23

 そんな意気軒昂とした雰囲気に、敵地での六連戦を強いられている巨人自体も乗じたがっていたが、しかし、翌日十月十六日は、昼過ぎから霖然りんぜんとした悪天となったのである。ベースが流されそうなほどの陰惨な黒雨に、それぞれの陣営は、各〻の勝手な情感へ存分に浸ることになった。殆どの野球ファンは、この二球団の、或いは四冠王と盗塁王という輝かし過ぎるルーキー二人の、結着が先伸ばされたことでやきもきした日曜日を送り、対して、この日のチケット、つまり、どうせ横浜が全勝か四勝一敗くらいでさっさと勝ち進むので無駄になる筈だった最終戦のチケットを折よく獲得していた者らは、横浜球団のチケット発売概要を読み直して――或いは初めて真面目に読んで――、それが繰り越されたりせずに単に払い戻されることを知って叫喚し、再び過酷なチケット争奪戦へ身を投じていたのである。

 こんな周囲とは対蹠的に、野球で戦う当人らは比較的粛然とした週末日を迎えていた。勿論、穏やかとは言っても暢気に過ごしていた訳ではなく、その静かさは、出征の前日に父母と杯を交わすような趣のものではあったが、とにかく、例えば連敗中の横浜に関して述べれば、超絶な不調を迎えた紫桃を如何するか鳩首して考えられるなど、値千金の時間を得られたのである。

 そして巨人についてはもっと直截に絶好で、つまり、彼らの希望である丹菊の肘や肩を休ませることが出来たのだった。そんな名目で早々と屋内練習から解放された彼女は、この大事な一日、決戦の前日に何をすべきか考えた末、上手く首脳陣を言いくるめて藍葉も引っ張り出し、例の四人での会議を目論んだのである。

 彼女の深紅な車に全員乗り込んだ後、気合を入れ直したいと述べる丹菊が、例の町田駅近くのカラオケボックスを会議場所に選ぼうとして、未だに検挙を恐れる茶畑から全力の抵抗を受けてから、しかし藍葉のアパートは狭いし、逆に丹菊の部屋に彼を連れ込んでパパラッチされたら面倒で、そして茶畑の家は永らくの逃亡生活によって人を招ける状態でないと情況を整理したところで――別に実際には彼らの住居に限られなかったのだが、恰も――消去法的に、黄川田の家が選ばれたのだった。

 ピーチデイジーの凹凸コンビと同じく、町田駅の周辺、ただし真性の神奈川県となる相模原市に生活する黄川田の、アパートと呼ぶべきかマンションと呼ぶべきか悩ましいクリーム色の建家の二階に位置する一室は、一人で過ごすには明らかに大き過ぎており、同棲かルームシェア後に物別れでもしたかのだろうかと、訪ねた藍葉に訝らせる。

 取り敢えず皆で玄関へ通されてから、見回す丹菊が、

「歌奈さぁ、いや、そりゃ何処に住もうがアンタの勝手だけど、いい加減引っ越さないと家賃で金無くなるんじゃないの? 私が言うのもなんだけど、アンタにそんな大して払ってないでしょ?」

 黄川田は、上半身だけ突っ込んだ居間の、何かをがちゃがちゃ片付けながら、

「んー、まぁ、他にも収入有るから大丈夫。来年は、詠哩子の年俸も上がるだろうしー。」

「……別に、アンタの給料はそれに比例しないけどね!?」

 使命の都合上、特にこれまでので恋愛経験を得ることのなかった藍葉は、女性の一人暮らしの家とはどんな場所だろうかなと、下世話な興味も覚えてしまっていたのだが、しかし、いざ黄川田が、さあどうぞと、引き戸を開けると、ぽかんと固まってしまった。

