間一髪

 あ、あ、危なかった……。あと一歩で三日月が喰われるところだった。【No.1224】ツユクサと手を繋ごうとしていた。「本」のイシと共鳴することはとても危うい。それは自己の心を同化させて、自らを「本」の贄にする行為に等しいのだから。はあ。心臓がまだ激しく波をうっている。固く握りしめていた三日月の石はオレの体温と同じ温度になっている。おそるおそる開いてみれば、そこには小さな優しい光があった。

 開いていたページに蛍のような光を放つ三日月の象徴紋が浮かび上がる。三日月の象徴紋は人魚マーメイド。人魚は自己犠牲の怪物けものであり救いの象徴でもある。感受性の異常に高い彼は精神接続ダイブすると誰かの感情を「受信」して王子様に恋をして自分の心に取り込み陸に上がり同化してしまう海の泡となって消えることがある。本人はそれをとても気にしているようで、天国に自分の石の欠片を預けているくらいだ。あの石は砕きすぎるとどんどん自己が希薄になるというから気を付けるよう言っておかねば。そういえば以前、3人で飯を食ったときには酔っぱらって半泣きで「自分の感情と心の所在を確認したい」って訴えていたな。天国に頭をなでられてそのあとすぐに寝てしまったが。もしかしたら彼にとって「自己」とは非常に曖昧なものである可能性もある。その辺も考慮して業務援助サポートすべきだ、うん。


 ひとまず難は去った。このまま全て見ていたいが、あまり干渉しすぎるのも、邪魔になるからな。オレはオレのなすべきことをしよう。引き出しから折り畳み式のブックスタンドを出すと【No.1224】をそこに置いて、握っていた三日月の石の欠片をハンカチに戻す。目の前にある【No.1224】の複写物と各館からの報告書の山。どっちが優先か。報告書の山は少し読んだが、病んだ潜本士の証言やらが多くて今のところそれほど目新しい情報は入ってこない。つまり、複写物を先に片付けた方がいい。オレは【No.1224】の複写物を手に取って、目次をもう一度確認する。二部・四章と結構長い。三日月が精神接続する前に少しだけ読んだが最初の方は冗長な風景描写が多く、園田啓なる人物は出てこなかった。この物語は天田うしおの頭上にカメラがついているように書かれている。完全に彼女の目線かと思えば、そうではない。天田うしおの感情描写がなされていないのだ。バックボーン過去もまだわからないし、いまいち何を考えているかが分からない。普通の女子高生に見えるが、おそらく「普通」ではない。「普通」であれば、200人も潜本士ダイバーが喰われることはないのだから。では、読み始めよう。オレは眼鏡を直して複写物を手に持つ。最初の方は大体頭に入った。続きから読むか。オレンジ色の付箋が貼ってある紙に目を落とした。


 ―うしおは最初に入ったグループに馴染めなかった。独りで行動していたうしおはやがて一部の女子から徐々にハブられていった。数学の授業、席は決まっていなかった。うしおは後ろの方に座る。桜の木はもうすでに緑が葺いていた。ふと隣の机を見ると、黒いワイシャツを着た男の子が座っていた。

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