第七節 【完全新稿】つみきみほ、再臨す。

●【完全新稿】つみきみほの再臨


 六節までの間にも、つみきみほはさまざまな映画に出演したが、私が観ていないものも多い。たとえば二〇〇四年の『風音』。沖縄を舞台にしているらしいので、ソフトは買ったのだが、実は原作・脚本の目取真俊が、私は大っ嫌いなので、まだ見る気が起きない。そういうことや、いったんつみきみほ離れを宣言してしまった身としては、他人となった(いつ他人じゃなくなったんだ!)つみきみほを、追いかける気になれなくなってしまった、というのがあったのだ。

 けれど、私が、甘かった。

 ファン精神に欠けていた。


 二〇一七年公開の映画、「話す犬を、放す」(監督・脚本/熊谷まどか。制作、埼玉県! ほか)で、つみきみほは、実に二十九年ぶりに、映画主演を果たした。

 この映画でつみきみほが演じる女優・レイコは四三歳。公開当時のつみきみほは四六歳だから、ほぼ等身大の(いやなことばだ……)役を演じている。悪く言えば落ち目で、素人に演技指導をしたりしながら、閉塞した生活をしている。そんなレイコのもとに、映画出演の仕事が舞いこむ。喜ぶレイコ。

 しかし、ほぼ同時に、ふたり暮らしの母・ユキエがレビー小体型認知症を発症してしまう。

 ユキエを演じるのは、田島令子。近年では、二時間サスペンスなどに多く出ており、またアニメでは、一気に古くなるが、アニメ『ベルサイユのばら』でオスカル役を演じた。たぶん、ちょうどその頃だと思うが、雑誌『アニメージュ』のアンケートで、「体にいいことを何かやっていますか」という問いに、「健康保険に入っています」と応えていた。本質的に、とがった人なのだろう、と思う。

 それだけでも凄いのだが、この人は若い頃(私が十歳未満ぐらい)、NHK教育テレビでのとんがった試みに主演として参加していた。

 たぶん『おはなしこんにちは』だったと思うのだが、何もないスタジオの中に置かれたソファーに座って、プペ君とパペ君(だと思う)二体のギニョールにお話を読んで聴かせる。それだけなら、教育テレビでいくらでも作られた物語番組だろう。

 しかし、そこで田島令子が朗読する「おはなし」はと言えば、不条理劇を得意とする劇作家、別役実が書き下ろした、「街」の寓話なのである。

 いや、寓話と片づけてしまうのには、抵抗がある。別役実は、やはり不条理の人であり、その物語は、時には理不尽であり、時にはコントの要素を持ち、また、とうてい子どもには理解し得ない深い意味を持った物語でも合った。

 長くなったが、そういうわけで、タッグを組むのにふさわしい異能の人、田島令子を得て、つみきみほはその個性を存分に発揮している。映画には出たいが、そのためには認知症の田島令子を『見捨て』ねばならない。彼女を助ける白馬の王子はいない。

 懊悩の末、結局、レイコは映画を諦め、ユキエの世話をしていくことを選ぶのだが、なぜか彼女の表情は明るい。それこそなんの寓意もなく、ただ、ああこの人たちは、このまま生きていくんだなあ……と思わせる。

 認知症患者と、その介護をする子どもが、それでも明るく、ほっとする、という物語は、考えてみるとかなりとんがった物とも思えるのだが、そのフィクシャスな展開は、ふたりの、かつて「異能」と言われた(言ったのは私だが)役者の演技で、DVDのジャケットにあるハートフル・コメディへと昇華している。

 そして、つみきみほは、四十三歳の役を、なんの気負いもなく──ということは、とても気負っているのだろうが、かつて沢向要士に言われた、「そういう芝居こそがきっと、無軌道さというか、レールが見えない、すごく自由なもので表現できる」その雌雄差を、発揮しているのだろう。

 理屈はもう、いい。つみきみほは少女ヒーローを超え、話をかき回す異物ではなく、自らが世界に翻弄される、それこそ『等身大の』(嫌なことばだがしかたがない)日常を演じて見せた。ああ、こういう四十代ならいいだろうな、と思わせてくれたのだった。

 つみきみほは、すてきなおとなになった。

 私は? ついていくしかないだろう。四十代になっても、つみきみほは近所の塀を走って越えるようなバイタリティと、何者にも傷つけられない美しさを誇っている。

 かつて私が原理とまで言ったその美しさを示されて、私の原理をまた変えざるを得なくなること──しかしそれは、決して不快ではない。つみきみほに提示された、『永遠の若さ』(嫌なことばだが以下略)は、私を安心させる。

 つみきみほは、私を裏切らなかった。

 私も、つみきみほを裏切るわけにはいかない。

 いきなり四十代のつみきみほをモデルにする、ということではない。ただ、私の思い込みを、つみきみほという役者に押しつけるのではなく、その自由さに安心させられて、歳を取りつつ、私もまだ走れることを信じる、それだけなのだ。

 何しろ、二十九年経って、また主演作を撮った人なのである。

 ──いい、歳の取り方をしたものだ。


 私がどう生きるべきかは、まだ分からない。

 だが、徒に若いふりや、逆に説教くさい大人になるのはごめんだ。

 私は、私の自由を、自ら勝ち取る義務がある。自由ではなく、義務だ。

 それが、ひとりの女優に捧げられる誠実な運勢として。


 つみきみほは、還ってきた。

 私も、変わり続け、自分を生かす作家でありたい。

 きっとなれる。私はそう信じている。

 つみきみほに幸あらんことを──。ちょっとだけ、私にも。


(この章、終わり)

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