【新稿】真おまけ・『片腕マシンガール』

 二〇〇〇年以降の少女ヒーロー映画を、私はあまり見ていなかった。

 それが、自分の見ていない作品を集める内に、この大きな山を無視していいのだろうか、というジャンルに出逢って(出遭って?)しまった。それが人間解体ものであり、ゾンビものである。名前は有名だが見たことはない──という人もいるだろう。

 こういう映画は侮れないなあ……と思うのは、例えば確認のために人間解体ものの代表作『片腕マシンガール』の2枚組ソフトを見ると、小冊子が入っていて、監督の井口昇と長い対談をしているのが、なんと大林宣彦監督なのである。

 確かに大林監督は、馬場毬男というペンネームを持っているが、これはイタリアの恐怖映画の巨匠、マリオ・バーヴァ監督のもじりである。また、その劇場デビュー作『ハウス』は、れっきとしたホラー映画でもある。

 そこで私は悔い改めて(大林教信者ですから)、手に入る限りの、ただし少女ものに限って、片っ端から人体改造ものとゾンビものを見てみることにした。

 結果として、私は自分の創作に影響が出るほど、頭の中が腐って地面に転がるような経験をすることになったのだが(そういうような映画もある)、反省はしていても、後悔は……ちょっとはしているけど、まあいいや。

 とりあえず、分かった物を並べてみるので、参考にしていただきたい。


●「片腕マシンガール」(〇八年?)アメリカ映画


 人間解体物を知るには、まず、見ていただきたい映画がある。井口昇脚本・監督の『片腕マシンガール』だ。日本映画だが、アメリカ資本で作られ、北米でヒットしたことから、日本に逆輸入されたらしい。

 この映画は、後のゾンビにとどまらぬスプラッター、人体改造映画などに大きな影響を与えた──というのが定説だが、客観的な資料はない、と言ってもいいだろう。

 というのも、『片腕マシンガール』は、〇八年の映画説と、〇七年の映画説があり、この〇八年には、後に書くようなスプラッター映画が、相次いで公開されているからだ。いくら低予算映画でも、観てすぐ作る、というわけにも行くまい。

 知らないことをあまり書くのは、おこがましいので、まずは代表作とされるこの映画のストーリー紹介をしてみよう。


 高架下で高校生をいじめていた男子学生たちを、左腕にマシンガンを装着した(アニメの『スペースコブラ』を連想されたい)主人公、日向アミ(八代みなせ)が惨殺するシーンから映画は始まる。

 数週間前、アミの弟、ユウ(川村亮介)は悪質なカツアゲに遭う。カツアゲ、つまり金品を目的とする恐喝に、良質も悪質もないものだが、この映画でのいじめのリーダー、木村翔(西原信裕)は、やっとの思いで持ってきた万札を、目の前で燃やし、うそぶく。

「俺は金が欲しいんじゃない。お前たちが苦しむ顔を見たいんだ」

 こうして、ユウと友人のタケシ(秀平)は、翔に言われた二十万円を用意できず、ビルからあっさり突き落とされて死ぬ。この辺で、まず残酷メーターが上がる(何だそれは)。

 たったひとりの肉親だったアミは、ユウの日記を見て、まずいじめの一員、リョウタの家へ乗り込むが、そのリョウタの両親は超モンスター・ペアレンツで……。

(以下、ご注意)

 残酷描写シーンは、生々しく、しかもリアルな物で、以下に紹介するシーンを見て、気持ちが悪くなる人もいないとは思えない。そもそも私が、友人に紹介されてこの映画を観たときは、あまりの惨さに途中で鑑賞を断念したほどだ。気になる人は見ない方がいい。

 どう惨いかと言うと、アミはリョウタの父、健太郎(ヨウスケ)と母、マサコ(菜葉菜)によって、左腕を天ぷらにされてしまうのだ。

 私は感覚が鈍っているのかもしれず、見ていても、「ひどいなあ(笑)」……程度にしか思えないのだが、以前に見たときは、ここで見るのを諦めたので、おそらく感受性が鈍ってきたのだろう。