 四畳半程度に見えるそこの、目の前の壁には、白地に翠玉色の縦ストライプ入りで、胸許に「KAMAGAYA」と大書きされた同一デザインのレプリカユニフォームが、三着ばかり整然と掛かっていたのである。それらの一々には誰かしらのサインが書き込まれており、存在意義を見出し得たので、そこまでなら藍葉もさして驚かなかったかも知れないが、その三着を先陣とするかのように、左右へ十を越えるユニフォームの隊列が、所狭しと重なりつつ並んでいたのだった。左手すぐのものは、両脇腹に白地を残しつつ、中央部分は鎌ケ谷市らしい翠玉色とされているので、その細い黄緑が、飛蝗の背のようだと藍葉には感ぜられ、また、右手一番の、大部分が萌黄色で左肩だけ杉の赤身のような色をしている一着は、グラウンドの芝と土が表現されているのだろうと彼には思われた。

 客人三人はこの異様に目を剝き、これを受けとめた家主も首を搔いて気まずげにしていたが、気を使ったのかそれとも素直な吐露か、丹菊が「きもい。」と吐き捨てたので、あー酷い、と黄川田が笑いつつ、なんとか空気が繕われる。

 四方を、カメラマニアの黄川田手ずからのものらしい夥しい写真や、前述のユニフォームの大群に始まる種々の日本ハムグッズ、より言えば鎌ケ谷グッズに囲まれつつ、万年出たままだという正方形の炬燵テーブルに足を突っ込まされた藍葉は、元チームメイトである二人の、「もっとマシな部屋無かったの? アンタの見栄の為にも、」「いやー、ちょっと、ここしか人に見せられなくて、」「……これが!? これが、見せられる方の部屋!? なに、残りの部屋で鰐でも飼ってる訳?」という睦まじい会話を聞かされつつ、まるで、異教の洗礼儀式に巻き込まれたかのような居心地の悪さを憶えていた。

 ごほん、と、咳払いの真似をした茶畑が、

「さて、集まった訳ですが、……いや、この雨には助けられましたよ。ねえ? 黄川田さん、」

「ああ、そうそうそうです。」と呟いてから、怠惰に座したまま躰や腕を伸ばしてデジタルの一眼レフを引っ摑んだ黄川田は、それをがちゃがちゃと操作して写真を探し始める。

「いや、私、現地で試合観てたんですけどね、」

「あら、殊勝なこと。……枝音の泣きべそ顔、撮れてたら私にも焼き増してよ。」との、肩を竦めた丹菊の戯謔へ、

「あ、御免詠哩子。違くて、クライマックスシリーズじゃなくて、横浜東京戦のことでさ、」

「……いつの?」

「三河の引退試合。」

「ああ、あれ。……横浜党でもないくせに、ミーハーだねアンタも、」

「いや、大変だったよ。30点も取りやがるものだから――いや別に東京の投手が干上がるのは心底どうでも良いけど――まじで帰りがさ、家ついたの一時とかで、……おっと、見つけた。」

 黄川田が寄越してきたデジタルカメラの小さなスクリーンを、藍葉が丹菊と一緒に覗き込む。そこには、タッグアウトの中から隔壁へ寄り縋る、紫桃の姿が映っていた。

「一塁側の席取ってたの?」と、丹菊。

「うん。そんなことより、送って行ってみ。」

 そう言いながら、指をワイパーのようにすっすと宙で動かす黄川田に従って、丹菊が手動でのスライドショーを起こさせると、こま数の乏しいアニメーションのように紫桃が動き始める。彼女は、体を伸ばして、最早隔壁へ上体を乗せてしまい、行儀悪く腕をだらりと垂らすと、大口を開けたり閉じたりして見せているのだった。

 目線を上げた丹菊が、

「特に連写したってこと? これ、」

「うん。なんか、枝音が必死だったからさ。珍しいんじゃない? こういうの、

 だって少なくとも、河川敷で軟式やってる時の彼奴、一回も必死に声出しなんかしてなかったよ。ましてや、プロに入って超一流バッターになってさ、こんな健気なことする?」

 丹菊は、上げた目線を彼へ合わせつつ、

「藍葉、」とまで呟いてから、気が付いたように、「……に訊いてもしょうがないか。」

「うん、僕が居て丹菊さんが居なかった試合、今シーズン一回も無かったよ。つまり、君のがずっと彼女については詳しいでしょ。」

「そういうことだよね。で、枝音のことだけど、……まぁ、一回も見たことないなぁ、ベンチからまともに声出ししてるなんて。大抵奥にどっかり座って、気楽にしてる感じだったよね。侍らしているのは、三合とかラペスとかが比較的多かったかな、

