第五章 最強のジャンル女優 つみきみほ

 「私は売れないよ。」

                 つみきみほ(『カーニバルの迷路』より)


 つみきみほと言う女優は知らない人も多いだろう。近年の活動は演劇中心だから無理もない。

 しかし私にとって、つみきみほは人生の原動力である。つみきみほがいたから、今の私があったと言っても過言ではない。つみきみほこそ、私にとっては永遠の少女ヒーローなのだ。


●一節の一/つみきみほとの出逢い(八六)


 一九八六年の春。私はまだ小説家デビューする前に、書店でパートのレジ打ちをしていた。

 書店員のいちばんの仕事は、本を売ることではない。本を返すことなのだ。いや、そうではない書店もあるとは思うが、あったらうらやましいことだ。

 取次(問屋のようなもの)からは毎日、段ボールでいくつ、という新刊が送られてくる。書店員はそれを伝票と突き合わせ、店に並べるものは並べ、並べないものは返品伝票を書いてそのまま返品する。ところが新刊の配本内容は殆どが取次と出版社のコンピュータに任されているため、店に置けない本もたくさん送られてくる。

 私が勤めていたのは人文・社会科学系の書店で、専門書で店は一杯なのだが、官能小説とかコミックとか、置けない本も入ってきてしまう。そういう本は、返すしかない。こういう、個々の書店のニーズを考えない配本が、本の販売機会を多く損なっているのだ。

 それはさておき、その日はなぜか写真集特集ということで、アイドルの写真集が多数、送られてきた。置く場所がないし、店の売れ筋とも違うので、私は本と伝票を突き合わせた後、返品作業に取りかかった。と、その中に一冊、私の目にまっすぐ飛び込んできた写真集の、表紙があった。

 一見すると、少年と見まごうばかりの、やせてとがった顔。だが、その目も生硬な表情も、純粋な少女の輝きに満ちて、強い光を放っている。特に、視線。こちらの体を貫いて無限遠の彼方を見据えるような、鋭い目なのである。

 その力強さに何かを感じた私は、その写真集を買った。それが、つみきみほの第一写真集、『カーニバルの迷路』(ワニブックス)だったのである。

 いま考えると、この、店には好ましくない配本のおかげで、私はその後の人生を変える女優と出逢えたのだから、個人的には幸運だったのだが。

 さて、私は『カーニバルの迷路』を、何度も見返した。そういう経験は生まれて初めてだった。アイドルの写真集やビデオを買う習慣がなかったのだ。最近は写真集も少しは買うようになったが、当時はアイドルのマニアとに、ちょっと偏見を抱いていた。申しわけない。

 そして、見るほどにその少女に惹かれた私は、ある妄想を抱くようになった。それは、この少女が主演する「作品」を作ってみたい、ということだった。

 それを実現するには、映画監督への道を志すべきだったのだろうが、なまじ映画に知識があったもので、それはとうてい無理だ、と思われた。能力の問題はもちろんのこと、ふつう、映画監督というのは助監督から初めて、撮影所で鍛えられて十何年、とかいうものだと思っていた。私は集団行動には向かないのである。

 ……思い返すと、かの『ハウス』で、大林宣彦監督が撮影所経験を経ずに映画監督になってから(★注!)、森田芳光、大森一樹といった自主映画出身の監督が生まれてきてはいたが、それは特殊な例だ、と当時の私は思っていたのだった。

 そこで私は、何をしたか。

 どうしても、この少女を表現したいと思った私は、自分のイメージしたつみきみほを「キャスティング」して、小説を書く、という暴挙に及んだ。それが私の小説デビュー作『夏街道』(八八)から続く、通称『水淵季里シリーズ』で(★注)、つまり私は、『ハウス』で文筆業に目醒め、つみきみほに出逢うことで小説家になったのだ。思い込みに振り回された大バカ野郎なのだが、この思い込みが、いまに至るまで三十三年の作家生活の原動力になり、今でもその続きを書いているのだから、思い込みとは怖ろしいものだ。

 そうしている内に、生の動いているつみきみほが、テレビに現われた。『JAPOP'86』(八六・フジテレビ)という深夜番組で、この当時大いに流行った邦楽のMV(当時で言うとMTV)を放映していたのだが、曲と曲の合間につみきみほの、短いオリジナルのビデオクリップが流れた。例えば白い壁の室内プールで、村松健(★注)のリリカルな音楽をバックに、白のノースリーブとショートパンツを身につけた素足のつみきみほが水に足を浸す、そこにテロップで自作自筆の詩がかぶる――といったもので、つみきみほの声は流れない。私は勝手に妄想をふくらませ、繊細な少女の、穏やかな声をイメージしていた。

 そうした映像が何週か続いた後、ついにビデオクリップの中で、つみきみほ自身の声が流れた。テロップの詩を朗読する、ナレーションが入ったのである。

 ……私は、ひっくり返った。

 ボーイッシュで堅い表情、スレンダーな容姿、そして、リリカルな風景の似合う少女は、まるでおとなしげではない、舌足らずで癖のある、きんきんした声だったのだ。私が自分で勝手に作り上げていたイメージは、完全に裏切られたのだった。

 だが、そのときには、まだ出演した映画も観ていないにも関わらず、私の中でつみきみほは「理想の少女」として、確立されていたのだ。理想の少女であるからには、そこに性的な要素は一切ない。極度に純化された、非実在の理念そのものである。

 で、私はどうしたか。理想のほうを動かした。つまり、自分にとって理想の少女とはこういうものなんだ、と思うことにしたのだった。

 結果的に、それが私の人生を豊かにしたのだから、後悔はしていない。


【注】


・撮影所経験を経ずに――春日太一『あかんやつら』(文藝春秋)によれば、主に東映で活躍した五社英雄監督は、フジテレビのディレクターから直接東映京都に入ったそうなので、大林監督が初めてではない。印象で誤解を招くいい証拠なので、残しておいた。

・水淵季里シリーズ――現在まで六冊の作品群。玉川上水を舞台に、人ならぬものと交信できる少女、水淵季里の物語。『精霊のささやき』に雰囲気は近いが、夏を描いている。

・村松健――主に八〇年代に活躍、ピアノが主体の毒にも薬にもならない音楽を作った。


(この節、終わり)

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