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 初日と同じく、見逃しはノーカウント、ホームラン以外はアウト、七アウトで終了というルールで行われたホームランダービーは、一回戦、まずは先攻の西武メシアが、七本の柵越えを放ってみせた。対戦相手の紫桃が昨日のダービーで不様な0本に終わっていたことも有り、充分期待の持てる内容である。

 拍手に迎えられつつ打席から降りてくる彼と入れ替わるようにして、紫桃が向かい、そして、藍葉もマウンドへ登った。

 まさかここに立つ日が来るとはな、と、用意が間に合わなかったという言い訳で横浜球団のユニフォームを纏っている藍葉は、青きスタジアムの投手板を踏みしめた。緑色の防禦ネットが目の前に聳え立っているので、本来の投手の視点ではないだろうが、とにかく何処か誇らしい気持ちになっている。

 右打席に構え、いつもの愛嬌は見せず、だからといって秘した嗜虐性も表さず、ただ静かに、射殺すような目で睨み付けてくる紫桃へ、振りかぶった藍葉は初球を投じた。すっぽ抜けた、顔へ行かんとする白球。起こりかける満座のどよめき。しかし紫桃は、僅かに身を捩ると、漆黒のバットを遺憾なく叩きつけた。

「下手糞!」と紫桃が莞爾と叫ぶのを後目に、打球はいつも通りそろそろと伸びて行き、レフトスタンド手前側に叩き込まれる。起こった大歓声の下、本塁打を打たれて喜ばしい感覚を覚えるという奇妙さに酔いながら、彼は紫桃へ取り敢えず詫び、そして、第二球を投じた。今度は、しかし、ワンバウンドしかけるアウトローのボール球。再び真剣な顔に戻っていた紫桃は、膝を畳むようにして、やはり左翼スタンドへ向かって掬い上げた。

「藍葉君、あんた、私のこと嫌いか!?」と紫桃が叫び、聞こえた範囲の者が笑う中で、漸くまともに入ったストライクも、これまた綽々と運ばれる。第四球、色気の出た藍葉は、彼なりの厳しいところ、インハイへ投じてみたが、悠々と振り抜かれ、再びド低めに投じてしまった第五球も同様に、レフトスタンドへ放り込まれたのだった。

 藍葉は、紫桃が自分に投げさせた意味を、漸く理解し始めていた。てっきり、餞別として去るチームメイトを晴れ舞台に喚んでやったという逸話で、彼女の可愛げを宣伝するつもりだったのだと思っていたが、どうも、違ったらしい。寧ろこれは、世ではなく、藍葉へのメッセージだったのだ。マウンド経験の皆無な彼が、その実力に応じた糞ボールを、どこにどう投げても尚柵を越されるという絶技を、絶望を見せつけるという、言わば、魔王の示威行為だったのである。

 こんな思考をた紫桃が、打席で真剣に藍葉を矯めたまま、口角を一つ上げた。傲岸な肯定。これに触発、或いは挑発された彼は、次々と全力球を投じて行く。自分の制球力ならば、とにかく全力で投げれば適当に散らばってくれるだろうという、彼の後ろ向きな期待通りに、顔の高さ、ど真ん中、インローのボール球と荒れに荒れた三球であったが、紫桃はいずれも完璧に振り抜き、八球連続本塁打のパーフェクト成績でメシアを下したのだった。

 拍手に包まれながらセリーグ陣営前で紫桃と合流し、脳天を軽くチョップされ、「打たれる為の球投げなさいよ、お馬鹿。」と周囲へ聞こえよがしに諭された彼は、矢庭に肩を紫桃から組まれると、囁き声で、

「ま、と言う訳でさ。私、打とうと思えば何でも打てるから、後半戦は首を洗って待ってな。」

 つい藍葉が、自分を鼓舞するように、「お前こそ、」と返すと、一瞬きょとんとしてから、身を離して大笑しつつ、

「まぁせいぜい頑張りなさいよ、にね。……どうする? このあと決勝も有るけど、そこでも打撃投手やりたい?」

「……いや、お腹一杯。」

「そ。じゃあ、お疲れ。こんな余興はどうでも良いけど、試合の方は、何故かホームラン三本打てるから楽しみだよ。」

 三合くーん、打撃投手やらなーい?、と叫びながら離れて行く大魔王の背中は、藍葉には、始球式を終えた女性ゲストのそれにしか見えなかった。「良い趣味、してるぜ、」と、つい呟く彼。カラオケボックスで彼女の語った、それぞれどうしようもなく、打ち砕かれる投手や突き放されるスラッガーの、悲哀や絶望をて愉悦を得るという悪趣味、それを効率的に味わう為に、いかにも非力な姿を敢えて紫桃は選択したのでは、と、彼は訝ったのである。

 

