第5話 お互いの名前

「ひー・・・ふー・・・みー・・・あら、これだけあったら、この町で一番の宿に泊れるわね!私、オレオーレ・三ツ星宿って、一度泊まってみたかったのよ!じゃあ、ここはチェックアウトでよろ~!」


青い髪の女の子は革袋の中身を数えると、にこにこと機嫌良く女主人に手を振って受付を離れた。どうやらかなりの額が入っていたようだ。


俺はこんな危険極まりない人物には関わりたくない一心で、テーブルの下に隠れてやり過ごそうとした。


そもそも俺とこの女の子には面識はない。それに俺は宿の人間ではないし、女の子から隠れる必要はないのだが、さっきの容赦なく暴行を加える姿が恐怖過ぎて、目を合わせる事も恐ろしかったのだ。


日本には目があっただけで、なに見てんだよ!とか言ってくる輩もいる。

この女の子がそうではないという保証はないし、躊躇なく人を殴り飛ばす姿が、妙に慣れているようにも見えた。絶対この女の子はヤバイと俺の細胞が警告を発している。


触らぬ神に祟りなし!

頼むからさっさと出て行ってくれ!


しかし俺の願いは神には届かなかったようだ。

異世界に神がいるのかは分からないが、やはり一生のお願いを何回もしていると、神頼みは聞いてもらえないのか?


「ねぇキミ、そこで何してんの?」



背後からかけられたその声に、ゾクリと背筋が震えあがった。

な、なぜだ?金を貰ったんだから、そのまま出ていけばいいじゃないか?

なんで俺にかまう?


「あれ?聞こえてないのかな?ねぇねぇ、キミだよキミ、なんでテーブルの下にいるの?」


背中をつつかれる。

この硬い感触は指ではない。多分、たった今女主人と用心棒の男を殴り殺し・・・おっと、殴り倒したあの忌まわしきスティックだ。


「・・・ねぇ、なんで無視するのかな?」


女の子の声が一段低くなり、周囲の空気が冷気を帯びる。


ヤ、ヤバイ!このまま黙っていれば、変なヤツだと思ってどこかに行ってくれるかと思ったけど、どうやらこの女の子には逆効果だったようだ。



「す、すみません!え、えっと・・・あ!ゆ、床の木目を数えるのに夢中になってしまいました!決して無視していたわけではございません!」


俺は振り返ると同時にテーブルの下から飛び出して、腰を直角に折り曲げて頭を下げた。プライドもクソもない!俺は女主人のように顔をパンパンに腫らしたくないし、用心棒の男みたく顎を割られたくない!頭を下げて助かるなら、なんぼでも下げてやる!



しばしの静寂があった。

俺は頭を上げる事ができず、ずっと下を向いたまま判決を待っている。

ほんの数秒が5分にも10分にも感じる、極限に圧縮された緊張の果てに耳に届いたのは、心底おかしくてたまらないという笑い声だった。


「・・・ぷっ!あはははははははははは!も、木目って!なにそれ意味わかんない!キミ頭大丈夫!?あはははははははははははははは!」


思わず顔を上げると、青い髪の女の子は目に涙を浮かべながら、お腹を抱えて大笑いをしていた。


「え・・・えっと・・・」


「あはははははははははははははは!そ、それで?も、木目は何個だったの?」


「あ、えっと・・・・さんじゅう・・・に?」


え?なに?この子なに聞いてきてんの?数?どうでもよくない?

て言うか、俺そんなの数えてないし。その場しのぎの嘘に決まってんじゃん。

予想外の質問に俺は口ごもってしまったが、とっさに適当な数字を口にした。



「・・・32?」



32というたまたま頭に浮かんだ数字を口にすると、女の子の笑いがピタリと止まり、じっと俺を見つめてきた。


俺も女の子から目が離せないが、それはこの青い髪の女の子の容姿が良いからではない。怖いからだ。

山で熊に会ったら、眼を離さずに後ろ歩きでゆっくり逃げろというが、それと同じだ。目を離した隙に顎を割られたくないからな。


ごくりと生唾を飲み込む。

い、いったいなんだ?どうした?見てないでなにか話せよ?

そう思った時だった。



「あーははははははははははは!32!?木目が32!?あ、あんた馬鹿!?

テーブルの下で何してるのか思ったら、木目を32まで一生懸命数えてたの!?

馬鹿!絶対馬鹿よ!お腹痛い!あんなまり笑わせないでよ!」


「あ・・・はい、すみません」


「謝ってる!あはははははははは!木目数えて謝ってる!あははははははは!」


なんとなく謝ると、女の子はさらに大笑いしてとうとう立っていられずに座り込んだ。そしてそのまましばらく笑い続け、落ち着いたのはそれから5分は経ってからだった。



もうこの子やだ。切れ長の目がちょっとキツイ印象だけど、全体的には清楚な見た目だし、清潔感のある白いローブが聖職者っぽくも見えるけど、俺には完全に危ない子にしか思えない。


もう野宿でいいから、一秒でも早くここを出たい。

そう思っていると、やっと笑いの治まった女の子がゆっくり立ち上がって、目尻の涙をぬぐいながら、口を開いた。


「はぁ・・・はぁ・・・あー、やっと治まった。ふぅ・・・ねぇ木目、私はエルファって言うんだけど、今ちょっと時間ある?」


え・・・?

なに、木目?今俺の事、木目って呼んだ?なにそれ?

いや、それより何?時間ある?俺になにする気?いやいやいや!嫌だって!


「あー、えっと、その・・・これから行列のできるラーメン屋に行こうかなって・・・」


「は・・・?何訳の分かんない事言ってんの?ラーメン?なにそれ?食べ物?お腹空いてんの?」


とっさにうまい言い訳が思いつかず、つい日本の感覚で話してしまった。

ラーメンはこっちにないのか?ショックだ。俺の好物が一つ消えた。

いやいや、違う違う!それよりどうする?青い髪の女の子、エルファっていったっけ?目が座ってるぞ。早くなにか言わないと!


「あ、う、うん!そ、そうなんだ!俺お腹ペコペコなんだよ!だから外で何か食べてこようかなって・・・」


取り繕った言い訳だが、とりあえずここから逃げるためにそう話すと、エルファは俺の腕を掴んだ。


「そう、なら臨時収入が入ったから、私が奢ってあげるわ。行きましょう木目。ここの向かいに、行列のできない串焼き屋があるのよ」


「・・・・・え?」


俺に拒否権はないらしい。

女の子は俺の話しを一切聞かず、俺を引きずるようにして外へと連れ出した。


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