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ラミーロ監督のコメントは、いつもの世界の通り、中日三連戦の最終日、試合前に和訳版で発表された。
――紫桃とは、遠征に帯同しない代わりに、年俸を通常の査定額の六割掛けとする契約を、球団が結んだと聞いている。出場を東京近郊に限ることで、彼女は最大でも全試合の69%に当たる、98試合しかゲームに参加出来ないことになるが、チームが被る不便の分を更に差し引いて、60%への減俸にしたという形だ。確かに金銭の問題だけでなく、一軍登録枠も彼女の存在が圧迫してしまうことにはなるが、しかし現状、そんなデメリットを打ち消してあまり有るほどに素晴らしい能力を発揮してくれているのだから、私としては全く不満ない。実際、最初の巨人戦や阪神戦が失望する内容だったら、二度と一軍へは呼ばなかったかも知れないが、あんなポテンシャルを見せられては彼女を頼りにする他ない。そもそも捕手は負担の大きい仕事なのだから、投手に毎試合出ろとは言えないのと、同じような話だろう。彼女が遠征を希望しない理由については、家族との時間を大切にしたいのだと聞いている。紫桃の息子はまだ四歳にしかならないのだし、その点、私は非常に理解出来る。ましてや、相応の大減俸も受け入れていると言うのだから。
……これを記事としたメディアの一つが、ラミーロの、東京時代のラミーロジュニアのことを論うという、遙かな宿世における茶畑と同じ危険を冒していた。とはいえ、かつてそのように形振り構わず息子を大事にしたラミーロが、家族愛を訴える紫桃への共感を見せるのは実際興味深い話であるので、そこまで責められることでもないだろう。
しかしそもそも、こんな条件を飲んだ年末のフロントは一体何を考えていたのか、少し不思議だ。どうせ戦力として期待していなかった以上、パンダにしつつ丹菊を納得させられれば、選手としてはどうでも良かったと言うことだろうか。それこそ正しく、ラミーロジュニアのように……
藍葉は、記事を読みながらそう考えることで、紫桃が、つい先日まで全く期待されていなかったことを思い出した。ところが今となっては、彼女は出場試合全てで暴虐の限りを尽くしており、世間の評判も、例えばTwitter上で見かける反応を抜粋すれは、「去年のドラフトに関わったスカウト、全員首にしろ。横浜だけは減給で許す」「あんまり無茶言うなよ、荒川河川敷で女子軟式やってるチームの、しかも六番打者とかだった奴が、こんな打つなんてわかる訳ねえだろ」「デイジー姫は確か、バグみたいな身体能力の奴が居るって少し話題になってたし、姫からの売り込みも有ったっぽい。ピーチの方はマジでノーヒント」「むしろ、他の球団が指名してこないのを読み切って最下位指名したのだから、横浜のフロントは敏腕だろ」「じゃあなんで年俸と契約金あんなカス値なんだ」「というか横浜は、育休要求なんてワガママ認めてでも契約したのが遣り手過ぎる。クソほど釣りが来るわ」「巨人、東京、横浜、千葉、埼玉以外の球団は、地理的にこんな要求とても飲めないんだから、紫桃を逃したからって文句を言われる筋合いないんじゃない?」「どの球団であろうとも、敵に回さないように、せめて幽閉しておくのが正解だった。なんなら指名するだけでも良い。一年間、他との契約を妨害出来る」「発想が最低で笑う」「どの球団にせよ、入団後にひっこさせりゃ良いんじゃないの?ホーム戦だけの出場になるかもだけど」「日本ハムに入らせたら、札幌在住になってもホームラン数一割くらいになりそう。打った15本が全部ぎりぎりハマスタ柵越えの、箱庭専ガールだし」
最後の一つは、紫桃がTwitter上で引用しつつ、「ハムの主催ゲームでも三本ホームラン打ったもん…」とコメントし、「二軍戦を勘定するな」と、丹菊から返答されていた。
