28

 藍葉が打席へ向かうと、紫桃は、らっしゃい!、と、寿司屋のように出迎えて来た。彼はこれを無視して、守田を睨め付ける。

「あー、そういう態度取るんだー、」元気な魔王は、戯謔を止めない。「流石に藍葉君なら、守田さんの持ち球は全部知ってるよね? 大サーヴィスで、リクエスト聞いてあげても良いけど、どれ投げて欲しい? ストレート? カーヴ? スライダー? シンカー?」

 無視して、藍葉は守田を睨め付け続ける。

 肩を竦めてから、紫桃がサインを出す。

 初球、投ぜられたカーヴを、守田が振りかぶってからストレートに山を張った藍葉は、遺憾なく空振った。

 気合入ってるね、との揶揄いを、無視して、藍葉は守田を睨め付け続ける。

 二球目、投ぜられたスライダーを、守田が振りかぶってからストレートに山を張った藍葉は、遺憾なく空振った。

「あーあ、」ナイスボール!、と投げ返してから、「馬鹿みたいに振っちゃって、自棄やけになった?」

「馬鹿言えよ、……茶畑の遺志が、懸かってるんだ。自棄になんかなれるか。」

 話題が危殆になってきたので、紫桃はここから重力波で返して来た。

志って、……貴方さ、別に私は茶畑のこと殺してないし、仮に殺していたところで、彼女や藍葉君にとって、此処での生死はどうでもいいんでしょ? というか、なんなら、そっちの方こそ先に私を殺そうと、」

 藍葉も、念じるだけで言を返す。

理窟りくつじゃない。とにかく、あまりに多くが懸かっているんだ。」

 三球目、投ぜられたシンカーを、守田が振りかぶってからストレートに山を張った藍葉は、なんとかバットを当ててファールとした。

 紫桃が、再び肩を竦めつつ、

「その割には、ぶんぶんしてくれること。助かっちゃうなぁ。」

「思いきって行くって、決めたんだ。」

「……それって、やっぱ自棄じゃないの?」

「いや、違う。」

「へえ?」

「お前と同じだよ、」

「……は?」

「お前と、同じだ。」最早、藍葉の口から飛び出ていた。「……僕は、僕自身が打てなくとも、丹菊が打ってくれることに賭けたんだ!」

 四球目、投ぜられたストレートを、守田が振りかぶってからストレートに山を張った藍葉は、遺憾なく、左中間へ弾き返した。

 紫桃がマスクを弾き取る気配を感じつつ、藍葉は全力で駈け出す。

「レフトー!」

 誰かが、叫んでいた。左翼手赤根は最早、打球ではなく、フェンスへ懸命に向かっている。

 旨くいけば、三塁打か?

 そんな、疾駆する藍葉の願いは、最高の形で裏切られた。

 幾千の生涯を経た彼の、プロ初アーチが、紫桃のそれを髣髴とさせる際どさで、橙一色のスタンド最前列へ突き刺さる。

 只管ひたすらに駈け、全く見上げていなかった彼は、駭然と、塁審の回った腕を見た。懐疑に陥った彼は、巨人ベンチや、その手前の次打者円を見やったが、そこでは、確かに、狂喜が爆発しているのである。

 レフトスタンドからの大歓声を、漸く、彼の耳は知覚した。

 漸く突き上がる拳。漸く発露する欣然。漸く迸る勝鬨。彼は、あれほど遠く見えた三塁を悠々と蹴飛ばし、コーチと手を打ち合わせ、そして、本塁へ向かった。

 楽天戦で、彼女にランニングホームランを打たれた島の、堂々とした悄然。それを同じものを本塁手前で呆然と演じている紫桃を無視しつつ、彼は、ベースを踏み抜いて、輝かんばかりに笑んだ丹菊に両手を捕まえられる。紫桃の初打席の時と同じ、保育士と園児のような、両の手を繫いだままぐるぐると回るパフォーマンス。彼は、これが、打った方の意志ではなく、出迎える丹菊に強いられていたのだと、ここで初めて知ったのだった。

 引っぱたいてやるから、早く来い、と、野蛮な歓迎の雰囲気に莞然と充ち満ちているベンチへ向かおうとした、彼であったが、

「藍葉ぁ!」

 彼が振り返ると、紫桃が、顔だけを此方へ向けていた。

「藍葉、」躰も彼の方へ直して、少し黙った魔王だったが、矢庭に、と、不敵に笑むと、

「待ってなよ、……この裏で、っ潰してやるから。」

 昂揚した藍葉は、一旦鼻で笑ってから、お前の打席、もう回って来ないだろ!、と吠え返したが、

「別に――藍葉君も言ってたけどさ――私でなくても、良いんだ。」マスクを拾いつつ、「最高のチーム、横浜の、最高の打線が、お前等を打っ潰す。」

 紫桃はそれだけ言うと、尻で土汚れを拭ってからマスクを被り、ぷいと前を向いたのだった。

 丹菊と藍葉は、一瞬、紫桃がまだ何か企んでいるのかと顔を見合わせたが、しかし、周囲の御要望に堪えかね、それぞれ、打席とベンチへ向かった。藍葉は、チームメイトによって、数多の生涯の中で一番手酷く打ちのめされる。

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