 後半戦が始まって四日目の月曜日、藍葉と違って行われた巨人への入団会見に、丹菊は、髪を黒々と染めた姿で現れた。視線に入るのであろう前髪を自分で触りつつ、「高校生以来で落ち着かない、」と呟く彼女の姿は、マイナーな衛星局によって生中継されており、巨人への伝手を持たずに会見へ潜り込めなかった茶畑と共に、藍葉は自宅で眺めることが出来たのである。

 先日紫桃から直々に「いつもお疲れ様。ところで、あんた、出禁ね。」と言い渡されたという茶畑は、一挙に仕事の種が途絶えたことへの文句を言いつつ、コンビニで買って来たヴァニラアイスを木匙でつついていた。

「まったくさ、藍葉君もさ、何だって私のことなんか思い泛かべた訳?」

「……無茶言わないでよ、直感応テレパス相手に隠し事をしろだなんて。」

 共に丹菊の会見を眺めようと集合した彼らであったのに、あまりに当たり障りの無い質問が飛び交っていることと、どうせ録画しているという油断により、放送へは集中していなかった。

「というか、結局ピーチ姫って、直感応テレパスってレヴェルじゃなかった訳だよね。……なんか、ヤバ過ぎて実感湧かないなぁ。ここだけじゃなくて、私らの世界まで滅ぼされかねないだなんて。」

「そういう理由も有るのかも知れないけど、でも紫桃も言っていたように、僕らがこの世界を舐めていたってのも、非現実感の原因として少なからず有るんだろうな。」

「そりゃそうでしょ、盆栽世界に本気で入れ込んじゃったら、病気だもん。」

 そう言いながら、すっかり女性的に、つまりこの世界にしか存在しない属性に染まり切っている茶畑を、つま先から頭の上まで露骨に見やり、「そうだね、」と歎息を吐いた彼へ、不満を呈するように、

「なにさ、私が女っぽかったからこそ、少しは助かっている訳じゃない。」

「……それも、そうだね。僕ら二人共が紫桃に心を読まれていたら、何も始まらなかっただろう。」

 しかし、いつまでも何も始まらなかったのなら、僕らの方の世界が紫桃の牙に与る危機も起こり得なかった訳で、それはそれで良かったのではあるまいか?、と、藍葉が訝しむ向こうで、丹菊は質問に答えていた。

「そうですね、とにかく、枝音と戦えるのが楽しみです。まぁ彼奴右に打球打てないので、私だからアウトにしてやったってことはあまり起こらないでしょうけど、でもとにかく、他チームだからこそ気持ちよく戦いを挑めるって事も有りますから。

 例えば、私一応、最高出塁率タイトルで競ってますけど、これまでは枝音が歩いたら『よっしゃ!』という気持ちと、『ああ、また出塁率上がりやがった』という複雑な気持ちが交じり合ってましたが、これからは遺憾なく、『打ち取れよ腰抜け!』とか、『良く抑えた!』とか言いながら眺められる訳ですよね、」

 これを聞いて、藍葉は、先日のTwitter上での彼女らのじゃれあいを思い出していた。

「詠哩子の、打率1割強でのオールスター出場って、史上初だったんじゃないの?」

「そうかもね、さすがに知らんけど。というか打率とか言う指標、粘っている時にしくじったら三振で失敗カウントで、成功したら四球でノーカウントとかいう謎計算だから、なくなって欲しい」

「前に打て」

「オールスターでは打った。そしたら車もらえた」

「公式戦でも打て」

「捕球されたらアウトというルールで、フィールダーが8人居る方向へ打球を飛ばすとか、正気の沙汰ではない」

「レフトスタンドには野手居ないからオススメだゾ」

「狙って入るのあんただけや」

「(丹菊の第二号、鳩サブレ直撃弾の動画のURLを張って、)毎回これやれ」

「これハマスタだから、あんた達からの一発になるけど大丈夫?」

「二度とこんなふざけた真似はするな」

「現金すぎでしょ」

 茶畑が、またアイスを一口含んでから、

「デイジーって、素直に、紫桃と戦いたいって言っちゃうんだね。言い訳はしているけど、」

「言い訳というか、あの理窟、多分本気でもあるね。紫桃と違って、凄く数字とか成績とか気にする質だから。

 ……今思うと、紫桃の数字への無関心は、阿呆を演じていたというのも幾らかは有ったろうけど、そもそも本当に興味無かったんだろうなぁ。彼女からすれば、球界なんて、雑魚しかいないのだろうし。」

