第3話 蛇

宿屋の受付で、男の子のお母さんから一泊100ゴールドを要求された。

あまりの衝撃に、俺は時が止まったかのように固まってしまい、ビクリとも動く事ができなかった。


「さぁ、お兄さん、100ゴールドもらおうかい?」


ずいっと右手を出してくる男の子のお母さん。

ぎらぎらした目には金への執着の光が宿り、真っ赤な舌がぺろりと唇を舐めてまわる。


最初に受付をした時には、穏やかそうな人だと思ったがとんでもない。

金を出せと、手を出して迫って来るこの重圧はなんだ?


さぁ!さぁ!とぐいぐい詰め寄られる。あまりの圧力に俺は一歩後ずさってしまった。


高校生の俺にはよく分からないが、ふと頭に浮かんだイメージがある。


綺麗なドレスや装飾品で着飾った女の人が、酒で男をベロベロに酔わせて、

高額の請求をする店だ。

二時間飲み放題で五千円ぽっきり!でもフルーツ盛り合わせは別途10万円です!


ぼったくりバー!


ここは異世界ぼったくり宿だ!


「お、俺は10ゴールドって聞いてきたんです。話しが違います!そんな金払えない!帰ります!」


俺の全財産が100ゴールドだ。それをここで使い切るなんてとんでもない!

しかも相場の10倍!こんなぼったくり宿に金を使う気もない。


前金で請求された事はむしろ幸運だった。

宿泊した後では、サービスを受けた事になり面倒にだったが、今なら俺は泊まる前だ。


踵を返して宿を出ようとすると、俺の背中に宿の女主人の声がかかった。



「おやまぁ、帰っちまうのかい?ちょいと待ちなぁ~~~~~」



それは粘っこく、全身をナメクジに這われるような、身の毛がよだつおぞましい声だった。


油の切れた絡繰り人形のように、俺は固い動きで首を回す。


「な、なんですか?」


振り返った俺に、女主人はカウンターに肘を着きながら、一枚の紙をひらひらと振って見せる。それはさっき書いた受付表だった。


「ここよここ、見てごらん?あんたさっきサインしたよね~~~?」


にちゃりとした唾液が糸を引き、下卑た笑みを浮かべる女主人の顔に、俺の背に悪寒が走る。嫌な予感がした。


なんだ・・・?この胸騒ぎはなんだ?


言いようのない不安、俺はなにかとんでもないミスをしたのではないか?


まるで俺の運命を握っているような、その一枚の紙を取ろうと手を伸ばすと、女主人はサっとその手を引いた。


「だめだめ、大事な契約書だからね。渡すわけにはいかないねぇ~、ここよここ、ここだけ見てくれる?」


トントンと、紙の一番下を指差す。そこにはよく見ないと分からないくらい小さな文字で、ある一文が記載されていた。



『この契約書に名前を記載した時点で、宿泊の有無を問わず支払い義務が発生するものとする』



「ッ!?なっ、にぃぃぃぃぃーーーーーーーーーッ!?」


絶叫!俺の人生でこんなに叫んだ事は初めてだ。

気が付いたら喉が裂けんばかりの声を張り上げていた。


つ、つまり、泊まらなくても金を払えと!?


「ご理解いただけたかしらぁぁぁ?あたしゃ別に泊まってもらわなくてもいいんだよぉぉぉ?でもねぇ、払うもんは払ってもらわないと困るねぇぇぇ?」


ぎらぎらとして、獲物を見つけて丸呑みするような獰猛な目付き。


蛇・・・!この女は蛇だ!



「あ~らら、固まっちまったのかい?それでどうすんのさ?自分で金を出せないんなら、お手伝いしようかね?」


女主人が指をパチンと鳴らすと、俺の背後から屈強な男が二人現れた。

俺より頭一つは背が高く、筋骨隆々、まるでプロレスラーのような男達だ。


「ヘイ、坊主、宿代100ゴールドだ。しっかり払ってもらおうか?」


「兄ちゃん、契約は守らねぇといけねぇな?でないと教育的指導をしなきゃいけねぇ」


こ、こいつら、この宿の用心棒みたいなものか?

そしてこの女主人、徹底してやがる!この二人がいるから、ここまで強引な手段が取れるんだ!


高校生の俺がこんなゴツイ男達に勝てるわけがない。


お、恐ろしい・・・

俺は異世界に来て初めての恐怖に、全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出した。



「あらやだ、この子震えてるよ。いやねぇ~、まるであたしらが虐めてるみたいじゃない?勘違いしちゃ駄目よ?あたしらは、ただ契約を守ってるだけ。支払いを渋ってるあんたが悪いのよ?あたしらは代金さえ払ってくれればそれでいいの。どう?あんたも教育的指導を受ける前に、支払った方がいいんじゃないかしら?そうすればみんな丸くおさまるのよ?」


追い詰められた俺には、もうあらがうだけの力は残っていなかった。

観念して100ゴールドを払うしかない・・・そう諦めかけた時だった。



「ちょっと!どうなってんのよこの宿!スープに虫が入ってたわよ!」



ドンドン!と、階段を強く踏みつけ、大声を上げて二階から降りて来たのは、

青く長い髪をした小柄な女の子だった。

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