 ……あれも、もしかして彼奴、三合とかの強打者が、内心自分へ平伏しているのを楽しんでいたりしていたのかな。」

「流石に、枝音の性格悪く思いすぎじゃない?」と黄川田。

「マジで屑だもん、彼奴、」

 こうして逸れに逸れた会話を、茶畑は、咳払いで戒めつつ、

「とにかくですよ、ダッグアウトから身を乗り出して、攻撃中の味方へ延々声を張り続けるだなんて、今日日物珍しいことを、あの紫桃が演じた訳です。」

「それが?」と、訝しげな丹菊。

「それが、じゃないですよ。

 いいですか、こうやって紫桃が珍しい真似をした結果、」茶畑は、恰も盗み聞きを憚るように瞳を左右へ走らせてから、「……あの日の横浜打線は、遙かな大洋時代に立てたセリーグ記録28点を更新する、30得点をあげたんです。」

 耳聡く緊張した、藍葉と丹菊へ、

「勿論、偶然かも知れないですよ? ……でも、もしかすると、紫桃が何かしら企んで、自分だけでなくチームメイトもバカスカ打てるようになるような、何事を仕組んできたりしてはいなかったか、……それが、私には不安に思われるんです。

 そして、もしもそうだとすれば、……明日の最終決戦、最早何も手段を選ばないであろう紫桃は、再び、その『何か』を演じてくるやも知れません。」

 丹菊は、寛然とした家主が煙草を取り出した手を、横目に引っぱたきながら、

「成る程。確かに、本当にそうならヤバいかもね。……でも正直、こんな直前に教えられても、対策も何も出来ないと言うか、」

 黄川田は、仕方なく、という体でシガレットケースを棚へしまいつつ、

「いや、難しいじゃんそこら辺? だって、まぁ詠哩子はともかく、藍葉さんに何か教えたりしたら、対面した枝音へ筒抜けになっちゃう訳だし。だから、出来ることなら私や茶畑さんだけでもうちょっと何か突き止めたいと思ってたんだけど、……まぁ捗々しくなかったと言うか、何も分からないままとうとう前日になっちゃったから、ここで、せめて情報だけでも、と思ってさ。貴方達なら、何か思いつくかも知れないし?」

「いや、……正直、さっぱりですね。」とまで述べた藍葉は、その後、露骨に物思う顔で沈黙した。

「何?」と、似合わない真似をする亭主を咎めるような口調の丹菊に急かされた、彼が、

「えっと、……今思い出したんだけど、紫桃、シーズン最終試合の翌日に、僕へ電話を掛けてきてたんだよね。」

「ああ、そんな話有ったね。……それで?」

「そこで、確か紫桃は、『七足りないのが最高だった』、とか言ってたんだよ。」

「どういう意味?」と即時反応した丹菊へ、さしはさまるように茶畑が、

「それって、打席数のこと?」

「うん。最終試合開始前で、426打席。つまり紫桃は、あの試合でもう七打席経験しないと、その長打率や打率、出塁率が公的なものにならなかったんだ。いずれにせよ、タイトルは取ったろうけどね。」

「……だからって、どうしたのさ。」と、丹菊が訝しげに漏らすのへ、

「紫桃はそこから、こんなことを続けたんだよ。……不足分が、半端な六打席でも、到底無理な八打席でもなく、絶妙な七打席だったからこそ、自分たちはそれを口実に東京を完膚無きまでに打ちのめせたんだ、……って、」

 一拍置かれてから、駭然がいぜんとした茶畑が発条仕掛けのように立ち上がろうとして、低い天板へ腿を打ち据えて呻きながら落下していくのを、黄川田は目の動きだけで眺めながら、

