【番外編】『君といた未来のために』

『君といた未来のために』(九九年一~三月)脚本・大石哲也、吉田智子


 一九九九年一二月三一日、世間は二〇〇〇年の到来で大騒ぎだった。二一世紀が始まるのは二〇〇一年からだから、一年早いのだが、「二〇〇〇年」という語感の良さ、そして「二〇〇〇年問題*」などもあって、すでに大騒ぎだったのだ。

 その一二月三一日、鬱屈した高卒の少年、堀上篤史(堂本剛)は、父親、弘志(内藤剛志)との決裂から、幼なじみの山岸由佳(遠藤久美子)と流星群を観に行く約束をキャンセルし、たまたま街角で『忘れ物の森』という映画のポスターを見かける。それは子どもの頃、母親と見た映画だった。ポスターを見た瞬間、路地の向こうを、亡くなった母・裕美(真行寺君枝)が歩いていたような気がした篤史。一方で、サングラスをかけた謎の娘・蒔(仲間由紀恵)にも接触する。そう、このドラマは、篤史を巡る3人の女性との出逢いから始まるのだ。

 それはさておき、なんとなく『忘れ物の森』を観に、映画館に入った篤史は、映画の中の『イカルス・モンゴルフィエ・ライト』*という呪文を唱えた瞬間、心臓が止まって、あっけなく死んでしまう。しかし、気がつくと彼は、四年前の一九九五年一二月二三日にいた。行きつけの喫茶店へ行ってみると、死んだはずの友人、シゲ(青木伸輔)や、気のいいマスター(篠井英介)がいる。シゲは一九九九年の秋、競馬で借金を重ね、自殺していたのだった。

「もし、生きていくなら、これから起こるできごとすべてが、最初の人生と同じように繰り返されるんやろうか」

 とりあえず、たまたま覚えていた有馬記念の馬番号を当て(一度は経験した人生なのだから、「当てた」わけではないのだが)、目指す大学(「ソウケイ」という名前)にも受かるが、父親は、「運だけでいい気になるな」、と冷たい。そのまま家を出た篤史は、会社を興す。

 なぜ四年も前の馬券の番号を知っているのか、つっこみたい所だろうが、それはドラマの本筋には関係ない、と言える。また、放映当時、このドラマはアメリカのSF『リプレイ』(ケン・グリムウッド)に似ている、と言われたものだが、『リプレイ』の解説にあるように、この設定は、「陳腐」なものであり(例えば、西澤保彦の『七回死んだ男』(九八)も見逃せない)、私も、陳腐だとまでは言わないが、すでに型として定着している設定に、何を盛り込むか、が勝負だと思う。

 まあ、そんなわけで、会社を興した篤史とシゲは、ヒットするはずの商品(たまごっちなど)を次々に先行して発表し、金にあかせて贅沢三昧を続ける。しかし、由佳との仲は冷めていき、代わりに、金持ちの令嬢、さやか(小嶺麗奈)と仲よくなる。人生は変わり始め、由佳はアメリカへ写真の勉強をするために留学し、銀行員の父親は、篤史の資産管理をさせて欲しい、と土下座までする。念のために断わっておくが、この時代、土下座という下司な習慣は、ほとんどなかった。

「俺は親父に勝ったんや……」

 しかし、篤史が気まぐれでヒットさせたヴィジュアル系バンドが大ヒットしたのが、最初の人生でヒットするより一年早かったのと、シゲがそれについて愚行を行なったため、篤史は一転、人生のどん底へ叩き落とされる。失意のまま、皮肉にも篤史と関わらないことで成功した由佳と、二度目の一九九九年一二月三一日、流星群を見に行った篤史は発作に襲われ、「イカルス・モンゴルフィエ・ライト」とつぶやきながら、倒れる。すると時間が戻り始め、篤史は三度目の人生を送り始める……。

 どこが「少女ヒーロー」なのか、と言われるかもしれない。私も同意見だ。それが、この物語を番外編にせざるを得なかった理由でもある。

 しかし、そこに蒔と、邪悪な形でリプレイを繰り返す黛裕介(佐野史郎)というふたりのプレイヤーがからむことで篤史はいやでも運命に翻弄されていく。黛は言う。

「時間というものは絶対的なものだ。誰もそこから逃れることはできない。でも、その時の流れからはみ出すことで、僕らは絶対になり得た」

 だが三回目の、教訓を活かした地道な人生を大事にしようと思った篤史は、そのことばに反発する。

「そやったら、この運命と闘ったるわ。超人やのうて、人間としてこの人生を生き抜いて、お前がまちごうとること証明したるわ」。

 こうして三度目の人生を生きていく篤史。由佳はアメリカへの留学から帰ってきている。このシーンで、由佳こと遠藤久美子が見違えるほどきれいになっていることを、記憶されたい。「これからは、ずーっと篤史のそばにいる」、と言う由佳。なんということもなく、けれどだからこそかけがえのない人生を送ってきた篤史。いつまでも続けたい人生だったが、黛の邪悪な陰謀で、三回死に、四度目の人生を送ることんになる。

 転生を繰り返しながら、運命と闘う篤史と蒔。その前に立ちふさがるのが、黛だ。この黛の存在感と、篤史と蒔、ふたりのプレイヤーの闘いが、物語の本筋を語り、また、細部も精巧に描かれる。人当たりのこよなく良いマスターが、どうやら裏社会に関係していたらしい、という小さなエピソードなどは、なくても困らないが、あって悪いものではない。

 物語の結末がどうなるかは、想像の範囲内にあると思うし、敢えて明かさないが、最後の篤史の人生は、ちょっと凝った形で、前向きに進む。蒔と篤史との関係も、すがすがしいものだ。

 いや、このドラマ自体が、すがすがしい、と言っていいだろう。人生には限りがある。それをどう生きるか決めるのは、個々の人間の意志次第だ。もちろん、すべての人間が、「いい」人生を送れるかどうかは分からない。けれど篤史は、運命と闘い、その意味での勝利を得た。蒔も同じだ。

 ドラマの最後で、蒔と篤史は別れる。「今度逢うときも」「きっと笑顔でいようね」。彼らには、その笑顔の人生を送る権利がある。文字通り、人生をやり直したのだから。

 この物語の主人公は、あくまで篤史だ。けれど、仲間由紀恵と遠藤久美子というふたりの少女が介在しなければ、篤史は人生をやり直すことは、できなかっただろう。

 さて、土九枠は、いったん過去へ戻る――。


*二〇〇〇年問題――当時のコンピュータは、年号を二ケタの数字(二〇一四年なら一四)で管理していたため、〇〇年は九九年の前になってしまい、コンピュータの動作が混乱することになるという問題。現在は四ケタになっているため、その部分では問題は起きない。

*イカルス・モンゴルフィエ・ライト――レイ・ブラッドベリの短篇のタイトル(『スは宇宙(スペース)のス』創元推理文庫収録)

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