【新稿】おまけの章(2)実写「美少女戦士セーラームーン」
●実写版「美少女戦士セーラームーン」(03~04) 中部日本放送(TBS系)・東映
積み残している作品のうち、なんらかの形で取り上げなければ、という作品を拾っているのだが、意外に評価が出ていないけれど重要な作品が、実写版『セーラームーン』である。
この作品は、三十分番組とはいえ四十九本と、三枚の新作DVD(『キラリ★スーパーライブ』、『アクト ゼロ』、『スペシャル アクト』)がある、ここで紹介した中では『スケバン刑事Ⅱ』『スケバン刑事Ⅲ』(共に四十二本)を超える、最長のシリーズだ。
普通、これだけ長いと、早ければ第一クールの後半か、遅くとも第三クールには、「本筋に関係のない話」を入れて息抜きするのだが(アニメでもそういう作品はある)、何しろこの作品は、『仮面ライダー龍騎』などの脚本家、小林靖子が四十九本をひとりで書き上げている。監督も、田﨑竜太、高丸雅隆、舞原賢三、鈴村展弘、佐藤健光の五人が、少なくともひとり四話以上を担当している。全体のストーリーからはみ出す「息抜き」のエピソードが、殆ど必要ないのだ。
敢えて言えば、各話の重要な所をノートに書き起こす際、場合によっては三ページ以上になることもあり、一ページで済むことは殆どないのに対して、高丸雅隆監督の担当回は半ページで終わることが多い。押さえておく所が少ないのだ。
しかしそれも、四十九話を通して見ていると、たまにはこの位の話がないと重いな……などと思ったら、けっこうメインストーリーに食い込んだ話があったりするので、油断はできない。
そう。この物語は、いわゆる転生物の「前世で戦った戦士たちが現代に転生して、地球を救う」というお約束のプロット(まあ、多くは『セーラームーン』の方が先にあるわけですが)を売るのではなく、その地球の命運をかけた戦いに、殆どは巻き込まれていき、よりよい人生を歩むという物語なのだ。よりよい「戦い方」ではない。「生き方」である。それが、レギュラー人物十人を超える多人数のひとりひとりについて、丁寧に描かれている。
ただし、ACt.1(第一話)だけ見ていると、少々、期待を裏切られる場合もあるかもしれない。うさぎがセーラームーンになろうと決めたのが、うさぎとルナの会話で、あっさり片づけられてしまうからだ。
うさぎ「だって、だってなんか分かんないけど、なるちゃんが危ないって分かったんだもん! なんでか分かんないけど。早くなるちゃん、助けないと」
ルナ「うさぎちゃん。分かるのは、あなたが戦士だからよ」
うさぎ「えっ?」
ルナ「それにしても、あなたが戦士である理由が、ちょっと分かった気がする。うさぎちゃん、一緒になるちゃんを助けましょう」
これは、何度かくり返して、その前後を見ないと、あまりに唐突過ぎるようにきこえるのだが(少なくとも私はそうだった)、うさぎには、実人生において影というものがない。背負っているのは、タキシード仮面に寄せる淡い思い程度であり、……いや、後半になると、それが物語を大きく動かしてくるのだが、背負う物がないから最強、という解釈は、『仮面ライダー』以前の東映的定義として考えると分かりやすい。
「なんか、わくわくなのか、不安なのか、よく分かんないけど、胸が、どきどきしてる」
このセリフが表わす爽快感が、どう遷移していくかが、うさぎの周囲の人間を動かしていく過程と重なるのだ。
その典型的、かつ重要な例が、セーラーマーキュリーこと水野亜美(★浜地咲)のエピソードである。まずACT.2から。
私立十番中学校二年で、セーラームーンこと月野うさぎ(沢井美優)のクラスメイトの亜美は、母の希望で女医を目指す学業優秀(大学入試レベル)な子だが、そのせいでクラスの中では浮いた存在だ。同級生からも、「亜美ちゃん」と呼ばれることはなく、いつも「水野さん」なのだ。「慣れてるし……」と本人は無表情につぶやく。
一方、うさぎはカラオケハウス、クラウンの中に秘密のアジトを見つけて単純に喜んでいるが、月から来たルナ(実写版では、ふだんはぬいぐるみの猫になっている)を介して、亜美に近づき、言い方は悪いが、強引に仲よくなる。
うさぎ「面白いし、ほんとうは普通の女の子なんじゃないかな」
ルナ「普通じゃないわ」