「つまり、やっぱそういうことだったんですか? 枝音は、その意志に応じて、打線を何か活性化出来ると?」

「でもさ、」丹菊は、茶畑のせいで派手にずれた天板を、その膂力によって座ったまま綽々と直しつつ、「そうだとすると、……なんで昨日までの横浜、私らに勝たせてくれたんだろ。いや、彼奴自体は、先頭打者本塁打一発以外はずっと掠りもしないで三振していたけど、それでも、一点か二点差の試合ばかりだったんだから、本当に打線の発奮が可能なら、そうして悠々勝利を拾っていただろうに。」

 この様な疑問に対し、藍葉は既に、仮説として一つの答えを思いついていた。紫桃の最終目的は、この世界を破壊しつつ、丹菊を世界の外へ連れて行くことだろう。しかし、それはそれとして、もしかすると彼女は、親友丹菊からの挑戦を――友としてか飼い主としてかは分からねども――堂々と打ち破ってやりたいとも思っているのではないか?

 もしもこれが正しいとするなら、しかし、別段朗報ではないだろう。つまり、三敗目を喫するまでは、あの町田で行われた、丹菊の悲痛な挑戦に応えるべく、正々堂々と自分の力のみで勝とうとしてくれていたのかも知れないが、しかし、最後の最後まで追いつめられた時、――つまり今や、紫桃は、その秘した刃をとうとう抜いてくるのではあるまいか?

 そう、疑懼を覚える藍葉を差し置いて、炬燵蒲団へ手を突っ込み、腿の打ち据えた辺りをさすっているらしい茶畑から、

「ところで、今日の集まりを呼びかけたのは丹菊さんだったと記憶しているんですが、すると、そちらからこそ、何かお話されたかったことが?」

「ああ、そうそう。……まぁでも、アンタらの話にも通ずるかな?

 つまりさ、明日の試合、万一枝音とか横浜が何かヤバい手を使うようなら、観客席からでも可能な限り妨碍して欲しいと思ったんだよね。例えば、サイン盗んで横浜に伝えている馬鹿が居たら、縊り殺して欲しい、とか。」

 蒲団から取り出した、赤児の頬のように赧らんだ手で顴骨を搔く茶畑は、表現が物騒になってしまう丹菊の悪癖を無視しつつ、

「まぁ他に出来ることも無さそうですし、お安い御用と言いたいところですけど、でも、……正直、あまり、役に立てそうにないですよねそれ。確率で言うと、無為に終わるのが99%くらいでしょうか、」

「実際、本当に万々が一の為の備え、って感じだったけどさ。でも、どうせ明日失敗したら私達全員ゲームオーヴァーなんだから、最後の最後にそれくらいすべきでしょ。」

 明日負けたら、全てが終わる。

 あまりに平然と吐かれたこの言葉、冷徹な指摘へ、藍葉が、

「丹菊さん、なんか、……落ち着いてるね。」

 彼女は、急に情況を思い出させられて凍りついた自分以外の三人を、見し、そして溜め息一ついてから、

「負けても私だけが生き延びられるから平気なんだ、……と思われると癪だからはっきり言っておくけど、私だって、死んでも負けられないんだからね。……やだよ、折角、最高の舞台で枝音と戦えているのに、何もかも失わされて、訳の分からない世界へ行かされるだなんて。……そりゃ、きっとそこでも枝音とは――どういう意味かはともかく――遊べるんだろうけど、でも、そんな、連れて行ってなんて、飼い猫みたいな処遇、絶対嫌なんだ。私は、このまま、この最高の舞台で、老いさらばえた婆になるまで枝音と戦い続けたいんだよ!