 復讐を誓ったアミは、夜、リョウタを襲い、翔の名前を聴き出す。さらにリョウタの首をはねて鍋にぶちこみ、マサコを惨殺。風呂に入っているリョウタの父に血を浴びせる。

「あたしは鬼だ。鬼になってやった!」

 そのモラルについては、あくまで私の考え方だが、「そういう世界観なのだから、しかたがない」と言うしかない。

 さて、翔の父、龍二(島津健太郎)は、やくざの親分で父が伊賀忍者の末裔(だからどうと言う話でもないんですが)。母親、スミレ(穂花)も、残忍な性格だ。翔を襲ったアミは龍二に捕まり、左手を刀で切り落とされる。すんでのところで逃げ出したアミは、ユウと共に死んだタケシの両親、板金工の杉原スグル(石川ゆうや)とミキ(亜紗美)に助けられ、共に仇討ちをすることになる。スグルはマシンガンを仕込んだ機械の腕をアミに授け、ミキはアミを体技で鍛える。

 こうして、アミの復讐が始まる。

 以降の戦闘シーンは、いちいち説明するものではないので、紹介はここで終わる。

 そして最後には、復讐を終え、自殺を図るアミが、怪しい気配を感じてハッ、とカメラ(つまり私たちの顔)を見つめたときの闘志に充ちた表情──という、なかなか洒落た映像で終わる。


 『片腕マシンガール』は、まだ販売されている(ブルーレイもある)コンテンツなので、私はしゃべり過ぎたかもしれないが、ここから先は、同じような映画がしばらく続きそうなので、「こういうのはどうですか?」と言うつもりで書いてみた。よけいなお世話かもしれない。そう思われたら、お許し願いたい。

 とにかく、「見てみないと、分かりませんよ」、というのが、私の結論である。


 ところで、ほんとうにどうでもいいことだが……。

 DVDで買ってみると、映像特典には、主演の八代みなせの「フォトギャラリー」が収録されているが、本人の動く画像は一切ない。これはどういうことだろう。そうだなあ……私の危惧が当たっていなければいいが。

 その代わりに、他のキャストや監督始めスタッフが多数、登場している。その仲間内感覚が、私の喉に小骨がささったように、ちくちくする。

 このジャンルについて調べてみると、やはり映画作りの特殊性があるのか、複数の作品に出ている役者もいる。亜紗美などは、「戦闘少女 血の鉄仮面伝説」や「逆襲! スケ番☆ハンターズ」(これらについてはまた後で)など、こうしたジャンルの映画でくり返し出てくる常連だったりする。どの作品かは忘れたが、そういうわけで三十歳を過ぎてもセーラー服を着て出ている人などもいる。

 もうひとつ、メイキングを見ていると、撮影現場で役者とスタッフが、ロケ弁のあるなしからつかみ合いにもなろうという大ゲンカを始めてしまうのだが、そのとき井口昇監督は、修羅場に背を向けて、何も知りませんよ、という態度で弁当を食べている。

 そのケンカが最高潮に達し、さすがの監督も立ち上がったとき、いきなり、いまケンカしていた一同が「ハッピーバースデー」を歌い出す。その日は監督、三十八歳の誕生日で、ケンカはただのサプライズだったのだ。

 こういう茶番の善し悪しを、語るつもりは私にはない。まあ……「家でやれ」とは言いたくなる。

 ただ、それが見たくないのなら、そもそもメイキングなど見ない方がいいだろう。


 そういうわけで、公開から十四年が経って、ようやくこういう映画が見られるようになったことは、私にとっては、そうですねえ……幸せなんじゃないだろうか。見られるものが増えたんだから。その分、また原稿が長くなったが。

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