 茶畑が、心配げに眉を寄せつつ、藍葉の方へ身を乗り出した。

「そんな意気で大丈夫? 勝てるの? 私らの世界の、命運が懸かってるんだよ?」

「無理でも何でもやるしかないけど、まぁ、……結局、僕というより丹菊次第だよね。僕自身は、細やかな貢献しか出来ないだろうし。」

 画面の中の丹菊が、再び質問に答えるに、

「そうですね、やっぱり叢田さんは普通にあこがれの選手でしたし、後は、藍葉……君も居てくれますから、まぁ適度にはやらせてもらえると思います。そもそも鎬を削る部分も有るでしょうから、あまりに仲良し子良しでもいけないでしょうし、」

 どんな質問内容だったのだろうな、と、それを聞き逃した藍葉が惜しんでいると、突然、頬を両手で挟まれた。そのまま、ぐいと顔の向きを直され、茶畑の、不機嫌な相好に出迎えられる。

 テレヴィを見ながらの生返事を𠮟られる亭主のようだな、と、彼が感じていると、

「藍葉君さぁ、……いや、ちょこちょこ一軍戦に顔を見せるプロ野球選手になったくらいなんだから、君が、真剣に練習とか頑張ってくれているんだろうなぁ、ってのは分かっているつもりだよ。そこは、私なりに尊敬してるんだ。

 でもさ、……いや、単に、紫桃の裏の顔を見られていないから、君と違って私が元気で居られるだけかも知れないよ? 知れないけど、……でも! 私は、結果的に正しいと思うから言うよ!

 なんで、そんなに、無気力なんだよ藍葉君! 君の双肩に、世界が二つ懸かってんだよ、……もっと本気になってよ!」

 泣き出しそうな顔になった茶畑が、声も慄えさせ始め、

「こっちはどうせ暇になったんだ。何でも命じてよ。何でもするよ。……あの悪魔を刺して来いというなら、刺すよ。」

 藍葉は、茶畑の両手を、ゆっくりと引き剝がしてから、

「御免、反省した。必死にならないと、駄目だよね。

 でもさ、言い訳をすると、……正直、絶望してしまっているんだよ。あんな化け物、敵いっこない。僕なんかが、」

「じゃあ、何? やっぱり刺す? 良いよ。私達の世界の為なら、私、刑務所でもどこでも入ってくるよ。」

 藍葉は、少し黙り込んでから、

「多分、それも難しい気がする。」

「何でよ。彼奴、私の心は読めないんでしょ? 別に普段はボディガードが付いている訳でもなし、普通に、町田駅を出てきたところでも、襲ってやればいいだけじゃん。」

 藍葉は、この真率な泣き言への答えに窮した。彼も実際、女の鉄砲玉が紫桃を襲撃することにおいて、なんら障碍を感じていなかったのだ。しかし、彼はその上で、どうしても肯んずる訳にはいかなかったのである。別に、茶畑の心配をした訳ではない。彼女の受けることになる数十年間の服役が、物の数で無いと迄は言わないが、しかし、実際世界の重さとは比べるまでもないだろう。何せ、過ぎ越して元の世界へ帰還さえすれば、泡沫の夢、瞬く間の時間に過ぎなくなるのだから。

 寧ろ、それよりも、彼は丹菊の事を想っていたのだった。彼女の友にして宿敵である、紫桃枝音を、自分藍葉の息の掛かった者が殺傷したとなったら、彼女はどれだけ落胆し、悲しみ、怒り狂い、そして、自分藍葉を侮蔑するだろうか。彼は、そうやって彼女を苦しめることにも、そうやって彼女からなみされることにも、堪え切れる自信が全く無かったのである。彼女が横浜を抛ったように、彼は今、世界を二つ抛とうとしていた。

 そうして窮した彼が、ただ黙っていると、茶畑が憤然と立ち上がった。

「幻滅したよ、意気地無し。……その根性を叩き直すまで、聯絡して来ないで。」

 大きめのバッグの中から、以前借りていったジャージを取り出し、丸めて藍葉へ投げつけると、彼が踠いている内に彼女はアパートから足早に去って行った。そうして踏み乱された小さい玄関を正している内に、茶畑から信頼を取り戻す方法や、明日の大事な試合について考えねばならない藍葉は、それらの喫緊度合いの高さにあたり、逆に、どうでも良い筈のことについて思い巡らし始めてしまう。以前までは、茶畑の方こそが無気力かつ不真面目に見え、自分の方が必死であったのに、どうしていつの間にか逆転してしまったのだろう。彼女の言うように、自分だけが紫桃の直感応テレパス能力と打撃の超絶技巧を直に体感して、打ちのめされているということだけが、理由になるのだろうか。

 こうして、寒々しい玄関にしゃがんでいる時点の彼を、もしも紫桃が目撃していたら、彼の論理が、半ば意図的に丹菊への慕情を無視している様子を、揶揄った筈である。分かんないけどさ、その茶畑って女の不機嫌、大方詠哩子への嫉妬なんじゃないの?、という、余計でいい加減な一言まで付して。

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