 なんなら、うん、私の闘志のが純然かも知れないよ? だって、アンタ達は正直追いつめられて、――具体的には、命や世界を失う恐れに駆られているんだろうけど、でも、私は、別に死ぬ訳でも無いのに、純に自分の意志と憤りで、あのクソ女をぶっ飛ばしてやろうと心から思っているんだからさ!」

 この丹菊の一哮りによって雰囲気の変わった部屋の沈黙を破ったのは、顳顬の辺りの髪を漫ろに指で巻き取る茶畑だった。

「詭弁か言葉遊びのようにも聞こえますが、……ええ、とにかく、私共も頑張らせて頂きますよ。」

 明らかに発奮されたくせにそう強がる茶畑へ、丹菊は指を一本立てつつ、

「そう、頑張ってもらわないといけない。なにせ、最早、そういう不正行為が起こる知れなくて、かつアンタらの努力によって阻止出来る知れない、という、二重の『かも知れない』に備える、虚しい万が一なんかではなくて、割と、現実的っぽいって言うんだからね。……枝音が、そんな、30得点の術を持っていると言うならば。」

 ここで控えめに、黄川田が、

「でもさ、……枝音の――茶畑さんの言葉を借りるなら――『神通力』、に因ってる気しかしない、その、打線発奮術へ、本当に私達が何か対抗出来るの?」

「知らないよそんなの。でも、出来ようが出来まいが、地を這いずり回ってでも、頭捻り過ぎて中風になってでも、頑張ってもらわないと困るんだ。」

「……まぁ、そうなんだろうね。しくじったら、私の命運まで終わりなんだから。」

 そう、神妙に呟いてから、うんうんと、何か自分の中の論理へ頷いていた黄川田は、矢庭にすくりと立ち上がろうとし、その風圧で閃いた鎌ケ谷ユニフォームに顔を叩かれて呻いた。

 一座に広がった笑いが収まってから、黄川田は、気恥ずかしげに顔を扇ぎつつ、

「えっと、とにかく頑張らせて頂きますよ。今から、ハマスタの下見に行って来ようかな。」

「……この雨の中? しかも、絶っ対、中入れないだろうけど、」

 そう丹菊に言われながらも、部屋を飛び出さん勢いで背中を見せつつ、

「風邪引くくらい上等! 少しでもスタジアムの構造窺えれば、何かヒントが、」

「あ、でもさ、」そう、刺すように叫んでから、茶畑が、「そもそも私達、明日のチケット持ってないですけど。だって、前のは払い戻しになりましたし、」

 これを聞き留め、なんとか止まろうと部屋出口の柱に手をえて、しかし結局顚倒した黄川田へ、丹菊はまるで、後逸を演じた野手に野次を飛ばすように、

「闇サイトでもなんでも使って、早く引っ張ってきなさいよ! そっちが無いと元も子もないでしょ!」

 立ち上がりつつ、

「あー、……じゃあ、茶畑さん一旦こっち来てくれます? ウチのパソコン、別の部屋に有るんで、」

 スマフォとかじゃ駄目で?、と言いながらも茶畑が黄川田を追ったので、藍葉と丹菊は奇怪な部屋に二人きりで残された。

「さて、……僕らは、どうする? ライブラリの、過去の世界での紫桃のプレイでも眺めて見る?」

 そう、暢気に提案した藍葉であったが、しかし丹菊は、おもむろに、黙然と、共にカメラを覗き込んだ時よりも密に身を寄せて来、そのまま顳顬の辺りを彼へ合わせるのだった。蒲団から立ち上ってくる黴臭さへ、彼の嗅ぎ慣れぬコスメティックな臭いが混じって、その不思議な混淆が、官能的なものを藍葉に感ぜさせる。

「藍葉、」先程までの毅然が嘘のような、嫋やかな声音で、「マジで、本当に頼むよ。……絶対、負けたくないんだから。」

 丹菊が、どうせ二人きりであるのにも拘らず、恰も人目を盗むかのように、少し熱過ぎる炬燵蒲団の中で突然手を握って来る。その、世界最速の球を投じたり、或いは、チームメイトの大丈夫だいじょうふを巫山戯てひっぱたいては本気で痛がらせたりする、彼女の手が、今、不安げに慄えているのを感じて、藍葉は、覚悟を新たにしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る