第一節の5 松浦亜弥の『スケバン刑事』
●『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』(〇六年)東映
ゼロ年代になって急に製作された、『スケバン刑事』の新作である。何故だろう、と思うが、『宇宙刑事ギャバン』も三〇年の時を越えていきなり映画化されたので、東映としては当たり前のことかもしれない。脚本は丸山昇一、監督は、故・深作欣二の息子、深作健太*。長門裕之の暗闇司令、サキ(松浦亜弥)の母には斉藤由貴、おまけに竹内力まで登場する。私は、監督に一抹の不安を抱きながらも、公開を待った。
結果として、そこに現われたのは、単なる柄の悪い女の子がぎゃあぎゃあ叫びながら何もしない、愚作とさえ言えない映画のようなもの、だった。
アメリカから「輸送」されてきた今回のサキは拘束衣を着せられ、逮捕までに、暴れて一一人のお巡りをつぶした、というよく分からない過去がある。それが、「スケバン」という言葉を聴くと凶暴化し(えーと?)、拘束衣を引きちぎり、脱走する。結果としては再度拉致され、暗闇指令(むしろ残念ながら、長門裕之)によって、吉良(むしろ残念ながら、竹内力)の配下でスケバン刑事に任命される。
目的はエノラゲイなる謎のサイトを追求することなのだが、聖泉学園高校に転入したサキは、のっけから「お前ら全員、焼き入れっぞ」と、柄の悪さを発揮し、学園でいじめられている多英(岡田唯)をめぐって、学園をシメている秋山レイカ(石川梨華)と対立する。サキもレイカも、かつて『スケバン刑事』を成立させるために慎重に計算されたデフォルメをないものにした、リアル不良の人物像であり、そこがまず問題だ。
また、問題のひとつは、麻宮サキが戦闘する際、セーラー服風にデザインしたボディスーツを着る点にもある。このボディスーツが、『8マン すべての寂しい夜のために』*に似ていることもさておき、セーラー服そのものが戦闘服だ、という元祖『スケバン刑事』から『少女コマンドーIZUMI』にかけて築かれた少女ヒーローの基本を、まったく理解していない、としか言いようがない。
それはつまり、私がさんざん語ってきた、「だがな」の論理そのものを理解していない、ということでもある。ケレン味が成立させる、日常から飛躍した世界観を持っていない、ということなのだ。そういう人に、『スケバン刑事』の魂は描けない。ヨーヨーで悪を倒す少女、という非現実的な世界に、リアリティ(信念に裏打ちされた、いかにもありそうなこと)ではなくアクチュアリティ(現実にそうありそうなこと)を持ち込んでしまったのですね。
パンフレットで深作監督は、「十代を取り巻く閉塞感は変わらない。きっと〈彼女〉の孤独で等身大の正義は普遍的に必要なはず」と語っている。一方、原作者・和田慎二は同じパンフで、麻宮サキと名乗れる少女の条件に、「孤高」を挙げている。この作品の迷走は、この認識の違いにある、と私は思う。
……っていうか、等身大の正義、って何? 説明して欲しいものだ。
そしてまた問題なのは、悪玉の窪塚俊介と石川梨華の間で、「今夜は抱いてくれないの?」といったセリフが取り交わされる、露骨な性関係にもある。殆ど意味がなく、若者たちが次々に時限爆弾で爆死させられる、徒な犯罪にもある。サキが、ヨーヨーを投げようとして、後ろから殴り倒される(!)といった、「リアリティ」にもある。
これほど、いい所のない少女ヒーロー作品は、見たことがない。『スケパン刑事 コードネーム=諸見栄サキ』*でも、一シーンぐらいはいいシーンがある。それほどに、酷い。
ちょっと感情的になってしまったが、私にも許せないものはあるのだ。
*深作健太――父親、深作欣二監督の後を引き継いで、『バトル・ロワイアルⅡ』を完成させ監督デビューしたが、これ自体、多くを語りたくない作品だ。
*『8マン すべての寂しい夜のために』――特撮映画史上、最も失敗した映画の一本としてかえって有名になった。私は、四〇分まで我慢したが、話が全く動かないので視聴を断念した。
*『スケパン刑事 コードネーム=諸見栄サキ』――オリジナルDVD。タイトルがパン屋の『パ』であることに注目されたい。その名の通り、エロ映画だが、最後は国会議事堂にサキが独りで特攻した(らしい)シーンで終わる。
(この節、終わり)
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