Book will and mysterious man

 驚いた。まさかこんなところ行間にも雨が降るとはなあ。ちょっとの時間だったが、雨粒がめちゃくちゃにでかくて身体がずぶぬれだ。靴音には歩けど走れど追いつけないし、勘弁してほしくなってきた。でも、さっきよりは、そこそこ近くなってきた気がする。音は確実に近くなってきてるし、薄っすらとカタチが見えてきた……気がする。ほんのちょびっと疲れた。うん、でも、もしかしたら「本」の登場人物に会えるかもしれないし、あの音についていけば、どこかしらの場面に出るかもしれん。やっぱ歩くしかないわ。

 

 俺が惰性に任せてうだうだと歩いていると、急に音が止まった。さっきまで見えてたものも見えない。まるっきり闇のなかだ。

 嘘だろ。やめてくれよ。せっかく手にした希望の光が手のなかからするっとなくなった気がした。ちょっと心が折れたぞ。思い起こせば、くだらない人生だった。なんでも努力しないでできるからと自分の勘には胡坐かいてさ。トモダチはいたけど、なんだか自分の表面しか見てくれなかった。だから、寂しくなって悪戯すればそれはそれで受け入れられて終わる。誰も俺の心に踏み込んでこなかった。あー寂しい。もう、【No.1224】に喰われていいかなあ。でも、誰かがきっと俺を探しに来ているんだ。そいつの努力は無駄にしちゃあならないが誰が来ているんだか。きっと、誰が来ても俺が天田うしおあのこに共感した理由なんてわからない。絶望に近い感情に呑まれた俺の身体がほどけていく感じがする。精神力には自信があったが、こんなほんの少しのところで折れるとは思わなかった。


 さよなら、ごめん、ミカとヤヨちゃん―と思い、地面に寝転がる。闇に身をゆだねようとしたが、それはいつの間にか目の前にいた赤い髪の男によって阻まれた。俺の心はささくれている。集中を途切れさせた男に悪態をつく。

「なんだよ。ロン毛。俺はこのまま、溶けていくんだ。邪魔をするなよ」

 男は長い毛を左手で梳く。にこりともしない血色の悪い謎の男ロン毛は俺の手を掴んだ。

「あなた、喰われる、危ない。助ける」

「なんだよ。俺にあんたは関係ないだろ。あんたもきっと迷子なんだろ。自分にことだけ何とかしろよ」

 そうしたらロン毛の野郎は首を傾げた。少し考えたような様子のロン毛は重低音の甘い声を出した。

「迷子……。わからない。気が付いたらここにいた」

「おい、じゃあてめえは本のイシか」

 「本」のイシなら都合がいい。さっさと喰ってくれ。しかし、ロン毛は首を横にゆっくりと振ると俺の身体に手を回し、無理くり俺を立ち上がらせた。

「本のイシ……ツユクサとは違う。ツユクサ、女。俺は俺」

 滑るようにロン毛は動くが、固い靴の音がする。そうか、こいつだったのか。俺が追っていた奴は。しかし、不思議な男だ。ロン毛のおかげで、俺の先ほどまでの「自殺願望」はどこかに消え失せていた。

「じゃあ、おめえの名前は」

「わからない。ここに来た人、好き勝手呼んでいく。でも、ロン毛は好き、じゃない。別の名前で呼んで。そういえば、あなたの名前は」

 かーっ。なんて野郎だ。俺がせっかくつけたあだ名を却下するとは。タイプライターで打ったような抑揚のない声でも好みを伝えるときは少しメリハリがついたぞ。つまるところ、奴にも「感情」はある。でも何というか。こいつは「本」の登場人物なのか。もしかしたら、登場人物の深層意識なのかもしれない。ごちゃごちゃ考えても仕方ねえ。後で考えるか。俺はわざとにかっと笑って自分の胸をたたく。

「おおそうかい。俺は天国っていうんだ。じゃあ、俺様がとっておきの名前をつけてやるぜ」

「……そう。楽しみ。5つ数えるから早く決めて。5……4……」

 なんだこいつ。表情筋は死んでいるが意外と茶目っ気があるじゃねえか。名前ねえ。天国あまくに……天国てんごくと地獄……地獄だと救いがねえなあ。うーん。なんでこいつの名前に悩まねえといけねえんだ。もういっそ煉獄……いや、煉獄の方がまだ救いがあるな。

「2……決まった、かな」

「おお決まった。レンゴクっていうのはどうだ」

 謎の男ロン毛は、何度か「レンゴク」と口に出す。くう、いい声してるじゃねえか。機械みたいで抑揚はないけど、こいつテレビに出たらそれなりに人気出るぞ。ちょっと経ってから耳に馴染んだのかわからねえけど、頷いた。


「俺、レンゴク。天国、よろしく」

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