第二節の1 『テイク・イット・イージー』

●『テイク・イット・イージー』(八六)東宝


(ご注意・吉川晃司主演の映画『テイク・イット・イージー』について、ごく詳しく書いています)


『カーニバルの迷路』を買うまで、私は、つみきみほの存在を、全く知らなかった。読んでみて、この子が、吉川晃司の主演映画『テイク・イット・イージー』の相手役としてオーディションで決まった新人であることを知った。映画そのものを観たのはずっと後だった。

 しかし、観ていなくてよかったのかもしれない。いや、この映画で早くも、つみきみほはその後のイメージを固めてはいる。それはいいのだが、映画全体は、はっきり、怪作と言っていいものだからだ。今まで本書でご紹介した映像作品も、おしなべて一歩譲るほどに。

 この映画は、『すかんぴんウォーク』、『ユー・ガッタ・チャンス』に続く、大森一樹監督、吉川晃司主演作の第三弾だ。一作目では無名の青年だった民川裕司(★注)(吉川晃司)が、大スターになっていく過程を描いていくシリーズなのである。

 本作では、すでに裕司はライヴに三万人の観客を集め(ドーム球場(★注)のない時代でもあり、大成功と言える)、日本では成功をほぼ上り詰めたスターとなっているのだが、その成功に虚しさを感じ始めている、という設定だ。

 その前にひとつ。映画はライヴのシーンから始まるのだが、その前に、宇宙空間を地球に向かって飛んでくる青白い光体の映像が挿入されている。正体は、最後まで明かされない(最後にも明かされない)。

 さて、そんなわけで、虚しい裕司は、ニューヨークへの進出に夢を賭けているのだが、アメリカのプロモーターには相手にされていない。しかも、ニューヨークには彼女もいるらしいのだが、あっさり振られてしまう。で、何もかもいやになって、旅に出る。

 このとき登場するのが、彼のマンションの隣人・草野みほ(つみきみほ)である。この子は、暇さえあればマンションのシャッターや屋上、果ては、学校では教室全体をピンクに塗り替えてしまうような子で、しかも霊感がある。当時流行った「不思議少女」というやつで、私も写真集で一目惚れしていなければ、思いっきり引いたと思うのだが、とにかくそのみほが裕司に、「北へ旅すると、サイドカーで事故って死ぬ」、と予言する。で、裕司が北海道に着くとサイドカーが用意されており、彼はそれに乗って走り出す。人の話をきかない奴だ。

 平原を旅する裕司は、暴走族と、それを馬で追うテンガロンハットをかぶったカウボーイ(ほんとうです)・仲根(上杉祥三)に出会う。仲根は元ボクサーで、「KO牧場」(ほんとうです)という牧場をやりながら、まだボクサーとしての世界進出への夢を諦めていない。ふたりは意気投合するが、族のひとりに、サイドカーを盗まれる。

 追いかけてみると、そこには、何と言ったらいいのか、アメリカの西部と北海道の小樽かどこかを足して二で割ったような街がある。そこで裕司は、氷室真弓(名取裕子)に出会う。彼女は、ライヴハウスで熱狂的信者を集めるばりばりの前衛ジャズのピアニストで(ほんとうなんです)、しかも夜はホテルのラウンジで、スタンダードナンバーを歌っている。あまつさえ、昼間は、ガラス工芸職人をやっている。忙しい人だ。

 彼女の才能に惚れ込んだ裕司は、真弓を街から連れ出して世間に知らしめようとするのだが、例の族たちが妨害する。その中に、カーキ色の帽子にカーキ色のつなぎを着たボーイッシュな少女、かえで(つみきみほの二役)がいる。族たちの中でもかえでは特に真弓に心酔しており、それを連れ去ろうとする裕司に激しい敵意を抱く。

 族たちを後ろで操っているのは、街の有力者・青井(黒沢年男)だ。

「若い者は何かと言うと世界が自分を待っているというがそんなものは誰も待っちゃいない」。

 青井は、真弓はこの街にいてこそ幸せになれるのだ、と考え、裕司を追い払おうとする。しかしあくまで真弓に執着する裕司は、族に殴られたり、ヘリで山に捨てられたりしながら、彼女を追いかける。なぜ山へ捨てるのかは、明らかにされないが、内陸なのだろう。

 ところで、そんな真弓にも家庭はある。数人の幼い兄弟と、父親の画伯(長門裕之)。この画伯は自衛隊にいた頃、UFOを何度か目撃しており、今は退官して、UFOを呼ぶためのモニュメントをひたすら作っている(ほんとうです)。やっぱり北海道には、UFOが現われているのだろうか(第一章の終わり頃参照)。

 で、結局、青井に監禁された真弓を、裕司は助け出し、KO牧場に立てこもる。そこへ族と青井が現われ、牧場をはさんでの銃撃戦となる。

 この闘いは、街の警官で暇なときはバーのマスターをやっている(ほんとう……ああ、もういいっ)池谷(寺尾聰)が仲裁すると、あっけなく幕引きになる。めでたしめでたしなのだが、ここまでしておいて、真弓は、自分を慕ってくれるかえでのために、街に止まることにする。

 にも関わらず、何となくすっきりした(としか言えない)裕司は、サイドカーに乗って、また旅に出る。しかし、彼を憎んでいたかえでがブレーキのボルトを抜いておいたため、サイドカーは暴走し、裕司は車もろとも平原に投げ出され、頭から血を流して死ぬ。……と思った次の瞬間……。

 白い光の洪水が降り注いでくる。冒頭の宇宙シーンは、このためにあったのだ。しかし、それが何であるかは、まったく説明されない。シナリオにも書いていない。

 こうして、よく分からないまま、気がつくと、裕司はニューヨークにいることが示され、映画は終わる。

 どこまで怪しさが伝わったか自信がないが、現代の北海道で西部劇をやり、しかもそこへモダンジャズだのUFOだの、という映画を、どう位置づけていいのか、私には分からないのである。別にふざけているようにも見えない。

 ちなみに、これを読んで実際に映画を観てみようと思った人は、DVDがないことと、ただひたすらに吉川晃司を撮った映画であることを(まあ、そのための映画ですけど)覚悟していただきたい。ヘリで山頂に捨てられた裕司が、崖を必死に降り、滝へ飛び込んで山を下りる様子や、真弓の乗る路面電車を走って追いかけ、バスに乗り換えるとまた走って追いかけ窓からバスに飛び込む(危険だがほんとう)――といったシーンが、いやというほど観られる。

 そういう映画の中で、つみきみほは、自分の役どころをきっちりと演じている。「不思議少女」のほうも嫌味のない演じ方だし、不良の役のほうはボーイッシュな魅力を魅せている。神秘的な少女と、戦闘的な少女という、その後の役にもつながるキャラクターを、早くも提示しているのである。

 そして、どちらのつみきみほも、集団の中での「異物」として機能していることを、忘れてはならない。それは、『JAPOP'86』で見せた、決して忘れられない感覚だからだ。彼女の風貌も声も、ふやけた世界を切り裂く、「異物」なのだ。

 なお、この映画でのつみきみほは、前述の『カーニバルの迷路』にも多数スチルが収録されていて、映画よりいい感じ、と言えるぐらいによく写っている。よろしければ、写真集をご覧下さい。古本でいくらでも買えますので。



*ドーム球場――東京ドームのイベント時の定員は、最大、五五〇〇〇人。

*民川裕司――私の旧筆名・早見裕司とかぶるが、気がついたのはいま(二〇一四年)で、当時は思ってもみなかった。気づいていたら、筆名を変えていただろう。


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