ルナは、亜美がうさぎに続く二番目の戦士であることに気づく。それを知らされたうさぎは、明るく「一緒に戦おう」と勧誘するが、亜美は、「そうか。月野さん、私が戦士だから友だちになろうとしたんだ」と誤解する。まあ、そりゃそうですわなあ。きのうまで口もきかなかった相手が、いきなりにこにこと近づいてきたら、警戒するのは当たり前だ。
そして、「私、戦士なんかになりたくない」とうさぎを拒絶する。ここまではまあ、普通のドラマだ。
問題は、その後のシークエンスである。
ルナ「私が説得するわ」
うさぎ「やめなよ。いやだって言ってるんだから、かわいそうだよ」
ルナ「戦うのは戦士である者の使命なの。代わりはいないんだから。亜美ちゃんには、戦士になってもらわなくちゃ」
うさぎ「無理にやらせるなんてひどい、って。私は絶対、絶対反対」
しかし、亜美の通う予備校の教師は、妖魔に変わり、亜美を襲う。偶然近くにいたうさぎが駆けつけるが、亜美は妖魔によって吹き抜けの廊下から地面へ落とされる。ピンチにあった亜美を助けたのは、うさぎが変身したセーラームーンだった。しかしそれも片腕をつかまえただけで、ピンチは変わらない。
亜美「そうだ。月野さん、私を戦士にして。そうすれば……」
うさぎ「ダメだよ。いやなのに変身しちゃ、ダメだよ」
この作品では、うさぎの心はほとんど揺るがない。
亜美「いやじゃないから。私、月野さんと一緒に戦いたい」
そして亜美は、ルナから贈られた変身アイテムでセーラーマーキュリーに変身し、セーラームーンと共に妖魔を倒す。
うさぎ「でも、ほんとによかったの?」
亜美「うん。戦士だからとか、そういうのじゃなくって、何か分からないけど、ただ、一緒に戦いたいって、そう思ったから」
うさぎ「それ、私も同じ。戦士だからとかじゃなくて、亜美ちゃんだから仲よくなりたいって思ったもんね」
亜美「……ありがとう」
この番組では、セーラー戦士たちは、変身しているときでも、「うさぎちゃん」「亜美ちゃん」と名前で呼んでいるのだが、彼女らにとって、友情は使命を超えている。
これがAct.5になると、「私は、初めて友だちって呼べる人たちと一緒にいるのかもしれません」、と亜美は語るのだが、登校途中の女生徒たちが、「ああいう子、うざいよねえ。勝手に友だち面するな、っつーの」、というような話をしている。亜美にはまったく関係のない話なのだが、いやでも自意識を揺さぶられずにはいられない。クラウンでも、うさぎと、セーラーマーズこと火野レイ(★北川景子)の言い争いに入っていこうとするのだが、うまく入れない。
一生懸命、うさぎやクラスの人間を名前で呼んでみたり、わざと小テストで赤点をとってうさぎと一緒に掃除当番をやってみたり……果てはうさぎの家で(★注)、うさぎの親友、大阪なる(河辺千恵子)とパジャマパーティーをするのだが、そこで初めて化粧をしてみた亜美は、慣れないことなので、ほとんどピエロのようになってしまう。
うさぎ「亜美ちゃん」
なる「やりすぎ」
この後、亜美はひとりで洗面所でメイクを落とすのだが、当然というか、分かりやすいというか、鏡に向かう半分化粧の落ちた亜美は、ピエロが黒い涙を流しているように見えるのだ。
それをベタだ、と言う人には言わせておけばいい。ドラマには、必ず踏まなければならない約束事、いや、分かりやすいパターンがあるわけで……これ以上言うのは本稿の読者には野暮と言うものだろう。
ただ、この一エピソードに関して言えば、私は直視できない。と言っても、見なければならないのだが、それだけ生々しく、身を切られるような痛みを感じる。
なんだかんだあって、結局、亜美は教室で、元の孤独な少女に戻るのだが、うさぎは気づいている。同級生たちが、いつの間にか亜美を「水野さん」ではなく「亜美ちゃん」と呼んでいることに……。
人は、決して孤立してはいけないが、孤独にはそれなりの効用がある、とでも言っておこうか。
これが亜美の物語である。なお、亜美となるについては、Act16で直接に対決しており、その対決の様子がすがすがしく、爽やかな解決となっている。
その後、彼女に起きる大変なこと(★注)は、実写オリジナルエピソードだが、原作者の武内直子は、この実写版の主題歌を作詞し、セーラールナなどのデザインもしているので、納得しつつのシリーズの一環だと思う。
