第二章の6 『少林少女』

●『少林少女』(〇八年)フジテレビ、ギャガ、ROBOT


『踊る大捜査線 THE MOVIE』の本広克行監督、脚本は『交渉人 真下正義』の十川誠志と、十川梨香の共作、柴咲コウの主演した、……と、ここで詰まってしまった。「何映画」と呼んでいいのか分からないからだ。

 日本へ少林拳を広めるため、少林寺で三千日の修行を終えた凜(柴咲コウ)は、郷里へ帰ってくるが、道場は閉ざされ、先生・岩井(江口洋介)は、中華料理屋の店主に収まっている。誰も凜の話を聴いてくれない。少女、珉珉(キティ・チャン)だけが「少林拳やってもいいよ。一緒にラクロスやってくれるなら」と、取り合ってくれて、凜は国際星館大のラクロス部に入るが、、ラクロスの腕前はさっぱりである。ここまでで三〇分近い。

 この作品は、香港映画『少林サッカー』を想起させ、実際、同作の監督・脚本である名監督、シャウ・シンチーをアソシエイトプロデューサーに招いているのだが、もしシャウ・シンチーが撮ったなら、ここまでを五分で片づけるだろう。それほど、物語はもたもたしている。説明に終始していて、面白味がない。

 それでも凜は試合に出るのだが、個人プレーに走り、試合に負けてラクロス部をオミットされるのだが、子どもたちとのサッカーに興じる凜を描いた後で――ここで私は驚愕した――、なぜかラクロス部の面々は、少林拳を始めるのだ。しかも凜は、なぜかみんなと仲よくなり、あまつさえなぜかラクロスが強くなっている。これこそフィジカルに描かねばならない所を、無視しているのである。

 岩井は言う。「(少林拳は)型じゃない、心だ」。だが、武術は、特に格闘技は、型だ。そして、この手の映画も、型が大事なのだ。

 公開当時、この映画は、柴咲コウが自分でアクションをこなし、危険なシーンにも挑戦したことを喧伝していた。だが、ほんとうにアクションが好きならば、その見せ場から逆算して、話を組み立てるべきだ、と私は(あくまで私は)思う。この映画で言うと、アクションシーンの組み立てがうまくいっていないため、せっかく柴咲コウが自分で格闘をしても、敵に蹴りが当たる所を撮っていない。無意味である。

 しかも、最終的な、学長(仲村トオル)との対決は、CGで処理されているのである。柴咲コウのアクションは? やはり、無意味としか言えない。

 この映画は、公開当時から叩かれていたので、細かく追求するのは、残酷かもしれない。しかし、なぜ叩かれるかは、明らかにするべきだ、と思った。

 次の項の『ハイキック・ガール!』と対比して、見ていただきたい。


(この節、続く)

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