第六節の1 『六番目の小夜子』

●『六番目の小夜子』(〇〇年四~六月)NHK


 恩田陸の出世作を、NHKが脚本・宮村優子(『エヴァ』の声優、宮村優子は別人)で映像化した作品。

 世間では、一定の周期で、都市伝説というものが流行るようだ。学校の怪談も、都市伝説のひとつと言っていいだろう。

『六番目の小夜子』は、西浜中学という学校で、一五年にわたって続いている謎の存在、『サヨコ』の伝説にまつわる、アーバン・ファンタジイである。

 学園に伝わっているサヨコ伝説は、次の通りだ。三年ごとに、ある生徒がサヨコとして、現在は使われていない北校舎の、戸棚の鍵を渡される。サヨコは、三つのことを果たさねばならない。一、サヨコは始業式の朝、サヨコが無事、引き継がれた証拠に、正面玄関、掲示板の下に、紅い花を活けなければならない。花瓶も戸棚の中にある。二、サヨコはサヨコを演じなければならない。これは、文化祭で『サヨコ』という芝居を上演することにあたる。三、サヨコは、次のサヨコを指名しなければならない。この三つを、誰にも知られることなく、やってのければ、『大いなる扉』が開く……というのがルールだ。

 六番目の今年、サヨコに指名されたのが、2―Aの関根秋(山田孝之)だった。だが、自分がサヨコになってみたかった、同級生の潮田玲(鈴木杏)は、鍵を譲ってもらって、サヨコになろうとする。しかし、ひと足先に、誰かが紅い花を飾っていた。それと同時に、亡くなった四番目のサヨコと同姓同名の、津村沙世子(栗山千明)という神秘的な少女が転校してくる。紅い花が活けられたことで、生徒たちはサヨコ伝説を信じるが、一方で、自分の他に「サヨコ」がいることを知った玲は、沙世子に不審なものを感じ、その正体を探ろうとする。

 恩田陸の原作『六番目の小夜子』は、実はかなり難解なものである。私の頭が悪いだけかもしれないが、敢えて難解さを残したことで、名作となった、そう思える。そしてこのドラマも、数多くの謎をはらんでいる。それは、私たち視聴者にだけではなく、作中の人物にとっても、不可解なものだ。

 初めに紅い花が活けられたとき、始業式で校長先生が話している最中、天井から照明器具が落ちてきて、あやうく校長に当たりそうになる。留め金がゆるんでいた、という説明はあるのだが、すでに紅い花を見ている生徒たちは、サヨコが現われたのではないか、とうわさする。

 そして、玲の弟が公園で不良たちに襲われたとき、偶然、沙世子が通りかかり、結果、不良たちは、野犬に襲われて倒れ、弟と沙世子は無事なのだが、なぜ、犬が不良だけを襲ったのか、合理的な説明はない。最大の問題は、『大いなる扉』が何か、ということで、これは(私の見る限り)、明かされないまま物語は終わる。

 その、説明がない、というもどかしさは、もう一度見てみたい、という心理につながる。実際、このドラマは六回(記録的な回数だ)、地上波で放映され、CSのミステリチャンネル(現・AXNミステリー)でも放映された。

 謎の存在、サヨコと、それに翻弄される生徒たちは、不気味さと共に、どこかわくわくするものを感じる。「青春」ということばを、うかつには使いたくないが、不安定さ、それとは裏腹の冒険心、そして伝説そのものも、まさに青春の中でこそ光り輝くものだ。あるいはそれを「中二病」と呼ぶのかもしれないが、主人公たちはまさに中二なのであり、世界は無限の広さを彼らに見せている。この世界の持つ不思議さと、それゆえの酷薄さは、彼らが体験するにふさわしい。

 要するに、「大人になるな」、ということだ。私個人は、早く歳を取りたい、と若い頃から思っていて、その通りになったのだが、もっと思春期を正しく(過ちも込めて)味わっていればよかった、と思うことがある。その、ひりひりするような感覚が分かる、若者のためのドラマである。

 ドラマの中で、原作とはまったく違う役割を果たす、花宮雅子(松本まりか*)が言う。

「淋しいんだよ、サヨコは。たったひとりで、誰にも気づいてもらえなくて。私だって淋しいもの。誰にも気づいてもらえなくて」。

 雅子は学級委員であり、クラスでも目立つ生徒なのだが、それはあくまで客観的な、冷たい視線で見た場合でしかない。雅子もまた、世界の中に自分がいる、と大声で叫びたいのだ。

 その苦しさと、そして、作品を見ての推測だが(自分がそれを味わった事がないので)、それゆえの光り輝いた思春期の一時期を、ドラマはみごとに描き出して見せた。

 キャストについても、触れておかねばなるまい。主役の鈴木杏は、放映時の実年齢、一三歳だが、すでに少し脂がのって、肥りかけている。しかし、ときに無神経なほど快活な潮田玲役には、はまっていた。津村沙世子の栗山千明は、モデルから女優に転身したばかりだったが、九九年の『死国』、〇〇年の『バトル・ロワイアル』で、映像でも注目が大きかった。この作品でも、ときには神秘的であり、ときにはナイーヴな沙世子役を好演している。

 しかし、私たち(誰が「たち」なのかは、敢えて言うまい)が注目したのは、花宮雅子の松本まりかだった。この物語を少女の側から見た場合、三番目の主人公、と言うべき雅子は、ショートカットとえくぼが特徴的な、理知的に見える容姿であり、その雅子が感情をあらわにするところに、このドラマの「痛み」が集約されている。

『六番目の小夜子』は、いまもDVDソフトが販売されており、また、ストーリーの詳細には触れる必要がなかったので触れなかったが、このドラマは、玲の幼なじみの秋とその家族の物語でもあり、担任の黒川先生(村田雄浩)の物語でも、沙世子と祖母(富士真奈美)との物語でもあり……重層的な物語を持っている。

 そして、学校そのものの、物語でも。

 私の子ども時代の転校先、二度目の小学校では、三階が塗りつぶされた階段があり、その階段の上に『××××様』という女生徒(怖さのせいか、名前を思い出せない)が住んでいる、という言い伝えがあった。そうした恐怖は、学校にはつきものであり、誰にも消せないものなのだ。私の頭の中の小学校には、その『××××様』と、大掃除で初めて見たネズミ、いじめ、廊下の天井にある積層電池、そして、これこそ書くことのできない秘密などが、並列している。

 それが学校というものなのだろう。


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