だ。「危ない」と俺は声を出そうとするが、音を発せない。トラックがすさまじいスピードで迫ってくる。俺は目を閉じることができなかった。青年の身体は人形のように宙にとんだ。俺たちが近づくと血に塗れて力のない身体に幽かに光が灯る。ツユクサは俺の手を彼の手へと置いた。


『きみと一緒に歩みたかった。きみと笑い合いたかった。あの梅雨の晴れ間、きみはぼくのうでをすりぬけた。本当のことも気持ち何も告げず、はぐらかしたままで。思い出したのはきみの困ったように笑う顔を思い出す。きみに想いを受け入れて欲しかった。できないことはなんとなくわかっていたけど。きみと過ごした季節は本物なんだから、嘘をつかないでよかったのに……あーちゃん』


 眼鏡の青年も徐々に光を失っていき、やがて胸の動きが完全に止まった。この、たった今旅立った青年が、園田啓……なんだ。


 また場面が変わる。今度は暗闇のなかだ。きっと行間に戻ってきたんだ。ツユクサは静かに、しかし強い口調で言葉を発する。

「これが、彼らの後悔と願い。あの世界の結末は変わらない。うしおと啓はこんな死に方をする。でも、私は変えられる。せめて、彼らの無念を晴らしてやりたい。それが私を生んだ遺志への手向けだ」

「俺も、協力したい」

 おかしい。目がなんだかしょぼしょぼする。俺も歳をとったものだ。きっとドライアイだな。

「それにはここから出れないといけない。でも君はあの時点のうしおに共感してしまった。それではここから出れない。アマクニのイシは今迷子なんだ。もう一度イシを取り戻さないといけない」

「俺の意志はここにあるぞ」


「そうじゃない。君の精神はここにあるけど、イシがないんだ。お迎えコースケが来るまでここで待つか、自力でイシを取り戻すしかないんだ」

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