そのように、好き勝手絡まっただけの発言――Twitterというサーヴィスは概ねそんなものだが――の中において、しかし東京球団ファンから、こんな冷静な呟きも発せられていたのである。
「ラミちゃんの談話読んだけどさ、これさ、ウチと巨人だけ不利になるんじゃないの?」
そのような動向の中で迎えられた、やはり横浜スタジアムでの対東京球団戦。五日振りに出場する紫桃は、試合前に東京のスター選手、山多を捕まえ、ツーショットをTwitterへ上げて御満悦だった。
「トリプルスリー&MVPとかいうやべえ奴見つけたので、宣戦布告しておいたゾ。打たせませんし、走らせません!」
二人共が、NPB選手にしては細身で、更に顔立ちが整っているので、誰が撮ってやったのかは知られねども良い絵面となっていた。宣戦布告とは書いてあるものの、彼女が習いとしている寝かされたVサインや、両人の笑顔から、少なくとも試合前は打ち解けていたようである。男誑しと言うか人誑しと言うか、相変わらずの才能だな、と藍葉は思った。ある意味、野球のそれよりも怖いかも知れない。
こんな朗らかで気軽そうな女が、今度は東京投手陣を薙ぎ払うのかと、多くが、同情の念や一種の風流を前もって覚えていた試合であったが、しかしその実、いざ夕刻から始まった第一試合において、彼らは、昨年のセリーグ覇者の格を見せつけるかのごとく、美事、紫桃を捩じ伏せることに成功したのだった。一回裏、三番三合の四号ソロホームランに続いて回ってきた、ピーチ姫の打席において、東京の小河は、或いは捕手の仲村は、阪神戦で紫桃が見逃していたコースを頼りとして、低め一杯の速球ばかりを投げ込んだのである。その結果紫桃は、微動だにせぬまま全て受け入れ、あっさり見逃し三振して
見逃し三振? したけど? だから何?
低めの直球が打てない、というより、スウィングを試みすらしない。そんな弱点を持つらしいと明らかになった彼女が、打線において、似たように、どちらかと言えば直球を得意としていない三合と並んでいることで、出す投手次第では充分に攻略が可能なのではないかと、少なからずがこの試合中に希望を抱かされた。丹菊(前日までで54打席26四球3安打14三振と、打率と長打率は.107だが、出塁率が.537)は相変わらず面倒だが、後続を押さえつければ失点にはなるまい……
しかしそんな皮算用は、早速、紫桃の第三打席で怪しくなった。小河の投じた、低めに決まるべき直球が僅かに浮くと、とうとう、彼女が重い足を上げたのだ。死刑宣告のようだと、巨人阪神のバッテリーの精神へ刻まれた、この動作の直後、案の定、紫桃の一振りが白球を捉え、一発が左翼へ叩き込まれる。しかも丹菊が出塁していたので、ツーランとなって逆転されるという始末だった。
続く第四打席でも紫桃は、僅かに浮いたスリーストライク目の直球を掬い上げ、ソロ弾とし、終わってみれば、前回出場の阪神戦から連続してのマルチ本塁打とあいなった。成る程、低め一杯に速球投げればちゃんと抑えられる。しかし、僅かにでも浮くと、結局持っていかれる……
こんな結果を受けた、翌日の二戦目、東京は防禦的な手に出た。情況が許す限り、紫桃は歩かせてしまえと言う策である。五番のラペスは開幕以降絶不調であるし、少々恰好はつかないが、敗けを負わされるよりはマシだろう。それに紫桃の脚力は、女性競技者にしては悪くないくらい、つまり、NBP基準では極めて鈍足であり、塁に出られてもそこまでは怖くないのだ。
こんな作戦は、少なくともこの四月九日においては、二つの意味で大誤算となった。まず、紫桃が、なんと盗塁に積極的だったのである。後に彼女が「監督とかコーチに訊いたら、『駄目』って言われるに決まっていたので、まずは勝手に走ってアピールしました!」と臆面もなく述べたような、味方をも裏切る盗塁は、投手が緩い球や沈む球を低めに投げた時に限って行われ、際どくはあったが、二度中二度、上手く滑り込んで成功したのである。完全な無警戒だった一度目は愚か、二度目すらも決まったのには、彼女本人以外の誰もが驚かされた。紫桃が、先の語りへ、「地蔵だと思われたら歩かされるだけなので、悩んでもらう為に、盗塁は練習してます!」と付け加えたように、この意外な盗塁力は、今後も敵軍を難儀させることとなる。
