第5話 後悔
「人は殺しちゃだめなんだよ」
放たれた矢は、戻ってこない。彼の行いもまた、同様に。
しばらくの沈黙が流れた。彼も責められることを覚悟していたのか、弁解を口にすることはなかった。ただ罪を認めるように、そっと私の頭に乗せている手を下ろし、水の中に沈めた。
「警察から聞いたんだな」
彼は、優しい声色でそう言った。
「うん、全部聞いた。金髪の中学生が、塾帰りの女子中学生突き落としたって」
「……そうか」
「どうせリョウコに煽られて、弾みで手出たんでしょ。あいつはたしかに嫌な奴だよ。靴に画びょう入れてきたのも、教科書ずたずたにしたのも、給食に洗剤混ぜてきたのも、全部知ってるよ」
いじめのきっかけなんてなんでもよかったのだろう。彼女のパシリを断ったこととか、テストで私だけが満点を取っていたこととか、リョウコの片思いの男子からバレンタインチョコをもらったりとか。はたまたうちが父親が不倫して逃げてしまった母子家庭だったりとか。理由を探そうと思えば、いくらでも見つけられた。
職場でいじめに抵抗した母が、さらにつらい思いをしていた背中を知っていた私は、心を殺し、すべての仕打ちを受け入れていた。
いじめられた母みたいになりたくなくて、がんばってたのに。それが裏目に出て、逆にいじめられる。情けない話だった。
「そうか」
せめて言い訳くらいしろよ。口に出す気力もわかず、内心で悪態をついた。
どんな形であれ、人の命を奪った事実は変わらない。ただ、彼をこんな目に合わせてしまった責任は、誰にあるのだろうか。
「でもね、殺しちゃダメなんだよ」
それ以上の思考を停止させたくて、倫理上の問題点を彼に突きつける。彼をひっぱたくべきだった。
だけど私は靴の紐を結ぶ手を止めたくないから、ひっぱたくのはやめた。
その代り彼を抱きしめたいと思った私の頭は、少しおかしかったのかもしれない。
きっとアルコールのせいだろう。
「いました! 容疑者と女性……たぶん中学生くらいです! 確保します!」
若い警官は、私と彼と亀をライトで照らす。満月が注いでくれた、優しい魔法を打ち消すのに、その光は十分なくらい眩しく、冷たかった。亀は光におびえ、彼の膝から滑り落ちた。彼はおとなしく手を挙げる。私は何もできず、ただ下をうつむくだけだった。
それから彼は連行された。彼が最後にどんな顔をしていたのかは覚えていない。
長い取り調べを、個室で散々受けることになった。
その時の私はいっぱいいっぱいで、ただ彼は自分のためにやった。だから許してほしいと叫び続けていたのは朧げに記憶にある。アルコールのせいもあってか認識は曖昧だ。
次の日にはニュースになっていたが、学校でどんな憶測が飛び交っているかわからないから、学校には行かずに一人でおばあちゃんの家に引っ越した。
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