ゼロ年代を迎えたこのドラマの放送当時、私は少女ファッション誌を読んでいた。趣味ではなく、頭の中のクローゼットが空になるからだが、昔なら恋愛とか、性にまつわる悩み相談のページがあるべきところに、「どうすれば友だちができるか」「話題についていくのにはどうしたらいいか」などの『秘訣』が載っていて、特に、「話題になっているテレビドラマは、録画しても見る!」とあったときには(時代だなあ)そうまでして、ハブられないようにしなければならないのか、と驚いたものだが、ここで描かれている亜美の物語は、そういう時代の空気を映し出していた、とも思える。
このようにして、本作は登場人物それぞれの物語を丹念に追っていくので、四十九話でも足りないぐらいで、本題に入るかどうかハラハラするが、そこは小林靖子。丁寧に、かつ手際よく、あくまで妖魔の事件をメインにしながら、十人以上の主要な人物の物語を追っていく。
で、このドラマの骨格は、地球を滅ぼそうとする旧地球王国のクイン・ベリル(杉本彩)と、その配下の四天王(ジェダイト=増尾遵、ネフライト=松本博之、ゾイサイト=遠藤嘉人、クンツァイト=窪寺昭)の繰り出す妖魔が、人間のエナジー(生命力のようなもの)を集めて、世界を支配するクイーン・メタリアを甦らせよう、とする──というものだ。
そのためにはエナジーの他に、かつて月の国に君臨したプリンセスと、「幻の銀水晶」と呼ばれる貴石が必要なのだが、一方、記憶に欠落のあるタキシード仮面こと地場衛(「ちば・まもる」。演=渋江譲二)も、幻の銀水晶を探しており、うさぎと衛は事件を通じて仲よく──はならないのがこの作品である。即ち──。
セーラームーン=月野うさぎは、戦いを通じてタキシード仮面を慕うようになるのだが、衛とは相性が悪く、あちこちで出逢っては、ケンカが絶えない。だが衛はある事件で、うさぎがセーラームーンに変身するのを見てしまい、微妙な変化が生まれる。
呼応するように、うさぎも衛に惹かれ始め、しだいにふたりの仲が近づいて行く。やがてふたりの思いが通じ合ったとき、地球規模の大事件が起こるのだが……ここはラストなので、ネタバレは避けておきたい。
このドラマでは、セーラー戦士たちは変身してからも「うさぎちゃん」「亜美ちゃん」と本名で呼び合う。なぜか? 『仲間』だからだ。戦いが先にあって仲間になるのではなく、仲間になったから一緒に戦うのだ。変身していてもいなくても、うさぎはうさぎなのであって、他の誰でもない。
極端に言うと、それを確かめるために戦っているようなところもある──と言ったら言い過ぎだろうか。戦士たちの友情は、やがて爽やかな結末を呼ぶ。『千年王国ヴァニーナイツ』がほっぽりだした世界の未来に、本作はきっちりと着地してみせた。
いろいろややこしい話が続いたが、何しろこの番組は、情報量が多い。メモを取りながら通して見て、そこから気になる話数を拾ってまた見る──という作業をくり返したが、拾いきれなかった部分も、あまりにも多い。全話とアクト ゼロとライヴの入ったDVD─BOX(「super special DVD-BOX)と、気が向いたらスペシャルアクトを買えば、まだ新品で見られる。お勧めだけして、この節は終わりとしたい。
【注】(ネタバレあり)
★浜千咲──本編ではこの芸名。『アクト ゼロ』『スペシャル アクト』の時は梨華、その後は泉里果と名前を変え、現在では泉里香として活躍している。本名も泉里香。
★北川景子──テレビで初めて見たときは、まだドラマも慣れていないのに、ぎゃあぎゃあ怒ったり号泣したりのオーバーアクトに、正直食傷気味だったが、一年間のドラマを通じて、結局、一番いい方に成長した。
★うさぎの家で──いま気づいたのだが、うさぎの後ろの棚にある本は、少女小説で一大旋風を巻き起こした、講談社X文庫ティーンズハートである。このドラマの原作が講談社だから不思議ではないのだが、同文庫が休刊になったのが二千六年なので、奇跡的な『特別出演』だった。
★彼女に起きる大変なこと──ACT.21~28にかけて、亜美は術をかけられ、闇の戦士ダーキュリーとなって、うさぎたちと戦うのだった。
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