そして、もっと重大な誤算として、ラペスは、この日大当たりであった。一号、二号、三号を突然一晩で放った彼は、直前打順の紫桃が第四打席まで歩かされ続けたことも有り、一挙の九打点を記録してみせる。更に言えば、そもそもこの日の横浜打線はラペス以外も恐ろしい威力を発揮しており、井出、丹菊に加え、投手の山久地までもが花火を上げ、結局紫桃も、もうどうにでもなれとばかりに勝負された第五打席にて、左翼への一発を放ったのだ。七発15得点の猛攻により、東京球団の救援陣は成績上の大きな損害を被った。
東京球団はこれで懲りたのか、結局、「已むなければ歩かすが、基本的には三振をしっかり狙う。外野は思いっきりレフトや後方に寄らせる」という、大分健全となった戦略を、対紫桃に準備して第三試合を迎えた。その結果彼女を、四球、三振、レフトフライ(まともなシフトならツーベース)、本塁打、三振、という、まぁ見られる程度の成績へ押さえ込むことには成功したのである。しかし、この日はそもそも横浜打線が連日の快調で、三合の第五号を含めての八得点で三タテが決まった。
試合後には、彼女らの唯一の発信源である、紫桃と丹菊のTwitterアカウントが更新された。
紫桃の方は、
「三連勝! 気分良いゾ!」
という発言と共に、御座なりにカメラへ手だけを振りつつ、自分のスマートフォンの画面を注視している、無愛想な丹菊の写真を投稿しており、丹菊の方は、
「妖怪RC27108女」
というコメントで、紫桃の笑顔Vサイン写真を貼付していた。どうやら、何処かの飲食店で相対しているらしい。
「RC27ってなんだべ」と、紫桃の返答。
「紫桃枝音を九人並べたら、一試合で108点取ることが期待される、って意味(正確にはちょっと違うが)」
「やべえ、優勝できるじゃん。紫桃ちゃんをクローン技術で増やして並べようぜ」
「それだと守備も全員あんたになるから、100点位取られそうだけど大丈夫?」
「紫桃ちゃんの大事なところ(肩)壊れちゃう……」
「全員同じなんだから、ピッチャーとキャッチャーも九分担すれば?」
「なるなる? でも、200点取りあう試合だと、お客さん途中で帰っちゃうゾ」
「出口封鎖しよう」
「こわい。というか、そのRC27って数字おもしろいじゃん。毎回出してよ」
「面倒くさいからやだ。自分でやって」と、丹菊がURLを添付。
「うわクソめんどくせえ」
「でしょ?」
「私をからかうためにわざわざこんなメンドくさい計算してくれた、詠哩子ちゃんやっぱ好き……」
「死ね」
この遣り取りも毎度の如く、すぐにネット上で話題にされた。「パープルピーチのRC27が108ってほんまか?」「計算したけど、まあまあ合ってるっぽい。定義式にもよるけど」「再計算めんどうならエクセル使えやこいつら」「NPBのページだと今日の分まだ加算されてないけど、42打席13四球19本塁打20安打78塁打になったはずだから、打率.690、出塁率.786、長打率2.69、OPS3.48」「29打数19本塁打????」「化け物」「規定打席数到達していないから、こんな数字ノーカン」「(本塁打数は?)」「上振れているにしろ実際人間じゃねえよこんなの、妖怪ですら生ぬるい」「何がピーチ姫だ、むしろクッパだろ」「大魔王クッパ」「大魔神ならぬ、ハマの大魔王じゃん」「笑う」
このような会話が散発的に起こり、そのそれぞれから界隈へ蔓延し切ったことで、既に散々仇名を付けられていた彼女が、最も雄々しき名、「大魔王」をとうとう賜ったのだった。
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