【新稿】『血まみれスケバンチェーンソー』(2016年版)


●『血まみれスケバンチェーンソー』(二〇一六年版)バップ


 『仮面ライダードライブ』や、最近は『新十郎探偵帖』(NHK)などで活躍中の「だーりお」こと内田理央が、なぜか、下駄にふんどしを履いている女子中学生(★注)、鋸村ギーコ役で主演したゾンビ映画である。

 ある種の人は失望するかもしれないが、この映画ではふんどしが見えるショットがほとんどない。数えてみたが、二、三ショットだった。つまりエロの要素は極力削られているのだ。

 この映画に限らず、一連の人体改造ものとゾンビものでは、エロという要素が非常に少ないものが多い。私? ここまで書いてきたのでお分かりとは思うが、そもそも『美少女』という用語を頑なに拒んでいるような奴だ、私は。エロが見たいのなら、AVでも見た方がお互いのために(だから誰が?)幸せだ、と思っている。

 私は、これは「アリバイ作り」だ、と考えている。制服女子のパンチラがありますよ、派手なアクションがありますよ、とスポンサーサイドにアピールしておいて予算を確保し、後はまあ好き勝手にやってしまえ、という「戦略」なのではないか、と。

 さて、冒頭、登校中のギーコは、改造死体を轢いてしまう。

「改造死体だな」

 ギーコは何のためらいもなく改造死体を、いつも持っているチェーンソーで(そんな女子学生がいるかい)斬り倒していくが、股間にバズーカ砲を仕込んだ改造死体、爆谷さゆり(佐藤聖羅)に襲われる(そんな女子……)。

 ちなみに、前の回で書いたことと関係するのだが、改造死体たちのひとりで最初に殺される(いや、最初から死んでますがね)女生徒、神田役を演じた阿部洸沙穂は、コメンタリーによれば三十八歳である。これは楽しい、と私は思う。

 爆谷は明るいチアリーダーだったのだが、わいせつな写真をばらまかれ、泣いている所をギーコの同級生、碧井ネロ(山地まり)に改造されたのだ。彼女のバズーカ砲は失敗し、そこへなぜか、ネロが改造死体を使って救急セットを届け、ギーコは爆谷に応急措置を施す。だが、のんびりしてもいられない。ギーコは、追試を受けなければならないのだ。

 ここでちょっと脈絡が分からないのだが、ネロの回想が入る。ネロは目立たない子だったが、死んだ猫を改造し、結果、クラスでいじめられることになったのだった。

 再びギーコへ戻るが、改造死体のはびこる学校で、先生は職員室に立てこもり、ギーコは追試が受けられない。そこへ忍者研の部員が襲ってくる。ギーコは立ち向かうがチェーンソーが動かなくなり、工作部部室へ逃げ込んで部長の仙崎麻子(奥田佳弥子)に出逢う。

 この忍者、リーダーは怨憎(はんぞう・玉城裕規)だが、あまりにもニッチな部活動をしているため、人に笑われバカにされ、世を憎んで改造死体になった。しかしそこで、ギーコは言い放つ。

「(忍者研が)バカにされるに決まってんだろう。何かに夢中な奴は、はたから見れば相当ずいぶんバカに見えるもんだぞ。スケバンとか暴走族も(以下略)」

 一方ネロは、学校の地下へ行く。そこには改造死体が山のように幽閉されている。ゾンビとは違って、意識はしっかりしている。

 仙崎のおかげでチェーンソーが直ったギーコは、仲間を助けてくれ、と頼まれる。さらにネロの挑発もあって、ギーコはネロの配下を次々斬り倒す。

 そのネロは、仙崎の仲間の工作部員の体で作ったチェーンソー・オブ・ザ・デッドをふるい、ギーコは負ける。追い詰められたとき、爆谷を初めとする改造死体たちが、ネロに刃向かう。しかし爆谷は、自爆装置で爆死する。

 ここで、ギーコとネロの違いが明確になる。

 改造死体は、ギーコにとっては仲間、しかしネロは仲間だと思っていない。それが最大の亀裂だ。では、なぜネロはギーコを恨むに至ったのか。

 それは、ある日、屋上にいたネロに、ギーコがキスの仕方を訊いたせいだった。ギーコとしてはネロも同級生であり、仲間のひとりだ、と思っているから信用して訊いたのだが、ネロは「私は孤高の征服者だ」「私を仲間扱いする奴は許せない」と言ってきかない。つまりこれは、下世話に言ってしまえばネロの中二病(中三だが)の炸裂によって起きる闘争の話であり、そこにギーコが戦う理由が見えてくる(本人は、分かっていないようだが)。

 そう思ってみると、なかなか歯ごたえのある映画であり、相応に骨のある作品でもある。

 最後については、まあ、ギーコは主人公だから死なない、と強調しておくのは、そうではない作品もあるからだが、なぜか明るく終わる。

 スタッフは、監督、編集が山口ヒロキ、脚本が福原充則。ちょっとストーリーテリングで理解しづらい箇所はあったが、まあ、アクションが明るく見られるからいいか、というような所だ。

 内田理央は、その後、「普通の」役者として活躍するが、コメンタリーや、次に紹介する『血まみれスケバンチェーンソーRED』などを見ると、作品との関係は良好だったことが分かり、それはそれでよかったな、と思う。


★女子中学生──この映画では、登場する女子は中三と決まっている。善し悪しは論じないが、『勇者ライディーン』のひびき洸(主人公)が、見ようによっては大学生ぐらいにも見えるのだが設定では中学生説も、高校生説もあるのに似ている。つまり設定より大人びているのだ。なお、『勇者ライディーン』は、レーザーディスクを作るお手伝いをしたとき(昔の人間だなあ……)調べてみたのだが、設定では定説とすべき資料がなかった。当時は設定など、特に必要ではなかったようだ。

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